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2019/3/30 BURNOUT SYNDROMES 『明星〜We have a dream〜』 @仙台darwin

3月を丸々1ヶ月使って回ってきた明星ツアーも、ここ仙台がいよいよツアーファイナル。
開演時刻が近づいて、楽しみな気持ちより先に「あ〜終わっちゃうんだ」という気持ちが立ちはだかって、おい、まだ泣くのは早いぜ自分。
最後の最後で若干開演が押して、気が抜けてちょっと笑ってしまった。
これで観るのは3回目のオープニングムービー。仙台のお客さんの反応はどうかな?

数學と文學と音學に於いて
3であることを証明する

何度も観てきた映像なのに、「バーンアウトシンドロームズであることを証明する」で駆け出す3人の背中がエモすぎて、泣いたことないタイミングで涙が出た。そのままステージに本物のシンドロームズが現れて、まだ曲も始まってないのにジョバジョバ泣いた。ここは仙台ツアーファイナル、終わりが始まっていく感覚が確かにあった。

始まってしまえばすぐに楽しいに巻き込まれて、涙も引っ込んでいった。ライブでこのセトリ聴くのはもう3度目だな。次の曲が何かも全部知ってんだ。
"アタシインソムニア"のCD音源ではギターで難しいことやってるとこ、ライブではほとんどベースが代わりにやってんだね。めちゃくちゃカッケーから、これからもこの曲ライブでいっぱいやってほしい。
"あゝ"はレコーディングの時に「良くない音を追求した」ってラジオか何かで話してたけど、ライブでもそれを再現してるのかなあと思いながら聴いてた。ドラムは少しテンポがルーズだし、ギターは乱暴に掻き鳴らされる少し濁った音。でも演奏自体は破綻していない、破綻しないギリギリをいく緊張感。2番で東京公演と同じく「説教も同情も要らないわ」に行けずに「ラブホテルの」って歌い始めてしまった熊谷さん。東京では「………………(沈黙)」ってなってたけど、仙台ではなんとか軌道修正を図ってウニャウニャしてたのが、ごめんなさい可愛かったです。
ブザーが鳴って次元転移装置が作動し、行き先を決める暇もなく飛ばされた鍛冶場で会った怖い鍛冶職人に、「死ぬまで働け。」って冷たく言われてニヤニヤしてしまう。"MASAMUNE"のあし!て!あしあして!は、ファイナルにしてちょっと慣れてきた。

お次は春夏秋冬体験機を使って1年をまるっと楽しむ旅へ。"檸檬"でステージが綺麗な檸檬色一色に染まった光景が網膜に焼き付いた。そこに深い青も混ざって、照明さん良い仕事しすぎですありがとうございます。
熊谷さんが人差し指で空を指して「秋、蜻蛉が舞う空。"Dragonfly"」って言う声が好きだった。フルで聴きてえんだよ…
"サクラカノン"はこのツアーで初めて泣かずに聴けた。後ろをゆっくり振り返ってから「何度も振り返る」って歌う熊谷さんに気がついたのは東京公演だった。

😎「もう1つひみつ道具持ってきた!」と、お馴染みのどこでもまどの流れ。但しお馴染みじゃなかったのはノックの回数。10回叩いて開いた先は……アフリカ?😎「本当に初めて行くところだからどうなるかわからない!」と、ファイナルにしてツアー初の試み。「darwinで"ダーウィンに捧ぐ"が聴きたい!」期待はしていたけれど、本当にやってくれるところが、粋でニクいなあ。大サビで大裕さんが翳した栄光のサインにつられて、観客全員が二本指を翳す。ステージの照明をバックに、いくつものピースサインのシルエットが浮かぶ。そんな景色を会場の後方から眺めながら、ああ、幸せだなあ。と思っていたんだ。

アメリカで"SPEECH"を聴いて、大裕さんが「まだまだいろんなとこ行こう!」ってノってきたところで、時空を越えてきたシンドロームズは元の時代に帰る時間に。入れ替わるようにして客席から登場した26歳のシンドロームズ、髪を切った熊谷さんを近くで見たら、遠くから観てたのより5割増くらいで可愛くてびっくりした。

