【総括】前科に至る病
プロローグ
自分には前科が一犯ある。
イジメに絡む一件の殺人事件から、負の連鎖のようにすべてが始まった。
長年ずっと整理がつかないまま生きながらえてきて、三十も半ばを過ぎると、周りで早い者は数人が亡くなった。
人間はいつ死ぬかも分からない。気づけば歳を重ねて、そのうち死んでいく。
自分もいずれそうなるし、自戒や精神整理も含め、時系列に振り返りながら記載していきたい。
Tour Ⅰ 奇妙な旅のはじまり
「北九州に行くぞ」
蛇沼がそう言うと、車は動き出した。
運転席に武村、助手席に蛇沼、後部座席には少女がニ名乗っている。
途中、コンビニに車を停車させると武村を一人残し、蛇沼と少女二名の三名で道中の四人分の飲食物を買い込む。
この間、もちろん武村は逃げなかった。
車に戻ると「吹田から名神乗って」と蛇沼は言う。
「え…?北九州って福岡ですよね?」
「ええから」
しばらく走ると武村の携帯に宮部から電話があった。
武村が蛇沼を気にするので「ええよ出て」と伝える。
「もしもし…?」
「うん…えっと…」
何やら言いづらそうにしていると分かった。
「ええぞ。好きに喋って」
「うん…今一緒…」
この時、宮部が武村の周りに蛇沼たちがいるのかを探っていると気付く。
「今からどこに行くのか聞いてます…」
「関東や」
「何しに行くのか聞いてます…」
「そんなもんそいつに関係あらへん。ちょっと代わって」
蛇沼は武村から携帯電話を受け取る。
「おお、宮部か」
すると妙な間が空き「………あ、はい」
「なんや?」
また数秒の間が空き
「………あの、今からどこに行くんです?」
(警察に走った)とここで勘付いた。
蛇沼が十代の頃、先輩から脅迫電話の練習をさせられた時、隣で先輩の指示に従いながら脅していく際の間と似ていた。誰かが隣にいる事は何となく分かった。
状況から、解放されたその足でそのまま警察に逃げ込んだとこのとき思った。
蛇沼は気づかないふりを続ける。
「用事で関東呼ばれて運転してもうとるだけやで。俺はええ言うとんのに」
「………武村の家族が心配してるんで、今すぐ帰らせてもらえないですか?」
「武村、家族が心配しとるらしいから帰った方がええで?」と言うと、携帯に「言うたからあとは知らん。切るで」と続けた。
「………ちょっと待ってください」
「またかけたって」
携帯を切ると電池パックを抜き取る。微弱な電波を拾うため居場所がバレるからだ。当時の携帯電話は本体から電池を取り外せるタイプだった。
「あいつポリ走っとるわ」と蛇沼は笑い出した。
その瞬間、武村が大きなため息をつきながら「なんでや…あいつ」とハンドルを軽く握りこぶしで叩く。
(心にもない演技しやがって)
宮部が警察に走ったことで、隣にいる武村は明確に被害者となり、蛇沼は加害者となった。そればかりか、今現在、まるで人質を取って逃げているような形となっているのだから、可笑しくて仕方がなかった。
蛇沼はあるところに電話をかけた。
「今から東京に用事あるから行ってくる」
宮部と武村に会う前日、泊まっていた先の少女だった。何件か連続して不在着信が残っていたため、警察と既に接触しているのではないかと疑ったのもあるし、警察に裏切るのは時間の問題と踏んで嘘の情報を流した。
案の定、のちに警察の取調べでは電話の通話内容から宿泊中の会話内容まで素直に話していた。
終わると次の電話をかける。
「ああ、今向かってます。六時間ぐらいで着く思います。はい。いますよ。兄貴いまどこいますの?はい、分かりました」
後日、武村が「ヤクザっぽい相手と電話をしていた」と供述した相手で、正体は特別少年院の同級生でもある菅田だった。常日頃から連絡を取り合っており、今回の顛末についても知っていた。
蛇沼が心理的な駆け引きにそういう口調を投げかけると、すぐに機転を効かせて応じ、違和感を消すことができる頭の回転の良さがあった。
検問情報のキャッチ、橋に近寄るな、顔の割れていない少女に食料を買いに行かせろ、車を隠して近づくな等の助言をくれていた。
三人目も特別少年院の同級生で東京の石崎だった。久里浜少年院で先生を殴って移送されてきた。
彼には東京までの最短ルートを尋ねたり、滞在先の手配を頼むなどしていた。
この先、第三者との連絡にて本当に東京へと向かっている様子を匂わせるためにも、移動ルートを把握しておいた方がいい。成り行き次第では実際に東京方面に向かう事だってできると考えていた。
「おい、Nシステムて分かるか?」
「…Nシステムってなんですか?」
「ナンバー読み取るカメラが上に付いとるとこあるやろ」
「ああ、あれNシステムって言うんですか」
「このまま通過して」
当時、Nシステムが設置されている場所は大体分かった。似たようなものに速度違反を取り締る装置が設置されていたが、更に分かりやすかった。
蛇沼らは関東方面に向かっているように見せかけるために、Nシステムにわざとかかり、その先で進行方向を急転回させ、大きく弧を描くようにして進路を変えながら戻る。
後に刑事曰く、進行方向がころころと変わるため警察は「こいつら何しとんや」と思ったらしいが、次第に「こっちの追跡に気づいとると疑った」と言っていた。
そのまま関東とは真逆の北九州を目指す道中、隠れるように停車する蛇沼たちの車の真後ろを塞ぐようにして、一台の車両がスッと停まった。
「後ろ、車停まりましたよ」
「おお、ポリや」
「車出しましょか?ぶつけたら逃げれるでしょ」
蛇沼は笑う。
「それやるとマジで悪なるやん。無理無理、逃げられへんて」
「じゃあどうしたらいいですか」
「警察が名前聞いてくるから全部正直に言うてええぞ」
「…はい」
「こんなもんで捕まるのがおかしいねん。どうせ宮部が警察にあることないこと言うとんやろ」
車の後方が次第に騒々しくなり始めた。
「お前は最初から最後まで高野を虐めてたのも認めてたし、正直に話してくれたことは俺らも感謝してるから」
武村は静かに頷く。
「宮部のクソガキは赦さんで」
そうこうしていると車の運転席側の窓をコンコンコンと誰かが叩くので、武村が蛇沼を覗う。
「ええよ、開けて」
ウインドウを下ろすと、窓外に立つ男が中を覗きながら言った。
「おお、大阪府警本部や。武村…祐くんはどの子や?おるか」
歳は五十代頃で頭髪が薄く背丈は低めだったが、眼光は鋭く、一目で警察だと分かる雰囲気が漂っていた。
武村が一々蛇沼を見る。
「だから言うてええて」と笑うと「ああ、この子ですわ」と代わりに蛇沼が答えた。
男は再度、武村に尋ねる。
「君が武村祐くんで間違いないか?」
武村はこちらを気にしながら「…はい」と答えた。
「生年月日教えてくれるか?」
「おお、全部言うたりや」
「平成…年…月…日」
男は「もう大丈夫やからな?」と武村に呟くと直様目つきが鋭くなり「助手席のお前が蛇沼か?」と聞いてきた。
「うん、そう」
「生年月日」
「昭和…年…月…日」
