生い立ち_4

脱サラして農業に挑戦、全く赤色のない農業研修時代

農家の道へ

 2010年4月、28歳無職。

メンタルを病られ、サラリーマンを休職、退職
辞表の書き方はなれたもんだ、結果6年で4社辞めたわけで
まわりからはまた辞めたのってなるし
成功するんだと望んで何も得られていない自分だが

卑屈感はなくウツ状態から復活し期待感があった

その頃農業をやろうと思っていた。
なぜそう思ったのか、あまり思い出せない
ウツウツの状態、記憶も何をしていたか覚えていない

もぅ自分は社会で生きるのはムリだし
農業は楽そうだ、自分にもできそうと失礼にも思っていた、
テレビやメディアで農家へ転職、新規就農などがとりあげられていた。
おそらくその感じで農業をしようと思ったのではないかな

親類のおじさんはお茶農家で大成功していたのもあった。
僕も農業とりあえずお茶でもやってみようかなぁ、
そう思ってネットで家から農業を研修できそうなところを探した。

三重県の農業の支援センターに相談に行き、
研修先を見つけ、短期研修2週間からを受けてみた。
それでよければ1か月研修、半年など長期研修に進むことできると

(後日余談だが、就農後その時の担当の方に会ったが、僕の事はまったく覚えてなかったのだが)

 2週間の研修が始まりそれなりに農作業は楽しかったし、
体力は普通並みだし、作業はこなしていたし
研修で言われなくとも掃除なんか見てないところまでやったし、
まぁ農業いけるんじゃないかと言われるだろうなと思ってたから
2週間後、研修の総評を言われた時にはショックだった。

 研修を終えた時に、当時の農場長から言われたのは、
君はまわりが見えてない、空気が読めない。

次1か月研修どうしようか延長して来てもらうかの判断に迷われていた
いてもらってもなぁ、、若いしもう一度チャンスを与えようかなぁ、、どうしよう
(研修タダでつかえる人手として置いておく手もある)
現場からの鶴の一声、置いといたらええやんで首の皮一枚繋がった

その時はショックだったが、考えてみれば、ごもっとも
空気も読めないし、性格に難があるから組織で生きていけない
まわりと協調があるかだけの評価で農業向いてない、の判断ではなく
農業のやる気や取り組む姿勢など、農業法人に就職するの能力と農業者として立ち上げていく能力評価や、やっていけるかの判断は本当に難しい

まして会社を立ち上げるのだから簡単に勧められない、
さらに新規の就農、実家を継ぐのと違い多額のお金もかかるわけだし
作業者としてでなく事業主としてもやらないといけない
個人事業なら一人で黙々とできるわけだから
総合的判断でなく組織で向いていないを理由に、そこで研修うち切ってたら、
今のイチゴ人生もなく、くすぶってただろうな、でもまぁ

農業研修ですら、向いていないと評価を受ける。自分って笑

まだ農業本気でやるって今思えば思ってなかったかもな。
お試し、お情けで1か月研修を延長することとなった頃
2010年5月祖父が亡くなった。

そしてようやくいちごがでてくる