【記録】或阿呆の日常
□2024.03.20 カーニバル
□2024.03.20 連合赤軍
帰宅後にあさま山荘事件の番組を少しだけ視ていたけど、今回も加藤さんが出ておられて安心した。
総括する上での思想転向は珍しくないし、寧ろ自己批判の延長線上に誤りを認めて、これまでの思想を棄てるというのは並大抵の精神では無理だ。それは私が特別少年院で思想矯正の個別プログラムに従事する中で経験した事だから痛烈に実感する。
確固たる芯として存在してきた思想を全面から否定するというのは危険極まりなくて、自分の存在の全てを喪失するようなもの。空っぽになった状態から自我崩壊を来し、錯乱に至る危険性と隣合わせ。実際に私自身が何者であるのか分からなくなり、死が忍び寄った事からも説明出来る。
個人的に中等少年院送致になった加藤三男の院内生活の状況について興味があり、左翼事件で少年院に来た者は一人も見たことがない。たしか佐木隆三著「死刑囚永山則夫」にて、永山が鑑別所にいた頃に隣の単独室に左翼事件の少年が入ってきたという記述があった筈。
うろ覚えだが、その際に永山が何かしらの影響を受けたのではなかったか。
私がまだ右翼団体に所属していた一回目の鑑別所(平成14年3月6日〜同月27日)はずっと単独室に隔離されていて、隣左右の単独室に入る少年らが1日や2日置きで続々と集団部屋へ移る中、自分だけ放置状態。話し相手が欲しくて暇で気が狂いそうになり、ある日、報知板を下ろして法務教官を呼んだ。
「自分はいつ集団へ移るのでしょうか?」と尋ねると先生が聞きに行った。
しばらくして戻って来ると一言、「お前は右翼団体に今も入っているのか?」と尋ねられた。咄嗟に(何かしら問題があるのかも知れない)と感じて嘘を吐こうか迷うも、書類に詳しく書かれているから後でバレて不利になると面倒くさいと思い直し、素直に「はい」と答えた。するとその法務教官は「右翼は他の者を勧誘する畏れがあるから集団には移せない」ときっぱり言われた。
なので永山則夫の隣にいたらしい左翼少年も思想感染防止を理由に、集団へは移らずに隔離され続けた筈。加藤三男が少年院でどのような処遇を受けたのかは気になっている。
また、後に特別少年院に送られてから暴力団所属の少年に「右翼は集団部屋に移せないと言われたんだけど、そんなの聞いたことある?」と尋ねてもらったところ、「右翼でも集団に移れると思う」と言っていた。
おそらく思想が凝り固まっておらず、暴走族の延長に右翼をやっているようなファッション右翼だとか、その時期の鑑別所の方針にも依ると感じたものである。
□2024.03.21 無所属の亡霊
今の私には愛國心なんて欠片も無くなってしまったのだろうか。右翼時代は天皇失くして日本非ずの意識の下、日本人が団結出来る最後の精神的支柱こそが天皇だと信じて疑わなかった。
先の大戦による天皇の戦争責任追及という危機的状況を回避する意味合いからも天皇主権には断固反対だった。
計画的親米を主張する右翼が多い中で反米的で在り続け、戦後レジームからの脱却を目指しては日本の自主自立を心から願っていた。
それが今ではどうだ。"国家"への帰属意識は翳り個人主義へと邁進し、周囲の同族ら(=所謂「元不良」)に多い右翼的気質の枠組みからも孤立している。かの東大全共闘の芥正彦が口にした「僕が異邦人になっていたんじゃなくて、周りが異邦であった」という言葉を以てしても自分を慰める事は適わず、空っぽになった己の内をただ虚しく亡霊のように彷徨うのだ。
□2024.03.21 水原一平通訳を解雇
朝から衝撃的なニュースでした。
大谷さんの心情は察するに余りあるし、真美子さんも水原通訳の奥さんらと仲良く移動されたり関係性が出来ていたところに複雑でしょうね。