確認し終えると後部座席にいる少女二名に対しても同様の質問を終え、男が待機中の捜査員に向けて「おおい!生存確認!!」と大声をあげた。その瞬間、車の後方から随所にいるらしい捜査員同士の連携を取り合う声が聞こえてきた。
「おお!生存!」
「了解!生存!」
想定以上の大事におかしくなり「宮部のやつほんまに口旨いな」と蛇沼が呟くと、車内に笑みが溢れた。
まず武村が車を出されると、蛇沼と少女二名もそれぞれ車からおろされた。
目の前の県道を凄い数の覆面車両が並び、警察沙汰では些細な事件でも応援の捜査車両が続々と現着するもので(ほんまに大袈裟な…)と呆れている中を護送車両が見当たらずに待たされる。
既に数名の野次馬は集まっているし、早く捜査車両に入れて欲しかった。
すると護送する車両を振り分ける中、目の前には緊張した面持ちで直立不動している他県の制服警官がいて、出張してきた大阪府警本部にとても遠慮がちにしていた。
護送する車両が決まると周りにいた府警本部の刑事らが「おい歩け、あれ乗れ」と強引に服を引っ張って連れて行こうとする。
他県警の前なので府警本部の刑事らが居丈高に振る舞う様子が伝わってくると、蛇沼は次第に鬱陶しく感じられてきて、とうとう肩の手を振り払いながら言った。
「逃げへん言うとんねん。はよ連れて行けよ」
このとき蛇沼の真後ろにいた府警本部捜査一課の寺岡が蛇沼の右足腿付近を4回に渡り膝で蹴り続けると、耳元で怒鳴り上げた。
「府警本部の捜査一じゃ!」
そのままコンクリートの地面に押し倒すと、暴れる素振りもない蛇沼を制圧し始める。
蛇沼は髪の毛を鷲掴みにされ額をコンクリートに強く打ちつけると、左目上付近と右手の甲なども怪我をした。
こうして蛇沼らは逮捕監禁の容疑で現行犯逮捕され、遠方県から大阪府警の管轄署まで護送されたのである。
蛇沼、少女A、少女B、被害者の武村を各警察車両四台に分乗し、蛇沼らが乗っていた車両を捜査一課が運転していく。
途中、高速のどこかでトイレ休憩のため停車し、そこで蛇沼と少女Aが顔を合わせた。少女Aは「怪我大丈夫なん?」と問うと、蛇沼が「大丈夫」と答え、捜査一課が「喋んなアホぉこら」と怒鳴り上げる。
少女Bは乗ったままで、遠方に武村がトイレで下車する姿も見えた。
少女Aとは蛇沼が中等短期少年院に入る前からの知り合いで、のちの特別少年院で一緒となる高野少年と少女Aも偶然に顔見知りだった。少女Aの友達である少女Bと蛇沼は初対面であり、Bがこのとき家出中だった事は後の取調べで知った。被害者の武村は高野少年を虐めていた加害グループの一人であるが、関与度合いとしては薄かった。
トイレ休憩を済ませ捜査車両が再び走り出す。やがて大阪府警の管轄署に車が入ると各自、取調室に分離されていく。
取調べ室のドアが開いている時、蛇沼は少女Aと少女Bそれぞれと鉢合わせた。少女Aは気鬱そうな表情を覗かせ、少女Bは泣いていた。
暫くして取調室に刑事らが戻って来て、蛇沼に言う。
「お前、さっきからケロッとしとるけど、した事は分かっとるんやろな?」
「した事て、普通に話を聞いてただけですけどね?」
「やかましい。普通に話を聞くだけで車で連れて行くんか?」
「場所を変えただけでしょ」
「そんなもん通るかアホ」
「じゃあ武村に聞いてみて下さいよ」
「これから聞く!お前に言われんでも」
「こっちは途中で何度も武村一人を残して車から降りてますよ?逃げれますよね?何が監禁やねん」
「知らんそんなもん。これからや。おい、お前今から預かり先決めるから待っとけ」
蛇沼は顔にこそ出さないように努めていたが、内心では特別少年院を出て再犯になったことに酷く落胆していた。
ちなみにこの時、蛇沼らを応対していたのは管轄署の刑事ばかりで、本部の捜査一課は引き上げていったと思われる。
そもそも本件のような事件に本部の捜査一課がわざわざ追いかけて来た事には相応の理由があった。のちの取調べにて蛇沼を担当した応援四課の宅見刑事曰く、先に解放されていた被害者の宮部が過剰に被害を申告していた事は見過ごせない。
「殺される」や「あいつらが山に連れて行ったのは殺した時に埋めるため」という言葉が出ていた。
また、警察は蛇沼たちを携帯電話の基地局電波塔の記録から追っていたとのちに感づくが、車の進行方向が弧を描くようにグルグルグルグルと変わりながら、どんどん離れていくため「既に被害者の武村は殺された後で、お前らが死体を遺棄しようとしとるんちゃうかと、こっちは焦ったんや」と溢した。
蛇沼は思わず吹き出してしまうと「大げさな。ありえへんでしょ」と呆れたように笑う。
宅見刑事はキッとした目つきで「アホぉ!ワシらは警察や。常に最悪を想定して動くのは鉄則やボケ」と言われると、蛇沼もそれは言えていると納得した。
蛇沼たちは決して被害者を殺そうとは考えていなかったが、世の中には成り行きで人を殺し、死体を捨てに行く事件なんて珍しくはなかった。宅見刑事は続けてこう問いただす。
「でもお前ら、被害者を殺す事も考えてたんやろ?」
「そんな訳ないでしょ」と蛇沼が呆れると、宅見刑事は間髪を入れず「少女Aは殺すつもりやったと言うとるぞ?」と被せてくる。
この時、蛇沼は思った。
刑事は試しているのではないか、もしくは少女の幼さ故に粋がったのではないか。
蛇沼は「殺意なんてない」、「ありえない」、「俺らは話を聞きたかっただけ」と頑なに否定する。
宅見刑事は尚も執拗に「ほな、なんで少女Aはそんなん言うんやろな?」と追及した。
蛇沼は面倒そうに「こっちが聞きたいですわそれ。普通言いますか?そんな不利になるようなことペラペラと」と言い返す。
「まあ本人は言うとるんやけどな。お前はそうなんやな。分かった」
「それ、被害者らが高野を虐めていたことに対して、殺したいほど腹が立っていたとかそういう意味と違います?それやったらまだ話が分かる。もちろん言うてないけどね?」
「あいつの胸のうちまでワシら知らん」
少女Aの置かれた状況を考えたとき、知り合いである少年を虐められて精神的に追い込まれ、被害者らに憤りを感じる中で、今回のような初めての逮捕だった。
管轄署から警察車両が再び出される。後部座席には預かり先の留置場へと向かう蛇沼が乗っていた。この時、パラパラと小雨が降っていた。
暫くして車両が泉北警察署に入ると、そのまま階段を上り留置管理課の前まで向かう。刑事は扉の横にあるインターホンを押して「管轄署ですう、一名預け願います」と告げると留置場の重い扉が開いた。
蛇沼は(もう無いと思っていたのにな)とため息を吐くと刑事と別れ、奥へと消えていった。
中は薄暗くて、どこか懐かしい気がして、(ああこんな感じだったな)と思いながら連れられていく。
奥の房から成人らが覗いている。それまでの蛇沼にとって留置場という場所は、カーテン一枚で成人と隔絶された世界だった。
(もう少年と違うんやな…)と気鬱になりながら「入退場室」という札が貼られた部屋に招かれた。
留置場に入るとまず持ち物検査や身体検査が始まる。留置場に物を預けておくことを『領置』と呼ぶ。
