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「ナイスパ」コメントの考察

はじめに

この記事は「『ナイスパ』コメントはどうして気持ち悪いか?」を考察した記事です。2023年頃に書いた記事で、今後この考え方が変化することもあるかと思います。
また、「ナイスパ」コメントの気持ち悪さについて考察はしますが、この文化を否定しているわけでも変えていきたいわけでもないです。使ってる人見ても特に思うことは無いです(後述の通り、自分に向けられると気持ち悪さは感じますが)。この文化を楽しんでる人がいて、その流れを形成した歴史があるわけで、いちネット民として受け入れるのみです。
例えば汚いネットスラングが流行ってたとしても、自分が言う/言わないを選択したり、楽しい/楽しくないと感じるだけで「そんなスラング使うんじゃねえ!」とは大声あげて反発するまでではない感覚に近いです。

あと、「コメント非表示にすればいいじゃん」とか言わんでくださいね。見ないようにはしてるんですよ。それでも見えちゃう時あるんですよ。

ねらい

  • 自分が「感情が先、ロジックが後」の思考タイプで、「ナイスパコメントに気持ちの悪さ」を感じるも、その理由を言語化できず悶々してました。ある程度思考がまとまってきたので記事にしておきました。

  • 同じように「なんとなく気持ち悪いな〜」って思ってる人の感情言語化の参考になればと(私自身、他者のエントリでだいぶ頭がスッキリしました)。

想定していない読者

上記の通り、私と同じように「ナイスパコメントに違和感を感じる」人を対象にした記事です。

  • 日常的に「ナイスパ」コメントを書き込んでいて、特に違和感がない

  • 「ナイスパ」コメントが好き

  • 「ナイスパ」コメントすることを推奨している

というような人は自分のパーソナルを傷つけられるように感じられるかもしれませんので、読まない方が賢明でしょう。

『ナイスパ』とは

「ナイスパ」という言葉を知らない人は対象読者でないと思うのでお帰りください。











では、クッションを置いて本題です。


なぜ「ナイスパ」コメントは気持ち悪いのか?

いくつか想定される理由や自分のモヤモヤを掘り下げてみました。

・送った相手に感謝されるのはわかるけど、関係ない人に感謝されるのが謎

まんまその通りですね。

スーパーチャットを送るたびに流れるナイスパのコメント、Vの人にとってはお金が貰えて嬉しいからまだVの側が言うなら分かる。だけどなぜリスナーが言うのだろうか。お金投げてナイスって褒められて嬉しくないだろ、ピッチャーでもなんでもないのに。

「ナイスパっていう必要ある?」より

特に自分は「私と配信者」の関係は「1対1」ないしは「多対1」の関係として捉えていて、「私と他の視聴者」は「他人同士」という考えが根底になります。(※)なので他の視聴者のコメントに対して視聴者である自分がコメントしようという気になりません(ここら辺の問題はチャンネルごとにローカルルールが違うかも…「コメント内同士でチャットしないでください」文化もあれば「視聴者と一緒に皆で盛り上げよう」文化もあるだろう)。そういうスタイルが根底にあるので、自分のコメントに反応がある時点でちょっと違和感があります。
※配信は「推し」を見たくて来ているので、「推しを推している人」を見にきているわけではないし、「推しを推している私」を見せたいわけでもありません。中には「推しを推している私」を楽しんでいる人(いわゆるTO)もいるかと思いますし、それは否定しません。

・他人にいきなり話しかけられる気持ち悪さ

色々意見集めてたら「花束渡したらおっさんが『その花綺麗やね』って声かけてくる感じ」「居酒屋で注文したら常連客に『毎度ありぃ!』って言われてるようなもん」という例えが。めちゃくちゃわかる。

・「ナイスパ」は上から目線

こちらのYahoo!知恵袋では質問者がこのように書いていました。

スパチャを飛ばすこと自体は別に良いと思うのですが、それに対して配信者が感謝を伝えるのはいいと思います
どうしてそこで知らない人が入ってくるのかわかりません

実際に 本当に小さな金額ですが、スパチャを投げたことがありますが、何故知らない人から上から目線にナイスと言われるの? と感じました

ナイスパ=自分の代わりにお金払ってくれてありがとう! と受け取ってしまいます ですから そんなこと言ってるならお前が払えよって感じです
これは私がひねくれているんでしょうか?