報道によれば水原通訳がギャンブル依存症だったとあり、本人も自分が悪いと認めている様子。
□2024.03.21 菜園観察
4冊購入
鹿鳴館 三島由紀夫(新潮文庫)
新ハムレット 太宰治(新潮文庫)
フランダースの犬 ウィーダ(新潮文庫)
銀河鉄道の夜 宮沢賢治(岩波文庫)
執行猶予中だった頃、文庫本を一冊手にして大きな自然公園でのんびりと寝転がって、タバコをふかしながら読むのが気持ちよかった。
新潮文庫のドストエフスキー罪と罰を読み耽っていたら、晴れていた空が鈍よりと曇り始めて今にも降り出しそうな中、急いで帰宅した。
同時期に執行猶予が付いていた悪仲間はみんな再犯して実刑となり、長野県にある松本少年刑務所まで飛ばされていた。
単調な刑務所生活とは裏腹に、社会では天候さえ変化が目まぐるしくて慌ただしかった。
□2024.03.21 未読で気になっている本
いつか買って読んでみたいと考えている本が何冊かある。
カスティーリャ王国出身のイエズス会初代総長。
霊操では霊魂の鍛え方が綴られているのだとか。何となく、ダンテス・ダイジの「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」みたいな実践書を想像する。
ニルヴァーナのプロセスとテクニックについては、使い方を誤れば発狂すると苫米地英人が述べていた。実際にクンダリーニ・ヨーガの実践を参考にしてみたが、途中で辞めた。
神秘体験については十代の薬物使用により擬似的な経験をしたので興味こそないが、薬物を使用せずに神秘体験に至るメカニズムについては興味が湧いてくる。
□2024.03.21 カーニバル
□2024.03.22 『悪霊』
何度読んでも面白い描写は、繰り返し可笑しくなるのだから凄まじい。
現在の時刻は午前3時44分。大阪市内の気温は1℃ 今頃、黒は眠れているだろうか。
□2024.03.22 夢日記
私が通っていた大正高校(現在閉校)と担任のK谷先生が出てきた!夢の中のK谷先生の顔がそのままでしっかり老けてたのが凄い。
食堂へ名物の唐揚げを購入しに向かうが、唐揚げの貼り紙が見当たらない。
『すみませんOBの者なんですが、唐揚げって今もあります?』
「ああ、唐揚げはない。昔あったみたいやね」
※注 大正高校の唐揚げは当時有名で、めちゃくちゃ旨いんだが腹が痛くなると評判だった。腹痛の原因は油が悪いと噂され、腹の痛さと食欲を天秤に架けて食べたい意欲が勝った時に買うという者が自分含めて何人もいた。値段は忘れたが80円〜100円ぐらいでファミチキよりも大きく、衣がゴツゴツしていた。
近くに座っていたK谷先生らを発見し、「あ、K谷先生。俺のこと覚えてますか?1ヶ月で退学になった○○です」
周囲の先生らが「1ヶ月w」と笑い出した。
K谷「覚えてる」
(本当かよ…)と訝しんでいると、何やら思い出を語りだした。
その後、自分が退学後に少年院に送られた事を告白し、2回目の少年院で「人間」に対して希望が持てた旨を述べ、「高校の頃にもっと早く気付けていれば良かったのかも知れません」と語っていると涙が出てきた。
小学校と高校に関しては然程悪い印象もなく、中学が全てにおいて嫌悪の象徴だった。
周辺住民に対する悪いイメージ払拭のために過剰な浄化運動を推進し、体罰による締め付けが横行。イジメ自殺が起きてしまった時には臨時の全校集会で箝口令を敷き隠蔽に努め、死の真相よりも学校の体裁を守り抜いた教育者の連帯感たるや誠に見上げたものだった。振り返るに、”死人に口なし”という事実を私は中学校で学んだのかも知れない。
思い返しても燃やしてやりたくなるほどの憎悪が湧いてくるのだから素晴らしい。
何が教育だ、子供躾ける前にてめえら大人躾けとけ馬鹿野郎!
