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海のトリトン

🔴海のトリトン

『海のトリトン』は、1972年4月1日から朝日放送をキー局にTBS系列で放送されたテレビアニメ。

💚基本情報

◆原作:手塚治虫
◆監督:富野喜幸
◆キャラクターデザイン:羽根章悦
◆音楽:鈴木宏昌
◆アニメーション制作:アニメーション・スタッフルーム
◆製作:朝日放送、アニメーション・スタッフルーム
◆放送局:朝日放送
◆放送期間:1972年4月1日 - 9月30日
◆話数:全27話

💚作品概要

元々は連載終了後に、手塚治虫が手塚プロダクションでアニメ化する予定でパイロット版が制作された。しかし、虫プロダクションの経営悪化による混乱の中、アニメ化の権利を手塚のマネージャーだった西崎義展が取得して、テレビ局への放送の売り込みに成功した。

西崎のテレビアニメ初プロデュース作品であり、富野喜幸(現・富野由悠季)の初監督作品となる。虫プロ商事のスタッフを中心に設立されたアニメーション・スタッフルームで製作されることとなったが、実際に制作の中心となったのは朝日フィルム。

キャラクターデザインに東映動画出身の羽根章悦を起用したのも、虫プロではなく新しいものに挑むという基本方針の下、あえて手塚治虫調ではないキャラクターを選択したものであった。

こうした製作の経緯があったため、手塚は秋田書店版の単行本のカバー袖のコメントで「テレビまんがのトリトンは自分のつくったものではない」と読者に断っている。これについて富野は、手塚は原作を失敗作だと考えていたのではないかと推察し、ストーリーの改変についても、かなり自由に任せてくれたとも回想していた。

本作は、守るべきものに追われる主人公、主人公たちが作る共同体、そうして最終話で明らかとなる「実はトリトン族こそが悪であり、ポセイドン族が善であった」という善悪逆転の衝撃のラストが後の『無敵超人ザンボット3』に繋がるとしてしばしば比較される。

本作は『宇宙戦艦ヤマト』以前に高年齢層に人気を博した作品で、アニメブームの先駆者として重要とされる作品である。日本で初めてファン主体のテレビアニメのファンクラブが作られたとも言われる作品で、とりわけ女性ファンの人気が高かった。

💚ストーリー

年老いた漁師の一平に岬で拾われた緑の髪の赤児は「トリトン」と名づけられ育てられるが、不吉な髪の色として疎外される。ある日、一頭の白いイルカ「ルカー」に出会う。ルカーはトリトンが人ではなく、海棲人類トリトン族の最後の生き残りであること、トリトン族は七つの海を支配し暴虐の限りを尽くす、ポセイドン族と戦う運命にあることを告げる。

トリトンはイルカの言葉が判ること自体に狼狽し、それを信じようとしなかったが、一平がトリトンと一緒に拾ったトリトン族の衣装と宝物「オリハルコンの短剣」を発見し、ルカーの言うことが真実だと知る。

その時、トリトンを発見したポセイドン族の尖兵が漁村を襲い、トリトンは村を救うため、海への旅立ちを決意する。トリトン族の他の生き残りを探すため、父母の仇にして村の仇でもあるポセイドン族を倒すために。

苦難の旅の果て、ポセイドン族の本拠地へ乗り込んだトリトンは衝撃の真実を知る。ポセイドン族はアトランティス人によってポセイドン族の神像への人身御供として捧げられた人々の生き残りであった。

そして、ポセイドン族の逆襲を受けてわずかになったアトランティス人が「トリトン族」としてポセイドン族に復讐するために生み出した武器が「オリハルコンの短剣」だった。ポセイドン族がトリトン族を殺戮してきたのは、あくまでも自らの身を護るためだったのだ。

この最終話のプロットは、富野が脚本を無視して絵コンテ作成時に独断で盛り込んだ。このアイデアは第1クール終了頃に思いついたものの、周りに相談すると確実に却下されると考えて富野は沈黙を貫いた。ただし富野は、たとえ何クールの放送になろうと最後はこうすると決めていたという。

💚主題歌

◆オープニングテーマ

「海のトリトン」

歌 - 須藤リカ、かぐや姫
作詞 - 伊勢正三
作曲 - 南こうせつ

第1話 - 第6話ではオープニングとして、第7話以降はエンディングとして使用された。

◆エンディングテーマ

「GO! GO! トリトン」

歌 - ヒデ・夕木、杉並児童合唱団
作詞 - 林春生
作曲 - 鈴木宏昌

第1話 - 第6話ではエンディングとして、第7話以降はオープニングとして使用された。

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