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2011 年いちごおやじ🍓誕生

イチゴオヤジ誕生

いちご農家をはじめ、これまでの歩み

2011年~2019年

 2011年4月、29歳で独立、
イチゴ屋になった。

知識も経験もハウスもないところからスタート。
まして苗づくりの段階では収入もない。

サラリーマン時代に借金返済で嫌な目にあったので、こんな思いしたくないと初めて貯金した自己資金150万円。
新規就農ではめずらしい借入なしで、
なるべく初期費用を抑える感じで開始。

小さく初めて等身大経営とか言って、東京時代の社長に僕にくれた言葉「無は有の原点なり」活躍に期待します、にようやく応えられたかなっと思ったけど、資金を入れて大きくやる事に恐れてやらなかっただけなのかもしれない。

空いているハウスはすでに建設から30年~40年。自分よりも先輩、
サビて、朽ちてところどころパイプない。
ここでやるんか、と思ったけど
それでも借りられるだけでありがたかったし、
格安で借りられた。

昔ながらの畑に直接イチゴを植えていく、
現在主流の棚を組んで立ったまま収穫ができるハウスでないので、
しゃがんで、かがんで、作業をする昔ながらのいちご畑は新規の方で借りない方も多い
腰にも負担がかかる、でもお金もないし、ここしかない
どんなハウスでも借りられたらやると決めていた。

ここで、このハウスでは大変なので借りてなかったら
うまくいってなかっただろうな

 今思えば師匠も大変だったろう。
わからないと1日何度もおじゃました。
朝、苗に水をやってるけど、しおれてきました。
というと、今日みたいに暖かく、(乾いた)風が強い日は午後からも水をやるんやよ。
雨の日も水をやってたら、雨の日はやらんくていい、水が多すぎると根腐れになる。
もぅ本当にそんな事も知りませんでした。

苗の管理ができてなくて、他のイチゴ農家さんに怒られた事もある。
他の方がお師匠だったら僕はイチゴ作りうまくいかなかったと思う。
僕の性格を理解してくれてたのがよかったかも

 新規就農で知識や技術もないとはいえ、
僕は県外から帰ってきた地元の人間、
まわりはウチを知ってくれてる方が多く、
ないとはいえ実家もあったし、全くの新規の方に比べたらかなり良い条件で恵まれている。

これは不公平だ、その分僕は返してあげられるように生きていきたい。
 思いだけは1人前だけど、


初めてのイチゴづくりは失敗の連続。

土づくりに失敗して、ふわふわと真逆のカチンコチンの土になり、水はけがわるく、大雨で水浸しに

借りたハウスの柱を曲げてしまったり

僕の就農を歓迎してか台風が連発してやってきて自然の猛威にやられる

生育も遅れ、すっかり失敗して意気消沈もイチゴの方が僕を心配させまいと育ってくれた!

初めてイチゴができた時はすっごく嬉しかった!
🍓🍓🍓

喜んで出荷に向かうもまわりの農家さんはたくさん出荷してて、肝心な時に僕は出荷できなくて悔しい思いにすぐ変わった

相変わらず何もわからい僕だが、まわりの方々のお蔭とイチゴが頑張ってくれたおかげで、なんとか生活できるところで1年目のいちごづくりを終えた。

 2年目になる頃、


高齢でイチゴを引退する農家さんのハウスを借りる事ができ、また翌年やめる方のハウス借り、順調に面積も拡大できた。

 就農後、ある行動にでた。
それは今ではおなじみの事だが。
農業の経験はなかったがサラリーマンの経験はあった。

セールスマン時代「商品を売る前に自分を売れ

と口すっぱく言われていた経験あり。

そうだ!まず自分がいちごになろう!と決めたのだ。


赤い服、赤いメガネに赤い靴に赤い靴下。
靴紐はミドリ♪
いちごのグッズをいっぱい買って、
当時趣味で草野球やっていた背番号は15、
車のナンバーまで15をいれた数字に変更。
地元の市民マラソン大会にはイチゴの着ぐるみで走り、
これは仮装ではないです正装だとか言って。
赤いジャケットやいちごネクタイなんかもそろえたなぁ
🍓のぬいぐるみに👓で僕(イチゴオヤジ)です。