領置物品の手続きをしていると、有村巡査部長がやって来て「お前、なんやこれ?!」と目の前に置かれた白い薄型のPS2を見て笑った。
蛇沼は被害者らと会う約束の前日、共犯者で特別少年院では中等生だった大谷と、被害者の居住先近くの知人少女宅に泊まっていた。
この時、知人少女に暇だからゲームでも持ってきて欲しいと頼まれ、蛇沼は家からPS2を持って行ったのである。
有村巡査部長は「留置場にプレステ持って入ってきた奴はお前が初めてやわ」と大笑いしながら、手続きを再開した。
すると次に私が持っていたファイルをペラペラと捲りながら「おい、なんやこれ…うわ…」と呟くので、隣りにいた同僚で大人しめの池尻巡査部長まで覗きながら苦笑いする。
それは蛇沼が今までに捕まった際、各所から届いた書類の束であり、警察署留置場、地方検察庁、家庭裁判所、地方裁判所、高等裁判所、最高裁、少年鑑別所、中等短期少年院、特別少年院、保護観察所の書類がぎっちりとファイルに綴じられていたため、留置管理課が驚いていた。
「こんなもん全部残しとんか?」
蛇沼としては明確な意味があって保管していたが、一般的な感覚として理解し難いだろう事は納得出来た。そのため一々説明をせずに、「少年院を思い出せるものは捨てられない」と言って濁したのだ。
有村巡査部長が「変わっとんなお前」と笑うので、少年院に抱くイメージが悪いからだろうと感じた。
蛇沼にとって少年院は嫌な場所、暗い場所ではなく温かい場所であり学校でもあったが、分からない空気を感じ取るのは難しい。説明しても無駄だと思って口を噤んだ。
有村巡査部長は「これ何て書こ?ファイル括弧、中身書類でええか…」とぼやきながら記入し終えると、いよいよ入房となった。
この他、1留保護室の先に壁一枚を挟んで保護房があった。少年院や刑務所のように暴れた者を収容するというより、専ら外で保護された酔っぱらいを一時的に収容していた。収容する際は留置管理課を通さずに、そのまま別の入口から収容し、定期的に酔っ払いが入れられる。暴れて叫ぶのでとてもうるさかった。
留置場に勾留されると最初の48時間をヨンパチと呼ばれる。
蛇沼はヨンパチの間、5房に入れられた。本来この部屋は女性房であるが、勾留される成人男性に比べて成人女性や少女の割合が少ないため、各警察署はこうして女性や少女がいない場合に成人男性を勾留する事は珍しくもなかった。
蛇沼が勾留された翌日の夜、管理課の署員を呼んでこう言った。
「弁護士を呼んでください」
もうすぐ就寝時間で管理課は困りながら「明日の朝やったらあかんかぁ…もうこんな時間やし」と渋る。「いや呼んでください。怪我しとるし見せておかないと」と伝えた。
就寝から三十分も経たずして二十代の女性弁護士がやって来た。患部の腫れや怪我で固まった血液を示しながら「指の感覚が鈍く、折れているかも知れない」、「右足に激痛が走る」、「額を強打しており、頭がズキズキと痛む」などと痛みの状況を詳しく伝えた。府警本部捜査一課の寺岡による過剰制圧の状況についても詳細を述べ、証人として少女Aが過剰制圧を目撃している点、近所のコンビニの防犯カメラが違法な制圧行為を撮影している可能性があり、証拠映像となる可能性についても添えておいた。
蛇沼は女性弁護士から、「今すぐに病院へ連れて行ってもらうように言ってください」と助言を受けた。弁護士接見を終え、管理課にその旨を伝えると、「とりあえず管轄署に連絡をしてやる」と、先ほどとは一転し協力的だった。万が一を恐れ、管轄署への連絡を怠れば、泉北留置の責任となる事を恐れていると感じた。連絡さえしてしまえば、管轄署の判断に責任の所在が移る。
暫くすると管轄署の刑事が迎えに来て、K病院へと護送された。CT検査とレントゲン検査を終えると泉北警察署へと戻った。
就寝間もなくして寝かけた頃、新入りが入ってきた。
少年時代の蛇沼であれば、留置場に昼夜を問わず誰かが入ってくれば、飛び起きて話し込んだに違いなかった。しかしこの日の蛇沼は成人に一切の興味を示さず、入口に背中を向けるとそのまま無視して眠った。
暫くすると異臭に気づく。何故か嘔吐の臭いが辺りに漂っている。
それもそのはず、新入りは酒器帯びの交通事犯で、泥酔状態のまま捕まり、嘔吐もしていたらしい。このときの蛇沼にはまだ異臭の理由については分からなかった。翌日の運動時に留置管理課から聞かされて知ることになる。
(おい…マジか…)
饐えた臭いに堪えながら、入口側の新入りとは逆を向いたまま静かに寝入った。
翌朝、起床となると阪神タイガースのハッピのような服を着た五十代頃の男がいて、目が合うと軽く会釈をしてきたので、蛇沼も「ああ」と言いながらコクンと会釈して返した。サッカー派の蛇沼は野球選手に疎くて知らなかったが、阪神が着ていた服の背中には「KANEMOTO」とプリントされ、どうやら有名な選手らしい。
特に話すこともなく、お互いに無言のまま朝食を終えると、運動の時間となる。
小さな運動場へ向かう最中、4房辺りに賑やかな人がいると感じつつ、そのまま運動場に阪神と出される。
どこの留置場も運動場はとても狭い空間で、泉北警察署の留置場には20歩も歩けば壁にぶつかるほどの広さしかなかった。
運動と言っても出来る事は限られている。置かれた爪切りを勝手に取って爪を切るか、共有物の電気カミソリで爪切りの狭い金属部分を鏡にして髭を剃るか、他の被留置人や留置管理課と談笑するか、軽い体操や筋トレぐらいだった。
そんな中、一番の楽しみはタバコである。蛇沼が勾留されていた当時は留置場内の喫煙が許されていた頃で、成人はタバコを原則2本吸えた。のちに分かる事だが、当時の泉北警察署は不祥事が横行しており4房と3房のみ3本吸えた。
警視庁は平成24年4月1日以降、大阪府警は平成25年4月1日以降に留置場が禁煙となった。
蛇沼はまだヨンパチでタバコが買えておらず、(タバコは吸えないな)と諦めてボーッとしていると、そこへ剽軽な犬山巡査部長がふらりと入ってきて、蛇沼と阪神に「お前らタバコ無いやろ。しゃあないやるわ」と胸ポケットからタバコを2本ずつ手渡してくれた。
逮捕後初めてのタバコだった。成人は未成年より留置場が快適だと正直思った。泉北留置の運動では喫煙者の管理課署員も被留置人と一緒にタバコを吸う。
1本目を吸い終えると一呼吸置いて2本目に手を伸ばし火を点ける。大体2本目を吸い終えると留置管理課に「もうええか?おっしゃ」と促されて房に戻るという具合だった。
この時期、3房と4房は食後に喫煙できるように調整されていた。そのため蛇沼をはじめ他の房は先に喫煙してから戻ると朝食となる。
その日の朝食は覚えていないが、警察署内の炊事場で炊かれた白米に冷めた味噌汁と何か小皿だった。
食べ終えると蛇沼は暫くボーッと虚空を見つめていた。阪神は隣で大あくびしている。特に会話もないまま、時間が過ぎていくと留置管理課がやって来て「おい蛇沼、今日は勾留請求やな。その前に向こうの刑事が病院連れて行く言うとるから」と伝えてくれた。