□2024.03.22 菜園観察
□2024.03.22 カーニバル
□2024.03.23 菜園観察
三島由紀夫の沈める滝、セリーヌの夜の果ての旅(上下)を購入。
夜の果ての旅は、同じ中公文庫から「夜の果て”へ”の旅」としても出ていて、”へ”付の方が新しい様子。
三島由紀夫、浜崎あゆみ、椎名林檎
□2024.03.23 カーニバル
□2024.03.24 hide
昨晩は筋トレに出る前、ドストエフスキーの悪霊を読みながらhideの曲を聴いていた。
ふと、悪霊を置いたときに流れていたのがHURRY GO ROUNDだった。
この曲は高校時代の通学中によく聴いていた。カラオケではL'Arcばかり歌う中、たまにSOPHIAとGLAYとhideを歌う。
改めてこの曲を聴いていると、何故こんなに耳心地が良いのか気になった。
歌詞の文字数に一定の規則性というのか、とても統一感があって語呂が良い事に気付く。
()部分みたくhideの歌い方でうまくおさまっていたり。
中学の同級生女にhideの大ファンがいる話を以前noteにも書いた。Barで酒を呑みながらhideの自殺の話になると突然泣き出したほど想い入れがあった。
今日、hideの歌を聴いていると無性に哀しくなり、今更ながらに共感していた。
俺は興味のある人の愛読書を調べる癖がある。犯罪者の愛読書を纏めた記事も書いているが、他にもヒトラー(群衆心理/ル・ボン)、スターリン(君主論/マキャベリ)、サダム・フセイン(アラビア語の罪と罰/ドストエフスキー)、ドストエフスキー(レ・ミゼラブル/ヴィクトル・ユーゴー、ドン・キホーテ/セルバンテス、スペードの女王/プーシキンetc)、カート・コバーン(裸のランチ/ウィリアム・バロウズetc)、ジョン・レノン(ライ麦畑でつかまえて/サリンジャー)と続いていく。
hideの愛読書を調べていると三島由紀夫の鏡子の家の他、村上龍の作品がいくつか出てきたり、特別少年院に置いてあったシーラという子も含まれていて懐かしくなった。
また真意は不明であるが、俺が母親から唯一心配されて隠された「完全自殺マニュアル」も一応読んでいたらしい。
□2024.03.24 菜園観察
今日の高松宮記念はまったく閃かない
hideの誕生日12月13日から⑫⑬、命日5月2日から⑤②を馬単馬連で2通り買っても面白みに欠ける。黒で⑨⑥も同様。酒鬼薔薇が少年院を出た3月10日で③⑩とか。
⑤トウシンマカオ ルメール
⑥ルガル 西村淳
⑰マテンロウオリオン 横山典
自分予想の内、まあまあの穴だと⑰が絡むこの三連複。
hideのHURRY GO ROUNDの歌詞に多い文字数や黒を絡めると⑨シャンパンカラーを入れざるを得ず、データ的にも苦しい気がしてならない。今日はマジでムズい。
[結果]
②-③-⑩-⓭-⑫
正直、穴が当たる時は旧約聖書やドストエフスキーだとかその時に応じたインスピレーションで買うからこそ多少無理できてしまうけど、今回みたいにデータで読んで当たる場合はやっぱりしれてるんですよね。嬉しいけども。
□2024.03.24 カーニバル
帰りに黒のねぐらに顔を出してから帰宅しようと柵を越えると…
□2024.03.25 『悪霊』と”HURRY GO ROUND”
ここ数日、ドストエフスキーの悪霊を読み返しながらhideのHURRY GO ROUNDを何故か聴いている。
hideの『生き溺れても』という表現がとてもしっくり来る。
生きることに溺れて死んでしまった人が実際に自分の周りにもいたなあと思い返すと、この表現がスッと自分の中に入り溶けていく。
あと二人ぐらい身近な他人が近いうちに死にそうな気がしている。
ドストエフスキーを読んでいると、絶望経験はどんなに偉大な哲学者の真理よりも勝ると痛感するし、他人の人生の決定権は尊重したいものだ。俺は何食わぬ顔でのうのうと生きていくから。
□2024.03.25 菜園観察
シーシュポスの神話 / カミュ(新潮文庫)を購入。
悪霊 / ドストエフスキー
死霊 / 埴谷雄高
虚霊 / 立木鷹志
怨霊、亡霊、生霊、魔霊
□2024.03.25 カーニバル
まったりと埴谷雄高のドキュメンタリーの続きを視聴する。
□2024.03.26 菜園観察
梶井基次郎全集(ちくま文庫)を購入。
新潮文庫の梶井基次郎『檸檬』は持っていて度々読んでいたが、ちくま文庫の全集には習作の24作と遺作の11作品(交尾は新潮文庫にも収録)が紙面で読める。