それをSNSで発信して。

 今では僕の代名詞だが、
急にこんな事を、また田舎でやるもんだから、
いい意味でも悪い意味でも目立つ。
たいしていちごも作れる実力もないのに、、

当時は新規就農者が珍しい時代で、
こんな格好をしてるから、たくさんのメディアさんが取材をしてくれた。
その記事をみた方々がまた応援して下さった


新規就農をした経験を学生の前で話してほしいと、そんな機会もいただいた
地元の若者が学生に話をしてほしいそうで
初めての講義は大学の授業

一般聴講可能だったので母親が授業参観に来た。
もちろんいちごネクタイをして
講義開始家で一人で何十回も練習したけど、
なかなか人に伝わるのは難しい。
他の会では午後一番での授業を担当生徒さんそりゃ眠くなるよね。
たった一人で良いから響いて伝わればいいな

 ナゼいちご農家になったのか。

 授業で伝えるため改めて整理してみた


コピー機売ってた時、はじめて販売した機械が壊れてて申し訳なかったけど、つくったの自分じゃないしと思ってた。
ノルマを達成するために、こちら都合で売ってた、
会社の都合で良い事だけいって販売してただから、
自分が作ったものを正直に伝えて売りたい。
 要らないものを販売してたけど、イチゴは皆嫌いじゃないし、
皆喜んでくれる。また伊勢がいちごの産地だった事もある・・・

自分は夢や目標を持つ事でこんなに人生良くなった。

自分の経験をやってきたことを時話して、時には謝礼もいただいた。
完全に勘違いしていた。
独立して成功や。
自分は正しい。
天狗になっていた自分、のちに衝突が起きるのだが、、、

またセミナーとかに参加し勉強したつもりになるのが趣味で、
赤い格好して全国いろんな会や勉強会にも出た、
目標を達成する事がすべて、
夢を持つ事が正しい。
向上心を持って、自分も理念を持ち、
信念もって赤い格好して、イチゴ畑に現場にいない時も多く、
どんどん勘違いしていった。


「会社に不満があるなら自分で独立したらええやん、僕はそうやってきた」

過去に会社員時代苦しんだにもかかわらず、
そんな事を言うようになり勘違いはとまらない。
衝突もあっても、それでも自分が正しい、
自分で立ち上げてきたねん
あれだけたくさんの方に手伝って助けていただいたのに、、、

やがて人は離れていったが、この時まだ気が付かなかったというか、
気にならないくらい調子にのっていた。
目標や夢をもって生きず諦め人生の方とは違うんだとか思って


 そんな就農3年目を迎えた2013年9月、


伊勢市内に竜巻が発生しハウスに直撃し、一部被害にあい

2014年2月には市内に大雪が降り
一番初めに借りたハウスは全壊し壊してしまった。

以降、相次ぐ自然災害にあい、それでも県や市や皆さんのおかげでなんとか復旧する事ができた。

毎年やってくる台風、大雨、
自然の猛威に悩まされ、これでは採算が合わない、、、
調子乗っててうまくいってると思ってたが、なんかおかしい、、
被害にあうたびに頭をうたれてていった
そのたびに色んな方に助けられてきた

少しづつ自分をみつめるようになった。

 これだけ思い語ったり、赤い格好しているが、
全国の有能なイチゴ農家さんと会うことで
自分のイチゴは大した事ないイチゴである事に気づかされてきた。
収穫量、味まだまだ、

格好だけの自分格好悪い。

そこから3年くらいは農業関連の事以外では外にでず、
現場にハウスに引きこもり、自分のいちごに向き合った。
おかげでようやく自分のイチゴが表彰されるようになった。
その反面自分はイチゴとにらめっこして
生育にイチゴの気持ちをよみとるには限界を感じた。
また面積がある中で自分だけでやるのは無理がある。


自分のいちごの特徴もできつつあった。

お腹いっぱいイチゴが食べたいならよそのいちご園へ、
おいしいイチゴが食べたいなら自分の知り合いのイチゴ園へ、
元気なイチゴが食べたいのならウチのイチゴ園にきて。


 色々犠牲にした
達成こそ全て、良いいちごをつくる事が全て
いちご以外、仕事や自己成長、それ以外全く意味がない
それを達成する事が幸せなんだ
人付き合いも役に立つかどうか、成長につながらないなら会合もでて意味ない


いちごならいちご
仕事なら仕事
同時並行できず一つの事しかできない、
不器用だが仕方ない、だってできないから今は仕方がない

それでもこんな僕に
天候や条件が味方してくれた
何とか目標を達成することができた

やっぱり振り返ったらそこに誰もいなかった。

そして調子に乗ってた自分が原因で人間関係は壊れ、
思うようにいかない、忙しすぎてイライラし、
人を幸せにするイチゴが自分が幸せでない。
何のためにいちごやり始めたんだ。
また、良いイチゴを作れても良い状態で届けられない。
毎年気象条件が変わり、
自然災害が多すぎて割にあわないこの仕事。
台風が来るたびに多かれ少なかれ必ず被害がでる、諭吉さんが飛んでいく

