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長い夢をみていた

澄んだ空はどこか青さが足りなくて、気がつくと空気が冷たくなっていた。僕は冷たさの中にある暖かさを探している。光は用水路を跳ね返してキラキラと輝いている。縋るような空想さえも徐々にぼやけて蜃気楼になっていく。背中を暖める陽光は祝福のようにも侮蔑のようにも感じられた。葉擦れ音とサイレンの音が重なってオーケストラが奏でられる。どこにも行けない僕たちを暖めるその音が消えてしまう前に、音だけでも掴めるように。冷たくなった手で宙を探っていた。 長い夢をみていた。夢の中で君と僕は見たこと

    • 赤く光って散る

      砂浜で海を眺めて潮の音をぼーっと聞いていた。辺りが少しずつ明度を落としていって、それに伴うように彩度も落ちていく。潮の音、鳥の囀り、電車の走行音、砂を踏む音、犬の鳴き声、葉擦れ音、風の音。その中で潮の音だけが少し宙に浮いて聞こえている気がする。 「電車の音が聞こえなくなったら花火をしようよ」君は小さな声でそう言った。日は海の向こうへ沈んでいって既に見えなくなっていた。アルコールですこし赤くなった君の頬が徐々に霞んできて、それは次第にどこか遠くに行ってしまった。 線香花火を

      • 歪んだ月

        クレヨンで画用紙に月をかいている。好きな色だけを使って、弧を描きながら空白を埋めていく。そのうちに隙間は居場所をなくして少しずつ消えていく。隙間が完全に消え去った時、そこには見たことのない色の月が一つ浮かんでいた。 憂鬱は僕に四六時中まとわりついている。それは影のようについてくる。歩いても、歩いても、僕を追いかけてくる。どこにいても離れてくれないんだ。陽光は僕の憂鬱をはっきりと映し出すから昼間はなるべく外に出ないようにしている。僕は遮光された部屋の中で光に当たらないように、

        • 空と蜘蛛

          雲ひとつもなく澄みわたっていた。絵の具みたいな青色をしていた。たとえ青色を知らなくても”青色”だと分かるような、そんな青色だった。それを見て僕は、死ななきゃいけないんだ。と反射的に思った。空がどうしようもないくらいに、取り返しが付かないくらいに、綺麗だったから。 子供の頃に思い描いていた大人や世界。それらの理想像と現実はかけ離れていて、もう取り返しが付かない程に開き切っていた。あの頃描いた職業に付けるはずはなくて、話しかけられるだけで動悸がして、仕事に行けなくなった。友達に

          蝉の死骸を数えていた

          今日もいつもと変わらない憂鬱な朝を迎えた。僕は朝が苦手みたい。 空気は夜のうちに陰鬱を纏っていってどんどん吸収していって、朝になる頃にはそのシャボン玉が破裂しそうになるから。朝になると少しずつ陰鬱という空気を放出しているんだ、また夜を迎えられるように。そんな気がする。 朝が嫌いなのってなんでなんだろ、ちゃんと考えたことないかも。寝ている間にはシャットアウトできていた無駄な思考も、嫌なことも。朝になると僕は再起動して否が応にもそれらが頭に入ってくるから。考えないといけないか

          蝉の死骸を数えていた

          273日

          茶色に濁った波が砂浜に打ち寄せている。波は満ちては引いてを繰り返しながら少しずつ僕の方に近づいていく。どうしようもなく逃げたいのに手や足が思うように動かない。首が回らない。僕は砂浜に首から下が埋まっていた。しょっぱい水が口の中に入る。恐怖が体を支配する。埋まっている僕を見て父親が笑っていた。無力感。そこで記憶が途絶える。 僕の一番古い記憶。 蝉時雨が止んできた頃、海沿いの小さな部屋の中で僕は“土の中の子供“を読んでいた。土の中に捨てられて孤児となり、親戚の家に引き取られた

          踏切のむこう側

          君との帰り道、電車に揺られながら横目で君を見ていた。真っ白な肌に、アルコールでほんのり赤くなった頬、大きな目。君はとても綺麗だった。君とは今日初めて会った。だけど既に会ったことがある様に思えた。懐かしいこの感覚 前にもこんな感覚になった事あったな。あれはいつだったけ。どこだったっけ。なんて昔のことを思い出しながら古い記憶をなぞっていく。君が僕の肩に頭を寄せた。数秒して僕も君の方へ少し体を寄せる。アルコールが体を循環する。君と僕はふわふわと電車に揺られている。 ふわふわに包ま

          踏切のむこう側

          憂鬱を僕の中に残して

          僕は海沿いにある小さな街に住んでいた。だから、小さな町のことしか知らなかった。見えている世界のことしか分からなかった。目の前で起こる出来事だけが世界の全てだった。戦争なんて映画の中だけでのフィクションだと思っていた。物語の最後は決まってみんな笑っていた。神様は居ると思っていた。だから。僕は幸せだった。”公正世界仮説” 努力すれば報われる思っていた。いい事をすれば相応の対価が享受される思っていた。不条理って言葉さえ知らなかった。自殺なんて言葉だけだと思っていた。世界は公平で、人

          憂鬱を僕の中に残して

          朝起きると君は居なくなっていた

          吐瀉物をトイレに流した。レバーを捻るだけでそれは流れていく。ぐるぐる。流れる渦をぼーっと眺めていた。四六時中おれに付き纏う、陰鬱も一緒に流れてくれれば良いのに。着いてくるな、どこかに、遠くに、どこかに。もっと言えばおれ自身も流してくれれば。ぐるぐる、ぐるぐる。少しずつ、ゆっくりと、水の流れが止まって、渦が止まった。 雑踏の中の喧騒。その全ての音が、煩わしい、うるさい。知らない人の話し声が耳に入る度に動悸がして、どうしようもなく叫びたくなる。どうしようもなく逃げたくなる。どこ

          朝起きると君は居なくなっていた

          公正世界仮説

          薄明りの道は、僕を深いところまで連れて行ってくれる。この間、土手沿いで見たつまらない人間とその歩き方、僕を蔑んだ目で見てくる雑踏の中の人達、どうでもいい事ばかりを思い出し、日と共に僕の思量は落ちていく。海の中をゆっくりと落ちていくような感覚。心地良いテンポで、脳内に響き渡る水の音を聴きながら。口や鼻から零れていく泡沫は僕の生きた証であり、意図もせずに現れては、何の意味も残さずに消えていく、僕そのものの様にも感じる。流れに身を任せ、静寂の中で一人、少しずつ、沈んでいく。 その

          公正世界仮説