管轄署一課の刑事ら三名と警察車両でそのままK病院まで護送され、その後、逮捕から48時間のタイムリミットが迫るため、検察庁へ護送され勾留請求を行う。引き続き勾留して取調べる必要があると認められ「10日間の勾留決定」を言い渡された。蛇沼は被害者を「監禁」した感覚がない。あくまで「移動」していた。今回の逮捕は馬鹿げている。蛇沼は準抗告で抵抗したところ棄却された。
10日間の勾留が決定した日、留置場に戻ると5房から転房すると言われ、4房と3房の前付近にある管理課署員の待機台で領置品の再確認をしていた。
すると3房から一人の成人が声を掛けて来た。
「兄ちゃん何したか知らんけど、ここに来た以上はみんな一緒や。何か困った事あったら担当さんや俺らに遠慮のう言えよ。聞いてくれるから」
茶髪で元ヤンぽい三十代前半の大浜くんだった。
「ありがとうございます」と蛇沼が頭を下げると、「色々思い悩んどるみたいやけど、最後まで負けたらあかんぞ」と大浜くんは言う。
当時4房に再逮捕の繰り返しで11ヶ月勾留という泉北留置の主がいた。そこまでの長期勾留はたまに耳にするものの、蛇沼は初めて目にした。退屈で仕方がない留置場に1年近くいるなんて途方も無いことだった。
そのため暇で仕方がないのか、根掘り葉掘りと他の被留置人の情報を管理課署員に尋ねるため、蛇沼についても同様に聞いていた様子だった。署員らは蛇沼の身柄が泉北署ではなく、預かり柄なので詳しいことは分からないという前置きをしながら「罪状は監禁で勾留されている」、「現時点でここでは最年少」、「何故か怪我しとるから病院に行った」、「何か理由があって本人も悩んどるらしい」程度は伝わっていた。
そのまま蛇沼は5房から2房へと移った。
2房には既に二人いて、一人は五,六十代で恰幅の良い短髪の被留置人、罪状は覚醒剤取締法違反だった。前回と前々回が賭博開帳図利と覚醒剤取締法違反で、過去にポリグラフの経験があると話していた。
もう一人は二十代後半。免停のまま運転代行サービスを続けていて、客を乗せたまま検問に引っかかった。運転代行は実刑前科もあったが刑務所未経験であり、拘置所に残留して服役する当所執行だったらしい。当所執行に選ばれるにはかなり難しいと熱弁していた。なんでもある日の拘置所内で刑務官に呼ばれて出ていくと、複数の刑務官に囲まれ「お前みたいな奴に当所執行が務まると思ってんのか?」等とボロクソに言われたらしく、ひたすら耐えていると「合格や」と言われて決まったのだとか。
2房に移って二,三日が経過した運動の時間、4房の11ヶ月氏、3房の大浜くんらの姿があった。蛇沼が挨拶を交わして皆でタバコを吸い始めると、有村巡査部長が笑いながら言う。
「おい、蛇沼には笑うぞ?ここ入って来る時にプレステ持って入ってきよったんやから」11ヶ月氏と3房で三十歳頃の任侠道が好きな榎本さんが爆笑し、有村巡査部長は続けて蛇沼ファイルをネタにし始め、この日は若干明るい運動だった。
数日すると11ヶ月氏に「4房に部屋を変えて貰え」と言われ、蛇沼は2房から4房へ転房となった。当時の泉北留置は一部の被留置人の言いなりになっていたが、それまで経験した留置場ではこんなこと許されなかった。
4房では11ヶ月氏に蛇沼ファイルについて改めて突っ込まれ「そんなもん何で置いとくねん縁起悪い。俺は皆捨てたぞ」と笑うので、(そうだろうな)と思いながら笑って誤魔化した。
4房にはもう一人、コー君という二十代半ばで痩せ型アウトロー系の被留置人がいて、この人がまた面倒見も良くて温かくて蛇沼は好感を抱いた。特別少年院にいた頃に一緒だったゴスロリ事件の加害少年とコー君は地元が同じだったため、面識こそ無かったものの事件当時の様子を薄っすらと覚えていた。
「何かそんな事件あったなあ。どこどこの子とちゃうそれ?そこらやと中学はどこどこやから知らんなあ」などと話した。
コー君は恐喝未遂で勾留されていて、借金を返さずに飛んでいた被害者を捕まえ、車に乗せて連れ去り、後輩二人程と一緒に詰めた事で警察に走られていた。蛇沼の事件と類似点を感じ、二人して「少し似ている」と言い合った。
コー君はとても律儀な人で、自分が拘置所へ移監される前日、わざわざ11ヶ月氏と蛇沼に夕食の自弁購入に「好きな物を頼んでくれていい」と言って、管理課には「自分が全部食べる物」という体で申し合わせて頼んでくれた。このとき勿論、管理課も意味は分かっていたが黙認だった。
11ヶ月氏も蛇沼も「本当なら送り出す俺らがしなければならないこと」ととても恐縮し、拘置所に移監されてからも何かとお金は入り用だからと、一番安い「蕎麦」を奢って貰った。
コー君は「遠慮せんと好きなもん頼んでくれたらええのに…」と困りながら、蕎麦を2つ余分に注文してくれた。その日の夕方の4房は三人で蕎麦を啜りながら、別れを惜しんで食べた。
蛇沼が留置場から病院へ向かって数日後、「医務診察」が留置場の中で行われた。少年時代に勾留された三か所の留置場では医務診察の記憶がなかったため、不思議な感覚でいると11ヶ月氏があれこれ説明してくれた。
順番が回ってくると入退場室へと招かれる。中に白衣を着て金縁眼鏡をかけた白髪で逆モヒカンのドクターがいた。
蛇沼は座ると「逮捕されたときに暴行を受けた傷が疼いて眠れず、額を打った衝撃で頭はズキズキしますし、倒れた衝撃で歯がグラグラしているんです」と伝え、「歯は別に申し出るように」と言われ、デパスを処方された。
そして泉北留置から管轄署へ連絡を入れてもらい、警察署から年に何度か連れて行くらしい歯科医院へと護送された。手錠姿のまま中に入ると、それまで椅子にかけて談笑していた年配女性らが目を丸くして押黙り、目のやり場に困るように瞬きを繰り返す中、奥へと案内された。
一画の窓には鉄格子が嵌められ、手錠を固定される金具まで付いている治療用の椅子があり、蛇沼は(なるほど、この歯科医院は被疑者の治療が一回や二回じゃないな)と納得した。
親知らずを一本と痛む歯を抜いてほしいと頼んだところ、歯科医は歯を確認し「これはうちでは無理。もっと大きい病院に行ってもらわないと」と言う。
「それでは傷んで困るのでどうにか抜いてほしい」と頼みながら押し問答すること五分ほど経過し、刑事らも諦めて歯科医に委ねた。
すると、明らかにわざとだと感じているが、何故か麻酔が全く効いておらず、地獄の責苦のような鈍痛とメリメリというこの世の終わりのような音が続き、両手の拳をこれでもかと握りしめながら耐えて耐えて耐え倒すと、ついに痛みに限界がやってきて「うううう…!」と声を発して体を仰け反った。歯科医がまるでサイコパスのような表情で見下ろしながら「ん?どした?抜くんと違うの?辞めましょか?」と言い出した。
