コロナ禍に思うこと③ー自粛警察と特措法

TTBです。

今日は、感染拡大に伴い問題となった自粛警察について思うところを述べていきたいと思います。と同時に、(むしろこちらの方がメインかもしれませんが)、政府の緊急事態宣言の根拠となっている新型インフルエンザ等対策特別措置法についての話もしていきたいと思います。

自粛警察とは

自粛警察とは、政府や都道府県知事の自粛要請を守らずに外出したり営業したりしている人を執拗に攻撃する一般の人たちのことです。県外ナンバーの車に嫌がらせをしたり、営業中の店舗に脅迫するような文言を添えた張り紙をしたりするなど、問題が深刻化しています。また、感染者の個人情報を特定してネット上に公開するなど(さらに、公開された情報が間違っているために、第三者が影響を受けるという例があるとも聞きます)、SNS上でも被害が拡大しています。

自粛警察の問題について私が深く考えるようになったきっかけは、京都産業大学でのクラスター感染が発覚した際、大学側に抗議が殺到し、感染した学生を特定したり、全く関係のない学生までもが槍玉にあげられたりした(京産大の学生というだけで偏見の目で見られたり、飲食店への立ち入りを拒否されたりするなど)という事態が発生したことでした。

ただ、以上のような「自粛警察」の問題点については、情報番組やネット記事等でこれまで論じられてきたところですので、ここではやや異なる視点から、私なりに自粛警察を標榜する方々が今後どのような方向性で考えていけば良いのかを述べていこうと思います。

自粛要請を守らないのは違法?

そもそも、自粛要請を守らないこと自体は違法なのでしょうか。都道府県知事の行う自粛要請の根拠となるのは、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」という法律(以下、「特措法」ということにします)です。

特措法45条1項 特定都道府県知事は、新型インフルエンザ等緊急事態において、新型インフルエンザ等のまん延を防止し、国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは、当該特定都道府県の住民に対し、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間並びに発生の状況を考慮して当該特定都道府県知事が定める期間及び区域において、生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の新型インフルエンザ等の感染の防止に必要な協力を要請することができる
特措法45条2項 特定都道府県知事は、新型インフルエンザ等緊急事態において、新型インフルエンザ等のまん延を防止し、国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間を考慮して当該特定都道府県知事が定める期間において、…(中略)…政令で定める多数の者が利用する施設を管理する者又は当該施設を使用して催物を開催する者…(中略)…に対し、当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。

法律の条文なので、慣れていない方からすれば読みにくいと思いますが、ざっくり言えば、特措法45条1項は外出自粛要請を、特措法45条2項は営業自粛要請(大規模イベントや学校等の自粛要請も含まれます)を定めたものです。

「特定都道府県知事」とは、内閣総理大臣による緊急事態宣言の対象区域の都道府県知事のことです(特措法38条1項)。このことを別の角度から言い換えれば、この度緊急事態宣言が一部地域で解除されることとなりましたが、解除後はその地域は緊急事態宣言の対象区域から外れることになりますから、「特定都道府県知事」ではなく、仮に解除後に自粛要請を出したとしても、それは厳密には「法律に基づく」自粛要請ではないことになります。

さて、それでは緊急事態宣言の対象地域の都道府県知事(=特定都道府県知事)が出した自粛要請を守らなかった人は法律違反(違法)でしょうか。

もし仮に、上の条文が「特定都道府県知事は、外出を禁じることができる」とか「施設の使用を禁じることができる」などと規定されていれば、これを守らない者は違法であると言えるでしょう。しかし、あくまで「要請することができる」と規定されています。

これも情報番組等で繰り返し言われてきたことですが、「要請」はあくまでお願いであって禁止ではありません。もし、知事が「外出しないでください」「営業しないでください」と発言したとしても、知事の言葉それ自体は「法律」ではありませんから、現行法上は自粛要請に違反したことをもって違法(法律違反)ということはできないのではないでしょうか。

適法な者を糾弾するよりも

このように考えていくと、自粛警察によって行われているのは適法な者を糾弾するということのような気がします。もちろん、一般的な感覚として法に触れなければ何をやっても許されるというわけではないでしょう。人に迷惑をかけないといった責任ある行動をとるべきだし、法的責任はなくても道義的責任は誰にでもあるのではないか、と考えることはむしろ自然なことです。

しかし、他方で自粛警察による行いが度を越えているのも事実です。むしろ、プライバシー侵害や営業妨害など、自粛警察の側が違法と評価されるような行いをしているとも考えられます。

このように考えると、適法な者を糾弾して自らが違法と評価される行いに手を染めるくらいなら、そのエネルギーを特措法自体の仕組みに向けるというのはどうかと思っています。

自粛要請を守らなかったとしても違法ではないのは、他ならぬ特措法がそのようになっていないからです。もし仮に「外出を禁じることができる」「施設の使用を禁じることができる」などと規定されていれば、お願いではなく禁止することができます。しかし、そうなっていない。この点については批判がなされているところでもあります。特定人を攻撃するくらいなら、より高次元の問題を議論するという形に昇華した方が民主主義にも資するように思います。

第〇条 不要不急の外出は、これを禁ずる。

それではこのような法律を作ってしまえば問題が解決するかといえば、そうではないと思われます。そもそも、このような法律は作れるのでしょうか。

特措法5条 国民の自由と権利が尊重されるべきことに鑑み、新型インフルエンザ等対策を実施する場合において、国民の自由と権利に制限が加えられるときであっても、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものでなければならない。

特措法にはこのような規定があります。もっとも、このような規定がなくても、個人の自由や権利は最大限尊重されるべきです。外出や営業を禁止すれば、移動の自由や営業の自由を制限することになります。そのため、不要不急の外出を「一律に」禁じることが、必要最小限のものといえるかについては議論しなければなりません。

それ以上に問題なのは、「不要不急」かどうかの判断基準が不明確であるということです。例えば資格試験を受験することは不要不急でしょうか。何度も受験機会があるとすれば不要不急といえるかもしれませんが、就職活動のためにどうしても資格試験の受験が必要となると話が変わってくるかもしれません。

このように判断基準が不明確であるということは、「グレーゾーン」を生むことになります。この「グレーゾーン」が存在することによって、仮に適法であったとしても、判断に迷うために、そのような行動をとらないようにしようと考える人が出てきます。そうすると、本来は適法なのに、結果としてそのような行動をとることが制約されるという事態が生じます。これでは、国民の自由と権利に対する制限が必要最小限のものではないということになるのではないでしょうか。

ここから要請されるのは、国民の自由や権利に制限を課す場合には明確なものでなければならない、ということです。このような視点を持ちつつ、特措法がこのままで良いのか、良くないとすればどうあるべきかを考えてみるのはどうでしょうか。

余計な一言

自粛警察の方々にこのようなことを考えてもらえるとは思いませんが、ただ、ほんの少しの手掛かりがあれば、法律や政治のバックグラウンドがない人でも政治的な意見を持ち、高度な議論をすることは十分可能だと思います。そうすれば、政治について少しは興味を持てるようになり、ひいては選挙に対する関心ももう少し高まるのではないかと密かに思っているところです。


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