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安全ではありませんー

何か月前だったか忘れたけど、twitterのタイムラインに流れてきたリンクを踏んで『「高校生らしい」集会』という文章を読んだ。外山恒一氏が20歳のときに執筆したテキストで、1990年リリースの『校門を閉めたのは教師か』という本に収録されたものをwebに転載してすぐ読めるようにしてくれている(まだ読んだことのない人は、まず読んできてもらえると話が早いのでよろしくお願いします)。

何の気なしに読み始めたけど、すぐに頭が重くなってきた。この頭の重さは私が苛立っているときや強い憤りを感じているときに発生する現象で、今読んでいる文章の中で繰り返される高校生どもの言動に対して自分が苛立っていることはすぐにわかった。これと同種の苛立ちは、これまでに何度も経験がある。

何か問題視されていることや解決が必要な(ってことにされている)テーマがあって、それについて大勢で話し合おうとか、議論しようという場が設けられたとする。「全員の意見を自由に出し合う場です!」というのを殊更に強調したりして保険をかけてあるんだけど、それは結局ポーズに過ぎなくて、一部の参加者が勝手に設定したルールや段取りに沿って“正常に”話し合いが進行することを求める声があがるようになり、いつしかその空気に会全体が支配されてしまう、ということがよくある。

しかも、主催者だったり司会者だったりといったリーダー的役割の参加者が強引にそうしているというわけでは必ずしもなくて、参加者の大半は自分たちを支配している空気に気づかないまま本気で“正常な進行”を求めていることがほとんどだったりするから、もうどうしようもない。

討論会のテーマとしてピックアップされた事象について“適当な”意見を言うだけに留まろうとせず、例えば「何がその事象を生み出したのか」とか「それはどんな構造になっているか」というところから問題を捉えようとする人や、「実は自分たちもその構造に加担してるってことはない?」みたいな問いを発する人や、「そもそも前提がオカシイんじゃないのか」という風にテーマ設定から鵜呑みにせず疑っていく人などといった少数派の発言が正常な進行を妨げるノイズとして露骨に迷惑がられ、白い目で見られ、無視または排除される場。司会者に「もういいですか?」とか「話を戻します」などと雑に片付けられそうになっても面倒くさがらずにしっかり抗って発言を続ける人に対して、会場から「ワガママだ」「勝手なことをするな」「規則に従ってやれ」という非難の声があがったりする場。私もそういう場に居合わせたことがある。そのたびに苛立ち、終わった後になって体調を崩したりしてきたけど、きちんと抗い切れたことはほぼない。

外山氏のこの文章にも、討論会の中で多数派の高校生から少数派(そのほとんどが学校をやめた人)に対する非難の声があがって、それに賛同する拍手が沸き起こった場面の描写がある。そのくだりを読んだとき、あまりの憤りに鳩尾がギュッとつかえて吐きそうになった。校門圧死事件という、学校が当たり前のように採用してきた囲い込みと管理と異分子排除のシステムが生んだ大惨事と言うべき事件について討論している本人たちがそのシステムにドップリはまっていることに無自覚で、囲い込みと管理と異分子排除を何の疑問もなく完コピしている。それを指摘する少数派の意見にも一切耳を貸そうとはしない。討論会なのに、討論する気がハナからない。イライラするなー、もう。

こういう場で多数派から貼りつけられたレッテルを逐一剥がしながらマトモな討論を成立させるのは、少数派にとっては容易じゃない。別に剥がす必要ないんじゃないの? という気もしなくはないが、それはひとまず置いておくとする。とにかく、少数派がどれだけ丁寧な説明を重ねたって、臆せずきっぱりと意見表明したって、どう考えてももっともなことを言ってたって、そもそも話なんか誰も聞いちゃいないし、しまいには「しつこいなあ」と怒り出したり「やれやれ」と半笑いでバカにしたり、全力でノイズを除去しようと一致団結した多数派に対して、少数派ができることなどわずかしかない。嫌がらせしたり不真面目を貫いたりして、「こんな会、最初っから骨抜きなんだよ!」っていうのを暴露していくような方法を取るにしても、人数が少なすぎるときびしい。

この文章を読み進めていくうちに、外山氏が都知事選に立候補したときの政見放送を初めて見た私が(迂闊なことに、選挙が終わってだいぶ経ってからだった)、台詞回しや間の取り方の秀逸さにうなり、ポイントポイントで大笑いすると同時になぜかぐっと涙が出そうになったわけが改めてよくわかった。

外山氏にとってあの政見放送は、自分の活動について事細かに書いてあるポスターへ少数派の人々を誘う手段のひとつに過ぎなかったのかもしれないけど、それでもあの短い動画の中で語られたことは最初から最後まで全部本当のことだった(冗談も含め)。構造上の欠陥についてあんなにも正確に、簡潔に、丁寧かつキャッチーに述べ尽くしている生身の人間(動画だけど)を見たのは初めてだった。こんなにも真摯に悪意を投げつけている人がいる。こんなにも真摯に不真面目な人がいる。そのことにもショックを受けたけれど、何よりもまず、あの「少数派の諸君!」という呼びかけが本物だったから、私は泣いてしまいそうになったのだと思う。いや、泣いてる場合じゃないんだけど。

別にその場に居合わせてたわけでもなく、一方の当事者が書いた手記を読んでるだけの私がこの「高校生らしい」集会に対して全力で憤ってしまうのはたぶん、自分も場面が変われば多数派として同じようなふるまいをしかねない中途半端さを持ってるっていう自覚があるからだろう。そんなんだからスルーできない。アタマイタイ。憤っているヒマがあったら、我に返ってもっとしっかりとオソロシイインボーを企てなくてはならない…

【参考URL】
外山恒一/「高校生らしい」集会
http://www.warewaredan.com/h04-syukai.html

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