タイアップ曲を中心に怒涛の勢いで駆け抜けて、静まり返ったライブハウスに大裕さんのヘッドセットが拾う吐息だけが響く。ああ、もうすぐ本編が終わる。
😎「どこでも寝られないことなんてなかった鋼のメンタルを持つ俺が、昨日は寝られなかった」
そんな彼が、僅かな睡眠時間の中で夢を見たという。ライブで声が出なくなる夢。
「そしたら俺、MC全部フリップに書かなあかんなって(笑)普通諦めるやろ!(笑)」「どんなことがあってもBURNOUT SYNDROMESを辞める選択は無いんやなって」
まだ笑っていられた、ここまでは。
「熊谷にも訊いたことあるんよ。『お前声が出なくなったらどうする?』って。そしたらこいつ『新しいボーカル入れたらええやん』って。あ、こいつもやめないでいてくれるんや、って」
この時には、もうボロボロに泣いていた。私の中で熊谷さんのイメージは、死を憧憬と呼び、明日地球が滅亡することを「願ってもない」と言う人で、この世に対する執着が無い人なのかもしれない。そんな人が、声が出なくなって、歌えなくなったとしても、BURNOUT SYNDROMESは続けるんだって。
ドラムの方を振り返りながら「廣瀬なんかさ」と続けたところで、大裕さんが黙るから「?」ってなってたら、「……最高やんか」。遠くから観てたから、最初は気づかなかったんだ、大裕さんも泣いていたことに。天を仰いで「汗がすごいわ」なんて誤魔化すから、気づいちゃったでしょ。もらい泣きしちゃったでしょ。
廣瀬さんは"もし"なんていう話ではなく、ジストニアを経験して足が思うように動かなくなりながらも、セッティングを変えてドラムを叩き続けてきた人。実際に乗り越えてきて、今、ステージの上に立ち続けている人。"もし"なんて話しなくても、今までの道のりが証明してる。廣瀬さんも何があってもBURNOUT SYNDROMESを続ける気しかないってこと。
この日初めて知ったことだったのだが、仙台darwinがソールドアウトするアーティストは、Zeppクラスのすごい人たちばかりらしい。
「ソールドアウトしてほんまに嬉しい」「もっと大きなステージに立ちたい」そのためにはもっとたくさんの人に愛されないといけない。それなのに「でも俺たち不器用やから、目の前の貴方のことしか考えられへん」と、この瞬間だけはここに集まった私たちだけを精一杯愛してくれる、誠実な彼ら。そういうところが大好きだ。"ナミタチヌ"でフロアを波立たせて、本編が終わった。

アンコールは苺さんが企画してくれたFLY HIGH!!の合唱だ〜!ってそわそわしていると、前列の方から歌声が聞こえてきた。だんだん広がって、ライブハウスが一つになる。私もめっちゃ声張って歌うつもりだったのに、泣けて泣けてしょうがなくて、結局ろくに歌えなかったことをここで白状します。すみませんでした。
"商売繁盛"で登場したカワタイさんは、いつもと声が少し違うような気がして、絶対裏で泣いてきたでしょこの人って勝手に決めつけてた。
世にも珍しい手拍子でリズムを取りながらのグッズ紹介。廣瀬さんイチオシの手鏡を「男性はホワイトデーのお返し用に10個くらい買っちゃいましょー!」って言ってたの、東京だっけ?仙台だっけ?
大裕さんが「最近鍛えてるから呼んだらマッチョのポーズで出てくるはず」って無茶ぶりするから、言われた通りマッチョのポーズで出てきた熊谷さんは、いしかわたいゆーに対してとてもおこ😡だった。可愛かった。

ツアーの途中からアンコールに追加された"若草山スターマイン"を終えて、いよいよ、本当の本当に最後の曲。いつだって「俺らのはじまりの曲」と紹介される、"ラブレター。"。やっぱりこの曲が一番楽しそうだった気がしたなあ。この曲に対して明るい曲だというイメージはあんまりないんだけど、ライブで演奏してる時は3人がすごい楽しそうだから、「あれ、こんなに楽しい曲だったっけ」ってなる。大事な曲なんだね。知ってたけど、何度でも思い知らされる。

3人で手を取ってお辞儀して、エンディングムービーへ。(主に石川大裕ばかりの)いつものスタッフロールが流れる。いつもと違ったのは、始めから終わりまでずっと拍手が鳴り止まなかったこと。「ちょろいよ 熊谷和海」と「映像編集 TAKUYA HIROSE」、そして「総監督 石川大裕」で一際拍手が大きくなる。ツアー完走を労う、あったかい拍手で包まれたあったかい空間だった。

次のツアーの仙台Rensaが発表された時に「キャパわからん(ポカン)」となってしまったけれど、仙台のお客さんたちが歓声を上げているのを見て、どうやらすごいらしいぞ…!と嬉しくなった。この日までは「仙台の手売りどうしようかな〜」とか言ってたのに、土曜日であることを確認して即購入を決断。いや、多分何曜日だろうと買ってたんだろうな〜とは思うけど。
3人分のお手紙を渡すと「すげー!全部封筒が違う!」と喜んでいた大裕さんがとても可愛かった。大裕さんも廣瀬さんも、終演後にまで私たちと会ってくれてありがとうございました。

はじめての仙台。そして、バーンアウトのワンマンツアーのファイナルを観るのもこれがはじめてだった。ツアーファイナルのライブハウスは、すごく幸せであったかくて、今日ここに来て本当によかったって心から思いました。めちゃくちゃ帰るのがつらかったけど、この日の思い出があったから4月からの新生活に立ち向かうことができたんだろうなと思います。
いつもライブで会って仲良くしてくれる皆さんありがとう。また次のツアーでもよろしくお願いします☺︎

P.S. 仙台レポ上げるのクッソ遅くなって本当にすみませんでした!!!!!!!