昨晩に視聴した埴谷雄高のドキュメンタリーでは、埴谷が梶井についてこう触れている。
□2024.03.26 カーニバル
□2024.03.27 黒のムズがる顔
ほぼ毎晩、黒を撮影しているけど未だに撮れていない瞬間がある。
グズる、ムズがるような困った顔をする時の黒の表情が何とも言えないのだ。
一体、黒は何を訴えかけているのだろう。
この顔には見覚えがあった。学童保育で勤務していた頃である。
外で遊びたくてたまらない小3に「宿題をしてから」と申し向けたときの納得いかない様子にそっくりなのだ。
[黒の可笑しい表情]
この他にも、着いてきているか確認する際の後ろを振り向く黒の顔が好き。
□2024.03.27 夢日記
大地震ではない何かしらの大災害が起きており、その上、原因不明の病が発生する中、長蛇の列で並んでいた。
周りが気になった人達と一緒に辺りを確認に向かうと、前方が禿山になっており何頭もの大きな熊がウヨウヨしていた。その奥には見たこともないほど大きくて獰猛なゾウが右往左往している。
先に進めないので引き返すとボランティアの人達が帰宅困難者のために大型バスの臨時便を手配しており、怪我の手当てを行っていた。気づくと真っ暗になってきて、大型バスを待つ列の最後尾に自分が並ぶと吐血したボランティアの医者が両肩を支えられて連れられてきた。
全てがカオスでこの世の終わりのような気配が漂っていた。目が覚めてから大地震直後の被災地を想像していた。
□2024.03.27 菜園観察
盗賊 三島由紀夫(新潮文庫)を購入
□2024.03.27 カーニバル
□2024.03.28 菜園観察
□2024.03.28 リンチについて
最近、福岡県犬鳴峠のリンチ殺人事件について会話になった折、どうしてあそこまで出来るのかという話になった。
不良にとってリンチは一度や二度経験している筈で、私の記事を読んでいる不良経験者の方も思い返してみてほしい。
リンチをしていた時、どういった感情に支配されていたのか。
私もnoteで何度かリンチについて触れた事がある。
まず”リンチ”について調べると、「法律によらない私的の残酷な刑罰。私刑」と出てくるので、単独リンチと集団リンチに大別されるとしよう。
まず思い返されるリンチは、地元の少女らにシンナーを流していた隣地区の奴を捕まえた時に、深夜の公園で加えた暴行である。
この時のリンチ加害者は私で、被害者は高校のあった地区の同い年だった。当初、タイマンを張るという名目で相手も手を出していい事になっていたが一度も出してこなかった。この点について以前のnoteでは「相手自身に負い目があるため、やり返すと更に酷い仕打ちに合う畏れから萎縮する心理が働くのではないか」と纏めていたように思う。
この時の単独リンチでは”相手に非がある”という正当性から暴行に躊躇いがあまり無かったように感じる。現在の私が正義感について慎重になるのも、こういう経験の積み重ねなのかも知れない。人間の正義が暴走した時ほどたちが悪いものはないので。
この時のリンチでは外野(仲間や後輩)がいた事から中途半端な制裁は示しがつかないという心理も働いて、暴行をより加速させたように振り返る。結果、相手が鼾をかきだしたところで冷静になり、腹部を思い切り足で踏み降ろして終わりにした。
次に思い返すリンチは別記「あの家の記録」の舞台となったB地区で起きた。ここでは暴力団の息子と懇意(五分の兄弟)だったXがB地区の権力者的立場にあり、その下にいたグループA(兵庫県2地区の連合体)と私ら(兵庫県内の暴力団組長の息子に属する大阪グループ)がつるんでいた。
我々にはルールがあり、仲間内で下手を打った者を近所の竹藪に連れて行ってリンチ制裁する。
特少事件の共犯者でもあり、大阪グループのUがその日とうとうリンチの対象となった。
元々、仲間であるため手心は加えたい心理こそ働くがXに対する忠誠心も示さねばならず、手を抜いた事がバレた時に叛意を疑われたら最期であるため、嫌でもやるしかない。
この時にリンチ氏名されたのが大阪グループの私と兵庫グループの年少者で特少事件の共犯者Cだった。
まずCはこの時期になると諸事情から半ば狂っていたため、仲間にリンチを加える事に一切の抵抗感はなく、むしろXに従順な暴力装置として率先してUに暴行を加えていた。
