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対局は鏡の中で出血する
耐える事を強いられ、
成功した人がいたとする。
耐える美談になるだろう。
耐える事を強いられ、
死んでしまった人がいたとする。
耐える悲談になるだろう。
物事には対局がある。
極端であるほど対局がある。
鏡の無い世界じゃ僕らは何も判断できない。
自分が正しいと思う自身は大切だ。
けれど自分こそが正しいと思ったら間違いだ。
そう言い切る僕も愚かしく間違ってるだろう。
それでも極端な思考を押し付ける環境下で、
悲しく亡くなってしまった人たちを見てきた。
だから僕が間違っているとしても、
僕は主張する。
目の前に苦しんでいる人がいたなら、
それがどんな理由であれ、
「苦しんでいる」
その事実こそが重要だと思う。
耐える美談は自分で作るべきものだ。
耐える悲談を作っちゃいけない。
鏡を見ろ、誰かに強要したことを言ってみろ。
お前は正しいのか、鏡に問いかけてみろ。
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