このときに蛇沼は反骨精神が擽られ、意地でも耐えてやるからざまあみろという好戦的な感情を奮い立たせた。入墨を彫るときに彫師から「そこちょっと痛むかも知れんけど」の一言に、ガムを噛みながら涼しい顔をして痛みに耐えた日を思い出していた。とりあえず二本抜いて帰った。
蛇沼が勾留されてから黒川弁護士とは頻繁に接見していた。接見初日には当面の下着類を差し入れて下さり、厚く御礼を述べた。
黒川弁護士はまず「被害者宮部の供述調書を不開示にしたいので、今日の取調べが終わった時に蛇沼君から刑事に「宮部の調書を不開示願います」と言うてくれるか?私は勾留の取消請求を行うから」と言われた。
その日の取調べでは終わるタイミングを待った。
宅見刑事が「おっしゃ。今日はしまいや」と告げると、蛇沼は「ああ、宮部の供述調書あるでしょ」と尋ねる。
「おお、なんや」
「それ不開示願います」
宅見刑事は鬱陶しそうに表情を顰めながら「お前、それ弁護士に言われたんか?」と問いかける。
蛇沼はそれには答えず「とにかく不開示願います」と続ける。
宅見刑事は「チッ」と舌打ちをすると蛇沼に「そういう事するんやなお前。ほーん分かった。こっちにも考えがある」と余裕を装うも、直様「ああ!!」と感情を昂ぶらせる。
蛇沼は「考えて、どんな考えです?」と尋ねると、宅見刑事は「さあ。どんな考えなんやろな」と言ったあとに続けて「まあ、お前にとって良い結果にならんかも分からんなあ」と意味深な捨て台詞を吐いていた。
その後、暫くして泉北留置の5房には新しく自宅に火をかけたという失火罪の成人男性がやって来た。精神的に少し問題があった様子で勾留されてからも一向に落ち着く気配はなく、ビニール畳に小便を撒き散らしては叫ぶので、留置管理課は困り果てていた。
11ヶ月氏が管理課を捕まえては「精神病院に送ったらよろしいやん。やかましいぞコラ」と怒鳴り上げていた。
1房には興味深い被留置人が集まっており、前科が五十何犯という人生の半分以上を拘束されている元極道の榊原さんがいた。正確な犯数こそメモっていないが、おそらく微罪や書類送検された犯歴まで含めての数だと思われる。
当時で中々の年齢で六十歳を優に超えていた筈だが、腹筋は見事なほどシックスパックに割れており、榊原さん曰く「懲役に行くと若い奴に舐められると駄目だから」と言っていた。
榊原さんは短気な性分だった。今回は特殊開錠用具所持禁止法違反という微罪で捕まっていたが、運動時に管理課曰く「榊原はほんまやったら帰れてたんや。それを取調べ室で暴れてそこらへんの物をひっくり返そうとするもんやから…」と苦笑いしていた。
榊原さんはおそらく悪事から抜け出せそうにはないと感じたが、どこか放っておけなさもあった。蛇沼はどちらかと言うと榊原さんが好きな方で、高齢でも決して年齢を言い訳にせず、あそこまで鍛え抜かれた腹筋はリスペクト出来るという点が大きかった。
運動の時、榊原さんは蛇沼に「お兄ちゃん。ワシみたいになったらいかんのやで?」と言うので、蛇沼は「榊原さんも最後にしましょ」と返したが「いやあ。ワシはもう」と今更どうにもならないという感じだった。
管理課に聞かされる榊原さんの話はどれも奇人の域に在り、社会にいる時はいつ刑務所に服役してもいいようにスーパーの袋二つ分に詰めた日用品や下着類を常備していて、どこでは何が使えるといった監獄事情を熟知していた。同じ房になると大変そうだったのは、榊原さんは留置場で「榊原検事」というあだ名が付いており、新入りが同じ房にやって来るとひたすら事情聴取が始まってしまう。
その声がまた大きいので管理課は時に苦笑いしながら「おい…榊原。ちょっと手加減したってくれよ。調べで疲れて帰って来とるんやから…帰って来てまで榊原から鬼の調べされたら倒れてしまいよるぞ」などと冗談が飛ぶ。しかし数分後にはまた始まっているのだ。
榊原さんは捕まり倒していることもあって、変に詳しすぎるが故に「当局より詳しい」と冗談を言われていた。
同房者に「刑事はなんと言うとるんや?」だとか「検事は他のも起訴すると言うとるんか?」などとひたすら取調べ、同房者が「私の弁護士が言うにはおそらく起訴されると思うと言うてます」と言っても、榊原検事が違うと思えば「だ!か!ら!されんと言うとるやろう!」と熱くなる。一度、古墳から陶磁器などを盗掘していたメガネのおとなしそうな被留置人に対して食ってかかり、慌てて署員が止めに入る一幕もあった。
ところでこの古墳窃盗の被留置人も非常に興味深かった。日本の刑法第189条により墳墓から盗掘した場合には「墳墓発掘罪」の適用が可能となる。しかしその被留置人は「窃盗罪」と言っていた。蛇沼が右翼団体に所属していた頃、他国の国旗を燃やした右翼構成員がいたが、器物損壊罪で引っ張られた。のちに外国国章損壊罪を知った際、損壊させた国旗の外国政府から公訴提起の請求が必要との事で、古墳窃盗の男性にしても代用できる法に則って処置したのだろうと感じたものだった。
何度か盗掘さんとは運動が一緒になり、蛇沼が「榊原検事と同じ房だと大変ですね」と冗談を言うと、盗掘さんも「ああ〜たまったもんじゃないです。おかしくなりそう」と応じながら苦笑いしていた。
当時、小学生の娘さんがおられた様で、泥棒の子と学校で虐めにあっていると、妻からの手紙で知って取り乱す声が聞こえ、少し心配した日があった。
その日は榊原検事も「元気出さなあかん」と励ます声が聞こえて来た。「鬼の目にも涙やな」と管理課や蛇沼たちも微笑ましく見守っていたところ、あまりにも泣き続けるので痺れを切らしたのか、榊原さんが「メソメソするな!男やろううう!」と熱くなり始めた。管理課が「あいつだけは…!!」とすぐさま飛んでいき、遠くの方から「榊原よ…さっきまで調子よう励ましてくれとったんちゃうんか?」と聞こえてくると、榊原さんの声で「泣き止まんのやもん!隣で泣かれるとワシの方が気が滅入るで!?」とコントのようだった。
ある日の運動時、蛇沼は盗掘さんに興味深く聞いてみた。
「あんなとこ何か埋まってるもんなんですか?」
「ええ。皿とか出てきますよ」
「へー。小学生の頃に社会の教科書で見たけど、周りが堀みたいになってません?あんなのどうやって入ったんです?まさか泳ぐとか?」
「いやいやあ。これぐらいの空気入れて膨らませるボートあるでしょ。あれで漕いで渡るんです」
「夜中にあんなとこ気持ち悪くないです?俺も廃墟とか心霊スポットはよく行ってたんですよ。でも古墳はさすがに気持ち悪いですわ」
「いやあ慣れたらそんなもん」
「でもあんな真っ暗闇に入っていって警察に見つかるもんなんですね」
「懐中電灯の灯りが遠くに見えるからすぐ分かります。来ても反対側に逃げれば、ね?」「じゃあ何で今回捕まったんですか?」
「そこなんですよ。その日だけは反対側にも張ってた」
他にもスコップで掘っているとゴキブリがわんさか出てくるらしく、想像するだけでおぞましかった。ちなみにその古墳は長らく調査でも掘られていないままで、中に何があるのかミステリーのようにされていたように思う。掘り出した盗品は質屋に売っていたので「盗品有償処分斡旋」も付いていた様子。
