1991年から92年にかけて東京の郊外で起こったこと、そしてその後の沼について(7)

(6)からのつづきです。最初から読むなら()へ。

1998年以降に私がやったことは、もうはっきりとは細部が思い出せない。個別の出来事やエピソードは思い出せても、どんなふうに生きていたのかの実感がない。実感がないから、ここにエピソードを書こうという気にもならない。世田谷の、小田急線沿線の駅から少し歩いたエリアで、笑っちゃうくらい狭い部屋をそこそこ高い家賃で借りて住んだりしていた。国分寺の風呂無し三軒長屋で暮らしていた時期もあった。毎日何を食べていたのか、どんなレコードを聴いていたのかもよく覚えていない。ロック・ポップス形式の曲を自分で作ってバンドの形で演奏することは2003年くらいまでは続けていたらしい。CDをリリースするときに製作費用で困ったことがないから、たぶん素人のCDが内容にそぐわない売れ方をしてしまう風潮はまだまだ続いていたのだと思う。

ここから先は

1,871字
この記事のみ ¥ 100

この文を読んで、これ書いた人に資金提供したいなーと思った方は、「サポートをする」を押すと送金できるそうなのでよろしくお願いします。手数料を引いた85.5%の額(100円送っていただくと約85円)がこちらに届きます。あと振込手数料も多少取られますが。