見出し画像

極彩色の天国と地獄

苦しくない時にはわからない。
苦しんでやっとわかるのは人の業か。
背景なんてどうでもいい、
苦しんでいる人は苦しんでいる。
大切なのはその事実だけで、
その事実だけに優しい世の中であってほしい。

苦しい昨今ですが、それはきっと僕だけではない。
誰かしら、何かしらに苦しんでいるだろう。

ふと、何のために人は生きるのだろう。
なんて湯船に浸かりながら考えた。
湯船で結論は出なかったけどビールを飲みながら思った。
「何故に生きる」
志があろうと、なかろうと、
生まれたから生きているのだろう。
それは悪い事ではない。
何かしら楽しい瞬間に心を焦がす、
そんな人生謳歌も素晴らしい。

苦しんで初めて悩む。
それが「知る」ことなのかもしれない。

心は鏡だろうか。
苦しみはを冷静に考えてみれば、
その答えや原因はわかる事もある。

けれど正体不明なこの墜落感は「何」だ。

双極性障害、最近よく見かける言葉だ。
僕はそれを数年患っている。

陰陽の双極は、両極端。
ふと陰の端まで心が墜落する。
そしてその鬱に飲み込まれる。
「知らなければ」想像できない墜落だ。
知らない方がいい、知って何の幸がある。

少し言いづらいけれど、僕は鬱だ。
人生は小説より奇なりと言うが、
まさか当事者になるとは思わなかった、
そんな出来事が多々あった。

鬱になって世界は色を変えた。
人は他人の苦しみに対して無知な事を知った。
きっと僕もそうだった。
きっと無自覚に誰かを傷付けてしまっただろう。
鬱を知るまでは。

体調が悪くて何をするにもつらいのが今。
身体はやつれ、双極の波に翻弄され、
生きている事がつらい。

もちろん光に満ちている瞬間もある。
けれど陰への墜落の際のダメージは常に光を上回る。

出来ていたことが出来ない。
まるでストライクを投げられないピッチャーの様か。
唄う僕は、
出したい声色が出せない、
音を外してしまう、
リズムがぶれる、
全て致命的だ。

ならば今、何をすべきだろう。

言うまでもない、治療だろう。
自分の体のための時期を今は過ごすべきだろう。

けれど周りがうるさい。
安息に喧騒だ、休まらない。
馬鹿げだ遠回りだ、
僕は回復を望んでいるのに治療を妨害する。
唄うための治療を、歌えと妨害してくる。

「お前は馬鹿か。」
お互いにそういった具合だろう。

ボールしか投げられないピッチャーがマウンドに立つ。
そんな馬鹿げだ話があるだろうか。
これが僕の言い分だ。

ボールでもいいから休まず投げろ。

嗚呼もう、書くだけ煩わしくなってきた。

誤解を生むだろうけど端的に言おう。
今より良く生きるために協力して欲しい、
と言ったところで甘えだとしか思われない。

苦しい最中に煽られる屈辱だ、
それでもボールしか投げられない。
どんなに狙って投げたところで、
僕の意思と身体が噛み合わない。
だからボールになってしまう。

この屈辱をお前は「知る」ことが出来るか。

さて、苛立ってきた。
双極の陰に陥りはしなくとも、苛立つ。
陰に墜落するのは予期せぬ瞬間、
まさに「突然」そのものだ。

珍しく長々と駄文を書いたけれど、

知らないとことを「知る」ことは難しい。

そして苦しいという事実、
そこに着目することは難しいこと。

今僕の目に映る世界は、
極彩色の天国と地獄の絵図だ。

けれど、僕は僕のために生き、戦う。
生きて叫ぶ、今この瞬間の気持ちも。
必ず戦場に戻る、それを諦めない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?