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それはとても危険なことだ

苦しみは当事者でなければわからない。
それがわからない人は多い。
それはとても危険なことだ。

あらゆるストレスと想定外に鬱は開花する。
虚無や苦悩、やがて爪先が死へ向かう。

まるで雨の様な暗闇に濡れて晴れない、
拭えない。

当然、息苦しくて辛い。
こんな日常が何年も続いて正気でいられるだろうか。

いじめやハラスメントを苦に自殺する人もいる。
悲しい事だ。

耐えられるだろうか。
どうだろう。

そばにいる人、社会、生きる為、生きながら、
四六時中逃げられない苦しみ、どうだろう。
当事者にならないとわからない。
けれど考えてみてほしい、
過去最悪の時期や出来事が再来し、
それが続いたならば、どうだろう。

一度耐えられた事であっても、
続けば、終わらなければ、
あなたは耐えられるだろうか。

鬱の苦しみは継続性にある。
少し寝込んで治るインフルエンザとはわけが違う。

さて、最近当事者になった人がいる。
とても苦しそうで、見ていて悲しくなった。

その様は、活力が虚無に変わる、
慢性的な疲労に心は晴れない。

かつては僕を蔑んだ一人。
けれど当事者になってしまい、
不運なことに理解し合えた、
それが事が悲しい。

こんなにも苦しい闇に落ちてしまった事、
祝福できるはずがない。

まるで明けない夜がある、
明けてほしくない明日がある。
その苦悩を部外者はは知らない

当事者にしかわからない苦悩を人は軽く語る。
経験したことのない苦しみをなぜ語れようか。

耳を傾け、ありのまま受け入れる、
それが出来ないのが未経験者だ。

わかる口で語り、追い詰めること。
それはとても危険なことだ。
年間の統計を見ればわかる、
けれどわからない人にはわからない。

僕は見てきた、僕は見ている。

怖れを抱く。

とても危険なことだから。

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