Yahoo!知恵袋より

「上から目線」と言う記述に「なるほど」と思いました。おそらく「ナイスパ」言ってる側は「良くやった、褒めてつかわす」とまで思ってはいないんでしょうけど、そう受け取りかねない ということなんでしょう。
コメント・金額が丸見えの状態で「ナイス」って言われるって、「ナイスかどうか判断されてる」という受け取り方もできて「なんでお前にジャッジされるんや」って気持ちにもならなくもない。
ナイスかどうかを決めるのは送った側と貰った側であり、第三者に「ナイス」って言われるのは何で?という違和感は強いです。

また以下のような回答もありました。

サッカーとかで遊んでいるときに、質問者さんがシュートを決めたときに、仲間が「ナイシュー」と言ってくれたようなものだと思ってみてはいかがでしょうか? 配信を一緒に見ている仲間だと思うといいかもしれません。

Yahoo!知恵袋より

前述の通り、視聴者同士を「他人同士」と捉えている自分からすると、やはり違和感です。リアル友人から「おースパチャしたね〜いいね〜」みたいに言われたら悪い気はしないです。

・「ナイスパ」コメントでコメント欄が埋まるのが嫌

こう感じている人は結構多いみたいですね。特にスパチャをするような人は推しを応援したい気持ちが大きいので「スパチャにコメントするくらいなら動画についてコメントしろ!」「ナイスパで流れに水差すんじゃね!」という意見をよく見かけました。
自分自身としては、スパチャすると大抵読み上げられるので話が一区切りしたタイミングでポチるようにしています(ラグがあるので完璧にはハマりませんが…)。そのくらい「流れを止める」ことに忌避感がある中、更に「ナイスパ!」が大量に流れ込むと完全に流れが止まる(または滞留する)のでちょっとモヤモヤします。
見たことは無いですが、Vtuberあたりは最後にまとめてスパチャお礼返しタイムがあるとか?配信遮らないのは良いやり方だなって思います。

・スパチャの盛り上がりに他者がフリーライド

他人の盛り上げ行為にフリーライドする感じが滅茶苦茶ゾワゾワする。昔でいうキョロ充みたいな感じ。

上記ポストは結構強めの言葉ですが、「ナイスパってコメントして一緒にスパチャした気」っていうところはこの「フリーライド」感は同じような事かなと。「てめえも金落とせ」とまでは思いませんが…(人には人の推し方!)。

・コメント内で会話するなルールならスパチャにコメントすんな

ダブスタが気になるという意見も見かけました。ここら辺はそのチャンネル毎のローカルルールとの兼ね合いもありそうですね。

・そもそもスパチャなんてナイスじゃない

痛烈で笑う。スパチャが無駄かどうかは人それぞれだと思います。

なぜ「ナイスパ」コメントするのか?

反対の立場の目線が足りないと思うので自分が考えられる/見つけられた範囲でなぜ「ナイスパ」コメントするのか?を挙げてみます

・配信者にスパチャがきている事を教えるため

これについては反対意見も見かけました。今(2023年時点)の文化では「スパチャが来たらコメント内容を読み上げるべき」という風潮が強いです。なので「スパチャをスルーしたら失礼」と言われるまでに発展することもあります。ここら辺は色々とレスバが繰り広げられるテーマです。
スパチャは投げ銭、見返りを求めるのも滑稽な話です。コメントなど反応があれ良し、なければそれはそれで という期待値だと個人的には思います。
そしてスパチャのコメ返が義務化されるとセクハラとか誹謗中傷とかに繋がりやすくなると思います(「結婚してほしい」コメントはほぼセクハラだし、卑猥な単語を書いたら最悪ですよね)。
まとめると、「スパチャが来ている事を教える」の前に「そもそもスパチャ読み上げを視聴者が義務化するな」という意見が多かった、という感じでした。

