生まれる奴隷

感情で生きてる人間と
共感性のない人間は厄介だ。

と言うと語弊が生まれかねないが、
実際のところ否定はしきれないだろう。

気分屋に振り回されるのは面倒くさいし、
自分本位な考え方を押し付けられても怠い。

長年鬱病をやってると自分を守るために
避けたい人間に対して敏感になる。

「こいつと関わると自分の生産性が落ちる」

生きていく上でとても大事なことだ。

コロナの事もあり、今後ますます自身の生産性は問われていくだろう。
わざわざ害に真正直に付き合う必要はない。
むしろあしらう事を覚えなきゃダメだ。
そのための適当の匙加減を考える必要もある。

誰だって生きたいように生きたいはずだ。
それが理想通りじゃなかったとしても、
老いるだけの時間を過ごすのは嫌だろう。

夢は夢じゃない、願望だ。
自分の幸せを願う事は悪い事じゃないだろう。

むしろそこにこそ、
生きる意味があるんじゃなかろうか。

生きるとは、死ぬまでの過ごし方でもある。
死ぬまで我慢して苦悩し続けるなんて
とても僕には我慢できない。

老後を穏やかに生きるのも大切だけれど、
人はいつか必ず死ぬんだ。
それならば人生を楽しみたいじゃないか。

と、考えると人生となかなかに過酷なものだ。
コケれば苦しい未来が待っている。

「税金を払うために生まれた」
そんな考え方はつまらない。

「生まれた以上、社会貢献するのが義務だ」
ごめん、他の精子に謝りたい。

模範的な生き方をしなきゃならないのか。
そう、しなきゃならないんだ。
その中で幸せを見出さなきゃならない。
なんて選択肢が狭いのだろう。

人生の考え方は人それぞれだと思うけど、

仕方ないじゃん、生まれちまったんだ。

だったら楽しみたいじゃんか。

時に一日、
どうしたら楽しく死ねるのかを考える事も
豊かに生きるために必要かもしれない。
僕はそう思う。

昨今、思うよ。
生まれてた時から奴隷なのかもしれない、
なんてさ。

才能がなきゃ自由に生きれないのなら、
頑張るしかない。
けど失敗したら、
まるで罰のような未来が待ってる。

ま、でもいつの時代も弱肉強食か。
そう考えたら仕方ないのかもしれないけど
けれど失敗が許されないってのは
やっぱりなかなかに酷だとは思う。

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