「ひ・よみ」…第7回5-2「ひふみのふで」と神の目的
5-2「ひふみのふで」と神の目的
なぜ、あれだけ「おおもと」の筆先にそっくりの内容のものが、
わざわざ麻賀多神社の天日津久神社に出てきたのでしょうか。
これは「ひふみのふで」を書かせた意識体が、
何らかの形で「おおもと」の影響を受けているということです。
しかし「おおもと」では、以下のように、はっきりと否定されています。
「…変性男子と女子との筆先より他の筆先は信じては成らぬぞよ。外から出るのは皆受売りや入れ言斗りで、真偽相半ばして居るから、初めから目を通さぬが能いぞよ。大本の中にも参考の為じやと申して、隠れ忍んで写したり読んだり致して居るものが在れど、其んな事に骨を折るより、一枚なりと表と裏の筆先を腹へ入れるが結構で在るぞよ。…」(伊都能売神諭 大正8年3月11日)
このことを知ってか知らずか、
岡本氏は王仁三郎に「ひふみのふで」を見せに行ったということです。
相手にされる訳がありません。
近頃、岡本氏を元役員だったとか、信者だったとか言っているものがありますが、岡本氏はただの共鳴者(シンパ)だったので、弾圧事件のときにも短時間の聴取で解放されているのです。
関係者であれば、「おふでさき」の重要な部分を知らないはずがありません。
岡本氏に付随していた、「おおもと」由来の意識体が影響しているのは確かですが、彼らの目的もわかりませんでした。
いろいろ読み込んでいくと、「おおもと」の上を行こうとしていたようにも見えます。
最近は知りませんが、麻賀多神社には迷惑がられていたようです。
天日津久神、稚産霊命はどうしてそれを許したのでしょうか。
私が麻賀多神社の社務所で「天日津久神社」の御守りをください、
と見せたところ、
「ああ、これか。」と、
面倒臭そうに言われたことがあります。
先にもお伝えしましたように、
アマテラスの幼名と考えられる天日津久神が関わっているにしては、
内容として、あまりにも下品、矛盾だらけ、
絶対に神とは考えられない単純な間違いまであります。
この点が、話を進めるために都合の良い部分を並べた書籍の読者が、全文に当たった時に、困惑し思考停止に陥ってしまう原因でもあります。
「おおもと」由来の意識体の発言は、
旧態然とした宗教の色濃いものであることが、
判断の目安となります。
「ひふみのふで」は、天日津久神が成長するための試練、
としてのものだと思われますが、
その本当の目的は何なのでしょうか。
明らかに、「おおもと」と違うことを言っている箇所もあります。
多分、それが「ひふみのふで」の真価であると思います。
天日津久神は、この「おおもと」由来の意識体に、
啓示を出したいと頼まれ、
了解する条件として、
「自分はまだ幼いため、代わりに後見の神を参加させる」ように、
指示したのでした。
最初は、こうしてこれら岡本氏についていた「おおもと」由来の意識体が、幼神の天日津久神をそそのかして「ふで」を書かせた、と考えていました。
しかし、稚産霊命も大杉さん(※1)も、それを邪魔しなかった、というのは、天日津久神の成長のため、と考えていたからです。
※1 麻賀多神社の大杉は、天日津久神の子守り役であり遊び相手でもあります。岡本三典氏の著書(※2)にある岡本信之氏を麻賀多神社で歓待した老婆はこの大杉の化身です。
※2 岡本三典著「日月神示はなぜ岡本天明に降りたか」徳間書店、は思想は別として、当時の状況の記録としては一番信頼のおけるものです。天日津久神社が本殿の右手にった当時の写真も掲載されています。
しかし、申し訳ありませんでした。
神様を見くびっていました。
幼神とはいえ、実際には神様の方が、
手ぐすねを引いて待ち構えていたのでした。
では、「神様方の真の目的」は何かというと、
世に数多ある「啓示類を粉砕」することにあります。
よく宗教者たちが言うように、神が「全知全能」であるならば、
どうして神が面倒な人間と関わりを持つ必要があるのでしょうか。
自己完結で安泰であるはずのものを、自ら不安定にする必要はありません。
真の神様から、準備のできていない人間のところに、
いきなり訪れることは絶対にありません。
誤解されたり悪用されたりと、
正しく理解されることはあり得ないからです。
受けた人間は舞い上がってしまい、
ろくにサニワをしないで頭から信用して、
啓示を受けたとして新しい宗教を起こすぐらいでしょう。
これを信じるものと信じないものとの対立・反目が、
また一つ増えるだけです。
思想・宗教上での対立は、根が深く容易に解決しません。
つまり啓示類を出しているのは、神ではありません。
基本的には邪霊・仏魔の類ということです。
彼らの目的は、人類の協力・連携を断ち切り、
細分・小集団化して、個別に支配・撃破することです。
「おおもと」に源流を持つとされる宗教団体は、
なぜ、分離独立を繰り返し、数多に分かれているのでしょうか。
こう考えてみると、
「ひふみのふで」の特殊性が理解できることと思います。
宗教ではなく、新しい常識として、
皆が納得できるものを、示す必要があるのです。
神の許可があるからこそ、神社の境内で初発が降ろされたのです。
後見の神が参加したことにより、
「ふで」の中で九分九厘と一厘のイクサが始まっているのです。
実際に、内容の重複部分や、他宗教からの借り物、言い換え、などを除外していくと、残るものは、わずかに30帖程度になります。3パーセント強です。
これで、稚産霊命や大杉さんが喜んでいた理由がわかります。
仕組みが始まったのです。
余談ですが、岡本氏はなぜ下総松崎(まんざき)駅から麻賀多神社へ向かったのか、という疑問があります。
成田駅からのほうが便利だったはずです。
鳩森八幡(※3)の留守神主をしていたのであれば、
千駄ヶ谷近くにお住まいだったのではないか、と考えます。
※3 鳩森八幡には、東京で一番大きな富士塚が現存しています。
千駄ヶ谷から成田まで総武線・成田線を使えば、
時間も距離も短いと考えられます。
戦時下での列車の運行状況はわかりませんが。
麻賀多神社からの距離は、下総松崎駅、成田駅、ともにそう変わりません。
成田線・我孫子支線の下総松崎駅へは我孫子からか、成田からなのか。
印旛沼へ出ているので、かなり遠回りをしています。
しかも上社へ寄った様子もありません。
印旛沼を見たかった、ということなのでしょうか。
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