コロナ禍に思うこと②-推しの政治家

TTBです。

①が最終回にならずに済みました。「推しの政治家」って表現、けっこう気に入ってます。そんな話をしたいと思います。

大阪の吉村知事

今回のコロナ禍で最も支持を集めたのはおそらく吉村知事だと思います。「#吉村寝ろ」はツイッターのトレンドにもなりました。

3月後半の3連休でいち早く大阪・兵庫間の往来自粛を要請し、早くから国に対して緊急事態宣言を出すように求めていました。事業者への休業補償に対しては、大阪の財政状況を包み隠さずに説明し、休業要請に応じないパチンコ店の公表に踏み切ったのもこの人が最初でした。

先手必勝の政策、府民に対して誠実に説明責任を果たす姿、そして「政治家は使い捨てでいい」とまで言い切る謙虚さが支持を集めているのだと思います。

もちろん、休業要請に応じないパチンコ店の公表など、個人的にその政策に疑問を感じることがないわけではありません。(ただしこの点については、現在は少し違った見方をしていますが)。

ただ、政策の是非はさておき、吉村知事のしたたかさが透けて見え、そのあたりに凄みがあるように感じています。

吉村知事 VS 西村大臣

事の発端は5月5日、休業と外出自粛要請についての大阪府独自の解除基準である「大阪モデル」を発表した際、政府に対して、「国に出口戦略として具体的な指標を示してもらいたい」と注文をつけたことでした。

ちなみに、「出口戦略」とは、感染拡大がピーク時よりも抑えられている状況で、どのように営業や外出の制限を解除していくかということについての施策だと理解しています。制限された生活の”出口”がどのようなものになるのかという見通しのことだとも言えると思います。

さて、吉村大臣の発言に対して、翌日、国の西村経済再生担当大臣は次のように反論します。

特措法上、緊急事態宣言の解除は国の権限。休業や外出自粛要請は知事の権限。確かに西村大臣の反論は至極真っ当なものです。

ただ、5日の吉村知事の記者会見を見る限り、「国が示さないから大阪が示す」とまでは言っていないと思います(別にソースがあったのかもしれませんが)。少なくとも記者会見の内容からは、休業・外出自粛要請についての明確な基準を国に出せと言っているのではなく、あくまで出口戦略の方向性を示してほしいと求めているように聞こえます。もっと言えば、西村大臣が指摘するように、吉村知事が休業や外出自粛の要請・解除についての裁量権を放棄した(国に丸投げした)というわけではないように思います

これまでも国の政策に批判的な目を向けてきた吉村知事。さらに反論を重ねるのかと思いきや、今回は即座に次のように弁明します。

アンフェア?

ここからやや脱線した話をします。

吉村知事が弁明したことで、彼はますます支持を集めることになりました。もう何をやっても世論が味方をしてくれる無双状態の吉村知事。「潔く謝罪できるなんて立派」との評価も。

対して、スピード感に欠ける国の経済政策にはもともと批判的な目が向けられており、今回の西村大臣の対応についても「批判するくらいなら早く基準を示せ」「今は対立すべきではない」などという声が聞かれました。

情報番組を見る限り、おおむねこのような論調で吉村知事を擁護するものが多かったように思います。確かに、吉村知事の発言を「国に代わって大阪が基準を示す」と理解(誤解?)した上で反論したのはやや勇み足だったかもしれません。しかし、仮に吉村知事の発言がそのように趣旨のものであったとすれば、西村大臣は何一つ間違ったことは言っていません。

今回の問題は「出口戦略を示す」という(抽象的な)表現についての理解が分かれたことによるものだと思います。ワイドショーのネタとしては、大臣と知事がやり合っている方が面白いのだと思いますが、どこに対立点があるのか、なぜそのような対立が顕在化したのかをもう少し詳細に伝えてほしかったな、というのが正直な印象です。そして、こと今回に関しては、発言の内容自体についてはどちらとも正しかったのであり、ただ、その前提に”すれ違い”があったということなのだと思います。

その上で、大臣が「前提を誤解したこと」に対して批判の目を向けるのはまだ分かりますが、報道を見る限り、やや吉村知事に肩入れしすぎているような印象を受けたので、ちょっとアンフェアだったように思います。

本質的な議論を

むしろ、今回のことは、新型インフルエンザ特別措置法における国と都道府県の権限分配がこれで良いのかを議論する良い契機だったのではないでしょうか

特措法は、国が緊急事態宣言の対象地域を定め、その対象地域の知事が具体的な休業や外出自粛を要請するというものです。これは言い換えると、対象地域の知事にすべての説明責任を押し付けているとも見れるかもしれません。実際、この点を特措法の欠陥だと捉え、強く批判をしている評論家もいました。

他方、地域によって実情(感染者数や病床数など)は異なっており、そのような地域特有の事情を熟知した各都道府県知事が権限を持つことで、迅速かつ適切な対応が可能になるという側面もあるように思います。

揚げ足をとるような議論ではなく、このようなより本質的な議論につなげていくべきだったのではないかと思わずにはいられません。

アクセルとブレーキの使い分け

やや脱線が長くなってしまいました。

吉村知事の凄みは、西村大臣の反論に対して、即座に謝罪を表明したことにあります。しかし、「吉村知事が謙虚で人間性が素晴らしい」ということを言いたいわけではありません。むしろ、すべて知事の狙い通りだったのではないのかとさえ思うのです。

かねてから、吉村知事は緊急事態宣言の延長には反対の立場でした。そして、せめて延長するなら出口戦略を示すべきだと主張し続けてきました。西村大臣の発言が上のように誤解に基づくものであったとするなら、さらに反論すればよかったように思います。

にもかかわらず、吉村知事はそうしなかった。国とこれ以上対立すべきでないと判断したからかもしれません。そう理解するのが最も自然なのかもしれません。

しかし、一方で、吉村知事が先に頭を下げたことで、かえって国として明確な出口戦略を示す必要に迫られたとも見ることができると思います。国としても一都道府県知事と対立し続けるわけにはいかないので、ある程度のところで妥協しないといけないからです。

実際にこの後、西村大臣はこのように述べています。

私としては、国が明確な基準を示す必要に迫られたことがすべて吉村知事の計算通りであったように思えてなりません。吉村知事はあえて先に頭を下げて見せた、ということです。そしてそのことこそが吉村知事の凄みだと思います。

元々、国の政策に対して強く意見する方でした。そういうアクセルの部分を持ち合わせつつ、アクセル一辺倒ではなくて適切なタイミングであえてブレーキを踏む。結果的にアクセルを踏み続けたとき以上に前進している。

もちろん、憶測と想像でしかありません。ちなみに、吉村知事は冒頭の「#吉村寝ろ」の声に対して、「本当に大変なのは府民」と応じて支持を集めていますが、元大阪府知事の橋下徹さんは次のように評しています。

「腹の中では“俺の力、スゴいだろ”って思ってると思うよ。ホントにスゴいから」(https://www.sanspo.com/geino/news/20200501/pol20050118160004-n1.html )


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