顔面が腫れ上がって肋付近が何やら突出して痛がるUに対し、Xは次に「蛇ちゃん次やり」と申し向ける。倒れているUの服を掴んで起こし何発か顔面を殴り、竹藪の少し奥辺りまで押し倒した時に小声で「殴るのに合わせて痛がるふりしろよ」と告げ、顔面の右横の土を思いっき殴るを繰り返す。その度にUが「ううっ!」やら「うっ!」と調子を合わせる。数メートル後ろからは私がUの顔面を思いっきり強打しているように映り、時折バレないように肩を思いっきり殴った。
この時、Uは仲間であり手心も湧くのだが、ここに至るまでにUがかなりの下手を打ってきた事も事実であったため、可哀想だとかの同情心は一切湧かなかった。ただやり過ぎて死なれると自分が困るので手心を加えていたが正しい。
他にも何件かあるが大体印象深いリンチで自分が参加したものだとこれら2つだろうか。
犬鳴峠事件と違っていずれも相手に非があるという共通点があるだけに、却って殺しやすい気がするのだが大事に至らずに幸いだった。
また、私以外で思い出すのが平成14年頃に大阪ミナミで発生した少女らによる集団リンチだろうか。
深夜に私ら男4、5人と少女ら4、5人でミナミのグリコの看板近くにある商店街で遊んでいたところ、一人の少女が「○○おった!」と見知らぬキャバ嬢風を指さして捕まえた。
これも以前noteで触れたと思うので端折るが、纏めると男に手を出したとかで飛んでいたらしいところを油断して繁華街に出てきて発見されてしまった。
そのままガレージ、(確か)カラオケ店のトイレ、ビル内のホールなどを連れ回される中、少女らは暴行、私ら男は「そろそろ辞めとけ」と静止。中学時代に女らのイジメに口出した時同様、「女の喧嘩に男が口出さんといてくれる?」と跳ね除けて男の介入を許さない。
ライターで肌を焼かれて、髪の毛を燃やされ、うさぎ?のぬいぐるみのキーホルダーを焼かれ、執拗な暴行が何時間も続いた。
この時に男らで言い合ったことに「人間が焼かれると臭い(自分はあまり感じなかったが、一人があまりの臭さにブチギレたので)」と「普段殴り慣れていない女のリンチは危ない」であり、どこまで殴れば相手がそろそろ死ぬというラインが分からないままに続ける。
川崎のリンチ殺人などを見ても加害者らは普段一方的な暴力こそ経験はあっただろうが、タイマンや殴り合いの喧嘩など自分が殴られる経験には乏しかったのではないかと感じられてならなかった。そこに群衆心理が作用してやりすぎた時に人が死ぬ確率は高まるのだと思う。
結局、ミナミ暴行の少女らはすぐに全員が逮捕され何名かは交野女子学院に送られたという後日談も入ってきた。
少女が連れて行かれた時は真夜中あたりだったが、解放された時には昼頃に近く明るくなっていた。そのあしでひっかけ橋の近くにある戎橋交番に助けを求めて事件が発覚している。
話を戻すと、犬鳴峠事件の異様さは被害者に落ち度が全くないにも関わらず、殺された点である。名古屋アベック、栃木リンチ、綾瀬コンクリにしても「解放するとバレる」という心理は確かにあって、別記の前科に至る病で被害者2名を山中の奥深くに連れて行った際、このまま解放すると十中八九警察に走ると疑った。
それにしても殺害してしまうというのはあまりにも短絡的に思える。
また、私みたく犯罪に着手する際に「いずれ捕まる」と見越して罪を最小限に留める前提で犯罪をする奴のほうが変わっているのだろうか。殺してしまう奴は「バレない」と信じ切っているのだろうか。「バレないに越したことがない」のは自分もそうだったからまだ分かる。完全犯罪する上で殺害も視野に入っているのであれば、処理があまりにも杜撰ではないだろうか。
そういう意味でもリンチ殺人の多くに計画性がなく、「行き当たりばったりで殺している」という証左なのかも知れない。
□2024.03.28 良くも悪くも自分の人生に影響を与えたもの
改めて考えてみると以下ではないか。
①親の離婚
②虐待
③酒鬼薔薇事件
④重要参考人となった放火殺人
⑤セックス
⑥恋人T.Yとの別れ
⑦少年院生活
自分を何かしら大きく変えたのはざっと振り返る限りこれらだろうか。
薬物はシャブすら依存までいかなかったし、読書植物筋トレも娯楽に留まり何かを変えたという感覚はあれど、自らを構成する重要部分を占めていないと判断。
①(幸せの崩壊)、②(虐待は一人戦争状態)、⑦(特少で破綻者を自覚)はそれぞれ絶望経験であり、⑥で恋愛観に変革をもたらし、⑤はこの世の快楽を知るとともに恋人M.Kとの哲学的性交に快楽の絶頂を覚え、③④は死生観に大きな影響を与えた。