さらに1房にはもう一人いて、四十代頃のおとなしい人だった。罪状は公然猥褻罪。なんでも仕事帰りだったか、我慢できずに立ち小便していたところ、路上の向こう側から自転車に乗った女子高生がやって来たらしい。暫く立ち小便中の公然さんと目があったまま女子高生は自転車で通過していったのだが、公然さん曰く女子高生が何故か引き返して来たというのだ。
運動場で聞いている被疑者も管理課も意味が不明となり「なんで戻ってきたんです?」と誰かが振っても、公然さんは「なんででしょうね?こっちが聞きたいんです」と訝しむ表情を浮かべる。本人が嘘をついているのか、本当にそうなのかは全くわからない。のらりくらりとマイペースで、嘘か真か判断の難しい人だった。
ただ、公然さんに一つだけ共感を覚えことは「最高裁まで争う」という点だった。
この時期の蛇沼も同じく逮捕監禁罪で起訴されるなら最高裁まで争うと決めていた。弁護士にも「執行猶予は納得しません。無罪のみです」と強弁していた。そのため公然さんの徹底抗戦の姿勢については共感出来たのだと思う。
すると、留置場という場所は榊原検事も典型的だが、ありがた迷惑でお節介なアドバイスも多く、捕まり慣れている者の中にはこう言いたがる。
「さっさと出た方が賢い」
この言葉は何十回と聞かされた。蛇沼や公然さんからしてみれば、早く出たいというのは二の次で達成目標が異なる。
もちろん、社会に出たい事が最優先されるなら地裁で終わらせる。ましてや実刑はほぼ無い状況下に控訴、上告と続けるのは馬鹿の極みだろう。
ただ無罪を目指す側にも明確な理由があり、何年かかろうとまでは言わないが、たかが二、三年なら我慢ができた。それほど当時の蛇沼にとって、無罪か有罪かは重要な事だと考えていた。
公然さんも当時、榊原検事から頻りに「こんなもんで控訴する奴はバカや!」と怒鳴られる度に、疲れ切った表情で「それはわかっているんですって!だから自分と榊原さんの考え方の違いなんですよ!」と反論していた。双方共に一向に譲らないため最終的には「もう…担当さん」と公然さんが音を上げる。
運動時にも始まり、蛇沼と榎本さん以外のほとんどの者が「そりゃあ、榊原検事の言うとおりやで。もうさっさと終わらしたほうがええって…公然さんのため思って言うわ」と口々に言う。そのほかに「検察の起訴有罪率を知ってます?」これも多かった。検察が起訴すると決めた以上、滅多なことでは覆らないという頭の被疑者が多いのだ。
そんな中、蛇沼は「自分も最高裁まで争うと決めてるから、公然さんの気持ちは分かる」と言うと、案の定、11ヶ月氏なんかは「なんでそんな拘るのか俺には分からんわ…はよ出たほうが良くないか?」と首を捻る。
蛇沼と公然さんは口を揃えて「だからここが考え方の違いなんですよね…」と呟く。
蛇沼は11ヶ月氏の言い分もよく分かるだけに「11ヶ月君の言うてる事はもっともで分かるんですよ?そらはよ出たほうが賢いんやと思いますよ」としながらも「それでも闘わなあかん場合があって、俺と公然さんは今回がそうなんです。だから難しいんですよ。ねえ?」と公然さんに振る。
公然さんは「そう!」と同調するも毎度この話は平行線をたどるので「ああ、疲れるね。考え方の違いなんやろなあ」と肩を落とした。
するとそのやりとりを黙って聞いている榎本さんは「いや、俺も早く出る側ではあるけど…二人の言うことも分かってやりたい。11ヶ月、そういう時があんねん」と寄り添う。
管理課の松田係長も公然さん側で、11ヶ月氏に対し「お前は11ヶ月もここにおるからはよ出たいんや」と冗談を飛ばし、有村巡査部長のように「俺なら1分1秒でも早く終わらせて出たいわ」と意見は別れ、この日の運動場談義は非常に白熱して面白かった。
そんな日々が続いたある日、蛇沼が便箋に日記を書いていると、有村巡査部長が「蛇沼」と呼びに来た。
調べだなと思い「はい」と顔を上げると、有村巡査部長が「釈放や」と述べた瞬間、蛇沼と11ヶ月氏が飛び起きた。4房コー君、3房の大浜君と榎本さんが一斉に「ええ!!?」と声をあげる。
蛇沼は「え?ほんまですか?」と尋ねると、有村巡査部長は「おお、ほんまや」と応じる。
11ヶ月氏「蛇沼良かったなあ」
蛇沼「短い間ですけど世話なりました。コー君もありがとうございました」
コー君「良かったなあ、頑張らなあかんで」
大浜君「担当さん、ほんまに釈放ですの?」有村巡査部長「おお、そう聞いとる」
蛇沼はふと我に返り「喜んでましたけど、冷静に考えたらそりゃそうでしたわ。車で一緒に移動していただけで監禁てそんなアホな話ないですよ」と冷静になった。
11ヶ月氏と大浜君が頻りに有村巡査部長に釈放の経緯を聞きたがり、有村巡査部長は蛇沼が便箋を片付けるのを待ちながら「蛇沼は預かりやからなあ。俺らは分からんわ。ただ釈放するから出してくれ言うてそこ来とるから」と述べた。
泉北留置では、釈放や移監日には各房に別れの挨拶をして回るルールのようなものが一応あった。今まで少年房しか入ったことが無い蛇沼にとって、留置場に少年房は大概一つで、そういう経験は無かった。
1房から4房まで簡単に挨拶を済ませると、少年房に向かって「少年頑張れよー」と投げかけたあと(ん?ちょっと待てよ…)と思い、有村巡査部長に尋ねる。
「あれ?領置手続き忘れてません?」
有村巡査部長は少しニヤッとすると「あー、まあええわ。あとで」と言う。
蛇沼は不審に思い「え?」と返すと、有村巡査部長が「お前も分かってんねやろ?」と微笑を浮かべるので(うわ…ハメられてるわ)と気づいた。地獄へと真っ逆さまに突き落されたような気分となり、少年の頃に経験した「再逮捕」の状況を思い出していた。
有村巡査部長に連れられ留置管理課の扉前まで来ると、有村巡査部長は外に向かって覗き窓から「蛇沼出します」と告げ、扉が開く。
そこには四課の宅見刑事、一課で高野少年の担当刑事、同じく一課で歯科護送の時にいた寡黙な刑事の三人が立っていた。宅見刑事が「おお蛇沼おはよ。どないしてんその顔」と尋ねる。
蛇沼はため息を吐きながら突っ立っていると、宅見刑事は言った。
「逮捕監禁容疑は処分保留で釈放や。良かったの」
その瞬間、蛇沼は急に走り出す素振りでダン!と前に一歩を大きく踏み出すと、すぐさま宅見刑事らが前に立ち塞がり妨害する。
宅見刑事は動じない様子で「お前もうやめとけて」と静かに言った。
蛇沼は「納得行くかよこんなもん。最高裁まで争うから」と吐き捨てる。
宅見刑事は無視したまま「ええかあ、読み上げるぞ」と再逮捕容疑に係る概要をザッと読み上げられた後「えーっと午後何時何分、な?恐喝未遂容疑で再逮捕するから。おし戻ろか」とそのまま留置場へと逆戻りだった。
宅見刑事は留置管理課に「すんません、戻します」と告げると再び扉が開く。すると有村巡査部長がニヤついているので「お前何がおもろいねん?おい」と滅多に感情を爆発させない蛇沼が、この時は抑える事が出来なくなっていた。