台風が発生したらもうウツ
3つも4つも天気予報サイトをみまくる
台風発生前からアンテナをはって、かなり先の天気まで予想し
直撃予報なら、どんどん機嫌が悪くなり
いちごを守らなきゃ
ハウスを守らなきゃ
雪や竜巻で被害にあってきた、もうあのツライ思いはしたくない
台風くるな、僕の前で台風の話されるだけでもイラっとして
不安で寝れない
いちごがやられてる夢なんかも何度もみて、うなされおきる

観測史上最強、この数年で何度も更新
今までの常識が通用しない

自然の猛威、そして自分が原因で人間関係は壊れ
いちごの仕事に追われまくり
すっかり精神的におかしくなった

友人の農家も同じような問題を引き起こしていた、
もっと深刻だった
家族を失いさらには経営状態がたちゆかなくなり
それでも僕の事を励ましてくれてた、いつも笑って話してくれた
なのに自ら命を絶ってしまった。まるで僕の身代わりになるかのように。

本当にツラく落ち込んだ、悔しくて悔しくてたまらない
いつも助けてくれたのに、僕は助けてあげられなかった

残念で仕方ない、残された僕たちが頑張ろう、
友人の意志をついで成し遂げれなかった事を僕がやろう。

壊れたなら時間はかかるが作りなおそう

色んな方に助けられ、相談にのってもらい、
ご縁あってバリ島で有名なアニキにも直接アドバイス頂く機会をいただいた、
すこしづつ前向いてやってくしかない

失敗しながら、衝突しながらも少しづつ角を落とし丸くなっていくしかない。

人は人でしか磨かれない。
良くなろうとしている姿勢だけか、まだこんな自分でもまだ見捨てられなかった。


 たくさんの方に良くしてもらい応援されてきた、
それに答えられる農園にしたい

借りていたハウスを返却し一か所にまとめ、場をつくろう


就農8年目2018年にハウス移設開始、

手伝ってもらい自分たちでハウスを建てた。
そして雇用も始め、手伝いに来てくれる方が来て、
手狭になったり、不便もでてきて、我慢もしてもらい。

働く条件があわないなら短時間でも農園でお手伝いしてください、
とせっかく来てもらっても問題が出てきた。

そう決めて就農9年目の今年初めて借り入れをした。

新しく令和の時代になった2019年、

皆あちこちハウスを移動することがなくなるだろうし思い切って
新しく農園をリニューアルしよう、と決心した

そして新品のハウスを現在建設中、今度は災害にやられないように費用をかけて頑丈なハウスをプロに立ててもらうことに事にした。

この地でたくさん与えてくれる、これを少しでも返していったり次の世代にわたしていくのが僕のお役目であり使命なのかな。

これでひとつ地元、生まれた地に場がつくれたかな。
いちごを栽培するより自分がいちごになる方が向いてる自分らしいね

僕は生き方も手先も不器用で1つの事しかできない、できない事でなくできる事をしよう。一つに集中しよう
でも自分らしく生きて、夢や目標もって叶えていく姿をみせていく、
イチゴを通して残したいのは思い。

そしていつか自分らしく夢持って生きようとする人のお手伝いが出来るように、
そんな思いを持った人、
農業者になりたい方だけでなく良くなりたい方に研修というか受け入れられるように、
自分も農園も成長しよう

そのために地元伊勢のおばたの地に人が集まる場をつくろう。
直接ハウスみながらいちごが買えるような場
自分たちでいちごを届られる場

一人では無理だから仲間を探そう

思いに共感共鳴してくれた同じ道を歩んでくれる同志を。
その前に自分の人間性をつくらねば時間はかかるが、
相手を不満にさせたらいちごも買ってくれなくなるし
自分がかわらなきゃ、、、また失敗してしまった、、、

うまく行くかまた災害がおきる不安はいつもいつもあるけど。
自分の行動に言動に感情がうまくコントロールできず
反感になっちゃうこともあるだろうけど、
自分も良くなりたいし向上したいし
楽しめるようになりたい


誰かの勇気になりますように


2019年冬には農園をリニューアルオープンへ