酒鬼薔薇事件の前に起きたオウム真理教一連事件と阪神大震災も少なからず影響を受けたが①〜⑦程では無かったので除外した。
また、特少事件で被害者が亡くならなかった事と19歳時の少年審判は人生の大きな分かれ目だった。(死亡=強殺で逆送後に無期懲役、死亡せず=特別少年院送致で2年以上or検察官送致/逆送され少年刑務所で5年以上10年以下の不定期刑が目安)
こうして振り返ると、絶望と快楽と衝撃の反復なのだろうな。
[追記]
⑧「祖母の戦争体験」も外せない。
□2024.03.28 カーニバル
□2024.03.29 大阪ビル転落死事件の罪状が変更
強盗致死から監禁致死へ罪状が変更ということで、下記事の今後予想に沿った流れになる可能性がより強まった。
のちの取調べから主導は中1によると認定されたが、本件犯行の関与責任がどう分散されるのかについては現時点だと未だ不透明。
15歳が一部否認している点について、28日に大阪少年鑑別所へ観護措置で入所していることから、1ヶ月に満たない程度で少年審判が始まる。(観護措置の期間は4月10日まで)
第一回少年審判で結審しても良さそうな事案(鑑定留置の必要性を感じない)だが、一部否認が争点となる場合には長引いても第二回で結審しそう。
審判結果は初期予想と変わらず男女ともに「第一種少年院送致」で、勧告は相当長期処遇(男女ともに3年が目安、15歳について主犯認定された場合に4年と予想していたが免れたであろうから3年)。
□2024.03.29 菜園観察
□2024.03.29 小学時代に一人暮らし状態だった人
自分以外にも以前に何人か見つけたのだけど、ゲーム芸人フジタともう一人誰だったっけな。ミュージシャンだった記憶があるが思い出せない。
今振り返れば鬱陶しい大人に干渉されずに気楽でよかったなと呑気に思う部分もあるが、当時は中々キツかった。お金をガチャガチャやカードダスや友達に奢ってしまうから、食事に困る。冷蔵庫の中の物が無くなれば、ライフラインは学校の給食で余ったパンを貰って帰る。家庭事情を知っている同級生らもパンをくれたりするのだけど、却って子供心に惨めになってキツかったのを思い出す。
どこかの育児放棄による虐待死事件だったと思うが、亡くなった子も学校の給食で何とか食いつないでいたと報道で知り、めちゃくちゃ共感できた。マジで学校の給食はライフラインだったから。
素行不良の上級生や中学生が集まってきてたまり場になるし、転校してきた女子I.Mと性的な興味を確かめ合うなど性の乱れにも繋がるケースはあり、親が帰ってこないからと警察を呼んでもどうすることもできず、見兼ねた学校の先生が施設のパンフレットを持ってきて入所を薦めるも、親がいる自分が何故行かなきゃならないのかと拒み続けるので途方に暮れていた。
結局、小学生が一人で家にいて友達が夜も集まり騒がしいからと大家からの退去勧告が繰り返された事で引っ越しとなりこの生活が終わった。ただバイオレンスを伴う虐待時に比べればネグレクト時期は寂しいだけで気楽だった。
ゲーム芸人フジタなんかはずっとゲームしていたらしいけど、俺もファミコンとスーファミを夜通しやってたものの流石に飽きてくる。火遊び、ピンポンダッシュ、ダイヤルQ2、万引き、石投げなどスリルを求めだすし、周りに止める大人がいないのでやりたい放題だったから、フジタや失念中のミュージシャン?らと幼少期を比較してみるのも何か気づくかも知れない。
□2024.03.29 カーニバル
□2024.03.30 人間
いま人間がぶっ壊れていく様をリアルタイムに観察していて、改めて人間が脆い事を実感する。
正直、俺は本人がそのうち死ぬ気がしてならなかったけど、それでも人間は何かしらに盲信している間は救いのようで、本人にとって救われる世界を妄想で作り上げて生きてりゃある程度は保つもんだなと感心している。
その本人に神は存在しておらず縋る事も出来ない。だが、死者が本人の妄想の中で生きていて支えになっている様子。
自分も神は殺して不在だが、自分自身を拠り所として十分に生きていられて、その本人は死者を拠り所として生きていられる訳だから中々考えさせられる。
人間は奥深いのか単純なのか分からなくなる。興味深い。
□2024.03.30 菜園観察
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