有村巡査部長はムスッとした表情で口を尖らせると「俺に当たらんといてくれよ」と呟く。
蛇沼はさらに感情を逆撫でされるようで「はあ?お前が釈放や言うておちょくっとるんやんけ」と口をついて出る。
有村巡査部長は「おお悪かった。まあまあ落ち着け」と言いながら蛇沼を4房の前まで戻すと、11ヶ月氏、コー君、3房大浜君と榎本さんらが「おかえり〜」「早かったなあ」と冗談を言う。このときの蛇沼には応じる余裕がなくなっていた。有村巡査部長に指を差しながら「ほんまに人をおちょくりすぎてますよ」と吐き捨てて房内に戻った。
明らかに利己的な悪事で捕まっていれば仕方がなかったが、この当時は犯罪行為に仕立てあげられている感覚が強かった。故に有村巡査部長の笑えない冗談にカッと来た。
それも1房から4房まで挨拶周りをさせる手の込みよう。挙げ句に再逮捕されて戻ると面白半分にニヤけ顔。蛇沼としては留置場に遊びに来ている訳ではなかった。
再逮捕となった恐喝未遂容疑は、蛇沼たちと被害者との話し合いの一部が「恐喝」として認められるというものだった。
いじめの報復で殺人罪となった高野少年に対し、今後民事訴訟を起こされ多額の損害賠償請求がなされた場合、その一部又は半額を被害者が支払うこと。なお、その金銭は高野少年の親族に手渡し、被害者遺族へ支払ってもらうことを約束させていた。
高野少年の殺人事件が発生してから危惧した事が二つある。
一、高野少年は原則逆送を免れ、保護処分決定を言い渡してもらえるのか。
(前回の中等少年院を経ての殺人であるため、特別少年院送致となるのか)
二、民事訴訟により多額の損害賠償を請求されるのではないか。
(高野少年宅の経済状況から考えて相当な困難が伴う)
この内、二に関して当時脳裏を過ぎったのは、蛇沼が特別少年院で読んだ新聞に掲載されていた「西鉄バスジャック事件」の損害賠償請求額だった。人を殺めるまで追い詰められた側が、殺人者の重苦に苛まれる未来が決定した上、その代償に多額の賠償金を支払うなんてあんまりだと思った。
高野少年が起こした殺人事件は、蛇沼らの事件では被害者となったグループのいじめ行為に端を発している事から、殺害行為を担った刑事責任こそ高野少年に帰すべきで、経済制裁については発端を作った被害者グループにもその責任を分散させるべきであると考えていた。そこで、現金を蛇沼たち仲介者に渡すと筋違いなので、高野少年の親族に月々の金額を決めて直接渡すものと取決めた。
その際、高野少年の親族が支払う金額は民事裁判を起こされた場合に請求される額の半分とすると、いじめグループが残りの半額を人数分で割って其々支払うという提案に相手側は応じたのだ。
それも決して法外な金額ではなく、蛇沼といじめグループが話し合う中で、働いた給与から月いくらであれば生活に支障なく支払えるのかを検討し合った。万が一、民事訴訟を起こされなかった場合は勿論負担せずともよいとしていた。その代わり被害者グループが人を追い込んだ事で、追い込まれた側は一人の命を奪っているのだから、その重荷は他人事だと思わず背負っていくように言っていた。蛇沼らの被害者の一人、宮部には責任逃れの発言が多く、殺された人物が死人に口なしであるのをいい事に、いじめた責任を押しつける発言に徹していたからだ。これらの話し合いが「恐喝未遂」となった。
過去、高野少年が中等少年院に送られるに至った罪状は窃盗罪。それも取調べた警察曰く、いじめ加害者グループに無理強いされていた形跡があり、「お前が不利になるから本当の事を言え」と何度尋ねても庇ったまま言わなかったらしい。
警察は何十件何百件と被疑者を取調べている中で培われた感覚があり、高野少年を取調べる中で「誰かを庇っている」と確信めいたものを感じながらも、本人が認めない以上は警察も限界があったと言っていた。
当時、いじめた側は何食わぬ顔をして他人事のように生きていく姿を想像したとき、そうはさせるかと思った。
そういう感情を抱いた根底には、高野少年と蛇沼は少年院が一緒で、互いに頑張っている様子をよく知っていた事もあっただろうが、高野少年が事件を起こす前、蛇沼とは連絡を取り合っていたことが最も大きかったように思う。高野少年から用件を伝えずに電話をかけてくる回数が次第に増え、相当な精神疲労が窺えた。ピーク時には「無人島に行きたい」という意味深なメールとどこかの山の風景が添付されてきた事があった。
蛇沼は被害者との待ち合わせ当日、被害者側の出方が不明瞭であるため、護身用にスタンガン1丁、特殊警棒1本、催涙スプレー1本を隠匿携帯していた。
以下に示すのは本件で実際に用いられた凶器と、その処置についてである。
逮捕監禁容疑で共犯となった少女二名は既に「処分保留」で釈放されていた。蛇沼は接見禁止が解除されるとすぐ、大阪少年鑑別所宛に二人へそれぞれ手紙を発信してみた。
すると暫くして「該当者不在」の紙が貼られて手紙が戻ってきた事で釈放されたと分かった。その後、釈放された少女と手紙のやり取りをする中で経過を把握していった。
蛇沼がそこで再確認したことは、警察がいくら恫喝しようと、泣き落とそうと、情に訴えかけようと、カマをかけようと、どんな手段を使おうと「知らないこと」について人間は証明出来ないということだった。少女二名も同じく、被害者を監禁していた認識が一切なく、嫌疑不十分で釈放された。
共犯の可児(中等生)については、蛇沼の拘束から数日して自ら出頭していた。蛇沼より先に恐喝未遂容疑で逮捕となり、そのまま管轄署に勾留されている。
共犯の大谷(中等生)については、関与者の中で唯一の執行猶予中だった。恐喝未遂容疑で手配され、依然として逃走中である。金銭の受取先が高野少年の親族である事に不服な様子だった事から、腹の中は蛇沼たちと目的が異なっていた可能性がある。
蛇沼はある日の取調べにて、宅見刑事から「大谷が自分から電話をかけてきよったわ」と聞かされた。宅見刑事が「いまお前どこにおるんや?早く出てきて終わらせ」と言ったところ、大谷は「身内に不幸が起きた。一段落するまで捕まることは出来ないので今は逃げる」と言って電話を切ったと聞かされた。
警察が関係先に目星をつけて張っているので、身内の死に目にも近寄ることができずにいる中、大谷は逃走を続けながら被害者の周辺に接近を繰り返し、被害届を取り下げさせようと躍起となっていた。
そのため、蛇沼と可児には当初「接見禁止」が付いており、途中で解除されるまではそれなりに困っていた。
逮捕を免れた菅田(特少生)は、犯行現場にいなかった事と、警察の検問情報などの入れ知恵に留まり、間接的関与のため唯一取調べを受けなかった。
恐喝未遂罪による再逮捕から数日後、蛇沼は対面監視となり、4房から1留保護室へ転房となる。蛇沼の対面監視は3交代制で、房の外にパイプ椅子を置かれ、分刻みに行動観察を記録された。対面監視は十六日間に及んだ。