・褒められたら喜ぶ

自分がスパチャして視聴者からも褒められたら喜ぶから、他人のスパチャも褒める という考え方。
そういう人も居るかと思います。全員がそうではないとも思いますが。

・儀式的にコメント

古のネット格言に「半年ROMれ」という言葉があります。知らない文化に飛び込む時はまず先人に倣う、というのは一種のノウハウでもあります。「ナイスパ」とコメントする人の中で本当に言葉通り「ナイスなスパチャですね!」と言っている人は少ないのかもしれない。
ご飯食べる時にただ「いただきます」と唱えるような、まだ「食事」について深掘り出来ていない幼児のような気持ちで、「食材となった命に感謝していただきます」だとかそう言うことを考えずに唱えているようなレベル感の人も居るのかもしれない。
そのくらい「ナイスパ」は文化として馴染んでいるんでしょう。

当初こそそもそも言葉の意味が分からず戸惑ったが、意味をしればああなるほどそういうもんなのかと思ったからである。決してスパチャに対してナイスと思ったからではない。そういうもんなのかと思ったからである。スパチャの中身を読んでいたわけでもない。そういうもんなのかと思ったからである。

「ナイスパとかいう文化について」より

・「ナイスパ」が推奨されている

たまたま見つかったポストですが、「『ナイスパ』等で盛り上げましょう!」とアナウンスされているチャンネルもあるんですね。
まぁ、言っちゃうと配信者的には「ナイスパ」コメントはメリットあると思います。「ナイスパ」言われて気持ち良くなる層も居るっぽいので、そういう人がリピーターになると懐が暖かくなります。本業ライバーにとっては死活問題です。

【派生】投げ銭の可視化について

私はライバー文化でよくある投げ銭の可視化は苦手です。特にランキング形式。汚いビジネスだなって思います。先に引用したnoteにもこうありました。

お金をたくさん投げた人=強者という風潮が生まれつつある。
(中略)
この文化、知っている人から見たら何も思わないが、何も知らない人から見たらかなり異常な事に気がついて欲しい。まじで。あの文化を新規が見たら絶対引くよ。

「ナイスパっていう必要ある?」より

お金をたくさん投げた人が強者に見えるし、実際身を削っているので貢献しているように見える。そして上位に入ることで満足する人が居たり、可視化されなければ気にしなかったのに意識しだしたり。巧妙に射幸心を煽る作りになっています。投げ銭プラットフォーム(ビジネス側)の「搾取してやる」という気持ちが見え透いて好きじゃないです。手数料に文句は無いです。妥当だと思います。射幸心を煽るやり方が汚いと感じています。
私は「沢山投げ銭している人が偉い」とは思いません。そして「投げ銭していない人が偉くない」とは思いません。ある程度ビジネス活動しているタレントに対しお金を払わずに応援するよりお金を払って応援している人の方が応援しているとは思いますが、それは商品を買う土俵上での話だと思っています。投げ銭は別。(投げ銭がメインの食い扶持なタレント除く)
また、人それぞれの環境がある中で応援しているタレントにどれだけお金を使えるかは人それぞれです。投げ銭のランキングではそんな背景関係なく相対的な「金額」でランキングされ、自分の応援している気持ちの大きさと乖離が生まれます。
ファンとしてどうのめり込むかなんて正解はなく自分の中で折り合いつけながら「これだ!」っていう推し方をすればいいのに、投げ銭に対して第三者の反応が混じってきたり、ランキング形式のように相対的に比較しやすく表示されるのはどうかなぁと思います。応援に優劣なんてないです。周りに迷惑かけない範囲で、自分が満足すれば良いのです。

自分的結論

自分はライバー文化向いてない自覚あります。スパチャよりプレゼントとかにお金使った方がいいんだろうな…。またしばらく配信見るのやめとこ。年1くらいでいい。


以上。
「ナイスパ」コメントについてボロクソに言った感じありますが、「ナイスパ」コメントする/しないは自由です。適度に配信を楽しみましょう。
何か考え変わったり思うところあれば随時編集します。