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死ぬはずだった

偽善だ氷山の一画だと言われても
僕はただ明日死んでしまう事が悲しかっただけで、
何が解決できなくとも
苦しみながら死んでしまう姿を思うと
いたたまれない気持ちだった。

いわゆる保健所から猫を引き取りました。

殺傷処分されてしまう猫や犬がいる。
人間の都合で殺されてしまうんだ。
ならば牛や豚はどうなんだ。
犬や猫も食べればいいのか。

わからない。
食べられるのなら良いのかもしれない。

その習慣や考え方がないからわからない。

そう考えるとますます罪深い気がする。

愛護の精神とは何だろう。
食物連鎖との違いは何だろう。

牛も豚も好きだ。
食べられなくなったら正直困る。

簡単にペットを保健所に預ける鬼畜は別として命が見えていなかった。

自分の浅はかさに呆れた。

命が見方が時代の価値観に作られていた事、

それは当然かもしれないけれど、
僕の中にあった黒い感情が色褪せる。

ふとした際に里親と検索し、
命のカウントダウンの羅列に憎悪を抱き、
怒りと涙とが溢れた。

あの時に純粋に込み上げた感情は本当でも、
まるで模造品のような何とも言い難い感覚だ。

命を冒涜する世界に対し
怒り、憎む資格が無い。
自分への失望か、核の崩壊か、
急に腹の底が冷えてしまった。

命に感謝して食すのか。
ベジタリアンにでもなるか。
いっそ断食か。

そういう問題じゃない、
憎むための心は後付けでは作れない。
煮えたぎらせるものじゃない。

棚から墜落してポキっと折れたような虚脱感。

死ぬはずだった猫はまだ僕を警戒している。
いっそ軽蔑してほしい。


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