辰巳芸者と飯炊き女の話

辰巳芸者「高砂」と、彼女にひょんなことから懐くようになった歳下の飯炊き女「みよ」。みよは同僚が高砂を悪しざまに噂するのに腹が立って反論めいた口を出す。愚痴を言いたくなる環境ではあるし、自分から遠い存在ほどものを言いやすいのも理解はするが、そこで我慢するほどみよは大人ではなかった。

愚痴を吐いた相手の気持ちに寄り添うことができず、状況的にも下手を打ったと頭を抱えたが、案の定翌日からみよに対するいじめが始まる。最初は流していたみよだが、ほどなくして堪忍袋の緒が切れた。何せみよは堪え性がない。厨の備品を大いに壊しながら「やり方が気に食わん」と声を張った。

「お前にわっちの気持ちがわかるもんか」と毒づく同僚に「わかるものか、ご同様にオマエさんもコチラの気持ちなぞ分かるまい、人が人の気持ちを分かるなぞあってたまるか、ンなもん夢じゃ幻じゃ、人はみな一人でしか生きられん、それがイヤなら死ぬまでだ」と吐き捨てた。

またしてもやってしまったと、みよは悔いたがもう遅い。その場は上の人間がとりなしてくれたが、みよは別室に呼ばれてきつく仕置を…受けることを覚悟したが、そうはならなかった。上役はみよに相手の身の上を簡潔に話した。同情にたる身の上であったがままある話でもあった。問題はそこではなかった。

問題はみよ自身のやり方の極端さであり、そして相手に対しての姿勢であった。何かあると攻撃的に突っかかっていく自覚はあり、また何かあるたびに自分のやったことに落ち込んでもいたので、みよには上役の窘める言葉が深く刺さった。上役は決してみよを責めなかったが、心配しているようだった。

ことが起きてしばらく経って、みよは高砂からひとつお願いをされた。失せ物を見つけたら知らせてくれという。何を失くしたか問うと櫛だという。さぞや高価なものだろうと特徴を聞くとそうではない。なんでも、細工師であった身内が持たせてくれたつげの櫛だという。

高砂という女性は辰巳芸者然とした気風のよさや意地と張りを売りにするよりは、むしろたおやかな空気を纏いそれを自身の美点としていた。周りから多少浮きもするし、人によっては煙たがるかもしれないが、彼女の内面にはしゃんと芯が通っていることをみよは知っていた。外と内の差は彼女の魅力である。

さて、結論から言えば櫛は見つかった。みよが噛み付いた同僚が高砂の座敷を訪ねてきたその時、ちょうどみよが同座していたのは互いにとっては甚だばつが悪かったが、彼女が懐から櫛を出して高砂に渡したのだ。

曰く、拾ったはいいが誰のものか分からず保管しておいたという。みよは相手への悪印象から「まさかオマエさんが盗んだのではあるまいな」という根拠もない疑いをぶつけそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。櫛を受け取った高砂が、居直って深深と彼女に頭を下げたからだ。

ありがとうございんす。これはわっちの大切な人の形見。自らの不注意とはいえ、今日まで拠り所を失くしたような心持ちで過ごしておりんした。ほんに、ほんに、ありがとうございんす。
深く染み入るような声だった。同僚は少しの逡巡を見せた後、ひとつだけ頷くと踵を返してその場を辞した。

高砂はしばらく頭を下げたままだったが、ふっと息をついてみよに向き合った。
「みよちゃんも、ありがとうねェ。櫛のことをみんなに聞いてまわってくれたのもだけど、アンタ、わっちが悪く言われた時に庇ってくれたんだってね?」
アンタの上役から聞いたよ、と高砂は笑って言った。

そして、「アンタは本当に気立ての良い子だねェ」と、みよに微笑んだ。
その時、何故か、本当に何でか分からず、みよは泣きそうになった。涙のこぼれるのを顔を歪めて必死に抑えながら、ただ一言「そんなことない」とつぶやいた。

そんなことない。そんなことないのだ。同僚の辛さに寄り添うこともなくただ自分の勝手で言葉をぶつけ、あまつさえ勢いに任せて傷付けることしかできない自分と、真なる心からの感謝を紡いで相手に手渡す高砂と、比べればその違いは瞭然なのだ。気立てが良いとは高砂のような人のことを言うのだ。

泣き出したみよの背中を、高砂は幼子をあやすかのように優しくさすった。みよは良い子だねェ、わっちはほんに良い友を持ったねェと呟きながら、いつまでもそうしていた。

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Twitterに投げたツイートのまとめ。
こんな白昼夢を見たんだ。

なお、辰巳芸者ってのは深川で働いていた芸者さんのことで実際に存在しましたが、全然詳しく知らないのでものすごくふんわりそれっぽいこと書いてるだけです。ごめんなさい。

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