対面監視が解除された日、1留保護室から5房へ転房となった。間もなくして森永くんが入ってきた。蛇沼より二,三歳上で罪状は酒気帯び運転だった。
見た目とは裏腹にとても落ち着いており、荒れ放題だった泉北留置の実情を垣間見て失笑するも、文句一つ言わず構えていた。
夕食時には蛇沼とおかずを分け合ったり、森永くんが経営している店の大変さや、蛇沼の事件経過について語り合っていた。
そんなある日、泉北留置に一通の封筒が届いた。
管理課が「おい蛇沼、起訴通知書が届いた」と知らせに来る。
そこには被疑者氏名、罪名に「恐喝未遂」のみ記載されており、先に逮捕された容疑の逮捕監禁罪の文字はなく、事件番号、処分年月日、そして処分区分には「起訴」と記されていた。つまり「恐喝未遂罪につき起訴」で「逮捕監禁罪については起訴しない」という知らせでもある。
この日から蛇沼の身分は「被疑者」から「被告人」に変わった。
さて、被告人となれば拘置所への移監が迫って来る。通常、勾留された順番に移監される事が多いが、被疑者の中には余罪で再逮捕される者が一定数いて、その分後回しとなる事はやむを得ない。他にも十日間の勾留決定で終わる者もいれば、再度、十日間の勾留延長となって満期勾留される者では前後にズレてしまう。11ヶ月氏みたく満期勾留直後に再逮捕を繰り返され、一年近く(中には一年以上)も勾留が続いた稀な被疑者も存在する。
蛇沼の前に留置されていた被留置人に移監命令が出ると、次は自分だと心待ちとなった。
蛇沼にとっては初めての拘置所となるが、留置場より遥かにマシだろうと捉えていたため、一日も早く移監されたいと考えていた。ましてや不祥事が蔓延る当時の泉北留置に長居をしても得るものが少ない。
大阪府の管内には、一つの拘置所と二つの拘置支所がある。当時の泉北警察署留置管理課松田係長の述では、大和川以北の大阪北部と大阪市内全域で発生した事件は原則として大阪拘置所へ移監。大和川以南の大阪南部全域は堺拘置支所と岸和田拘置支所の管内にそれぞれ分かれる。但し、岸和田拘置支所管内で発生した事件のうち、重大事件と特殊事件のみ堺拘置支所へ移監する事が可能との事だった。
その理由について調べると、平成2年4月1日付の「地方裁判所及び家庭裁判所支部設置規則の改正」により、大阪地裁は同規則第3条に基づき、岸和田支部における「合議事件」に関する事務を堺支部にて取り扱う決定があった事に遡る。
蛇沼は、管下の堺拘置支所へ移監待ちとなった。暫くして移監命令指揮書(現:移送指揮書)が届いたのは別の被留置人が先で、管理課が「おい移監や」とやって来ると、その被留置人も「え?俺が先ですか?」と若干の戸惑いを見せつつ、嬉々として意気揚々に領置手続きへと足を運ばせて行った。
蛇沼は(おかしいな?)と感じていると、管理課の松田係長も「お前、なんでか飛ばされたな?まあその内来るわ待っとけ」と笑いながら去っていく。
次の移監命令はまた別の被留置人だったため、愈々おかしいと思い、すぐに弁護士を呼んでもらった。
開口一番「移監される気配がないんです」と蛇沼が申し向けると、黒川弁護士は「おかしいな…ちょっと確認するわ」と怪訝な表情を浮かべて不思議がっていた。
弁護士接見をした数日後、蛇沼に移監命令が出た。
森永くんに別れの挨拶を済ませると、前回の再逮捕では有村巡査部長にはおもちゃにされているので、1房から4房の挨拶は警戒してしないまま「本当にこのまま移監なら、ありがとうございましたと伝えておいて下さい」と述べ、そそくさと泉北留置を出ることにした。丁度、運動で喫煙中に管轄署の刑事が迎えに来た。扉が開くと刑事らが立っており、「お前、なんでこんな移監を後回しにされとんや?」と問う。
蛇沼は「俺が聞きたいですよ…、この前、弁護士を呼んでやっとです。これもし呼んでなかったら、もっと延ばされていたとか無いですよね?ほんまに」と溢すと、刑事らは大笑いしていた。
白い捜査車両に乗り込み、初めての拘置支所へと向かう。
Tour Ⅱ はじめての拘置所
蛇沼は車中、刑事らに「拘置所と拘置支所はどう違うんです?」だとか「やっぱり鑑別所とは雰囲気が違います?」と拘置支所について頻りに聞いていた。
刑事は多くの場合に護送して終わりで、拘置中の被告人に余罪が発覚した時に調べにやって来て中を知る程度だったため、然程、的を射た回答も得られずに「行ったら分かる」という感じだった。
他に被害者のうち宮部について、警察はこの時点で犯罪関与の疑惑を抱いていたため、周辺を洗っていた。蛇沼にも被害者について熱心に聞く場面があった。
二十分ほど車が走ると、窓外にそれらしい建造物が見えてきた。外観はそれまで経験した鑑別所と比較すると、建替え前の大鑑に少し近いかも知れない。ボロさがそう感じさせたのだと思う。
拘置支所の敷地内に捜査車両が入ると、法務教官とは異なる出で立ちの刑務官が近寄って来た。(法務教官の雰囲気とはちょっと違うな…)と感じながらも、刑事よりは遥かに親近感が湧いた。
護送に付添ってくれた中に高野少年の担当刑事がいた。蛇沼はその刑事に「今回、納得はしていませんけど、ありがとうございました。警察に迷惑かけることは最後にします」と頭を深々と下げると、刑事は「こうなってしもたのは仕方ないわな。お母さんを大事にしたれよ。また落ち着いたら顔見せに来い。頑張るんやぞ」と励まされて別れた。
蛇沼は刑務官についていくと、入退場室という部屋に誘導される。すると他の留置場から移監されて来たらしき二人も連れられて来る。一人は蛇沼と同い年ほどの黒髪で二十代前半、もう一人は四十代頃だった。
その部屋はやや広くて、古い銭湯に置いてあるような衣服を入れるプラスチック製のカゴを手渡され「領置手続きをするから、留置場から持ってきた物をカゴに入れなさい」と促され従った。
その際、刑務官が「拘置所は何回目や?」と聞くので、二人はそれぞれ「二回目です」と答え、蛇沼は『初めてです』と答えた。
刑務官はてきぱきと「これは中に入る。これは入らん」と仕分けていき、一連の手続きが終わると、木製で白ペンキが粗く塗られた電話ボックスのようなものに入れられ「呼ぶまで待っていなさい」と伝えられる。
いわゆる「ビックリ箱」と呼ばれるもので、過去に特別少年院から向かった医療刑務所でも同じものを目にしていた。座ると足の部分だけ外から丸見えで、中に人がいる事を刑務官が確認出来るようになっている。ビックリ箱は三つ並んでいて、蛇沼は真ん中に入れられ、両隣には二人が入った。
暗いビックリ箱の中で(これ、目を瞑っておかないと言われるやつかな?まあ、初めてやしええか。ああ…医療刑務所で見たこれに入る事になるとはな…)と悶々とし始めて、ついにはため息が出た。
入ってから五分、十分、とにかく長く感じるほど待たされていると、隣のビックリ箱の木製扉が開く気配がした。外に出るように促されている様子だった。蛇沼は(次は自分だな)と開くのを待っていると、今度は反対隣が開く気配と共に外に出されているようだ。(また飛ばされてるやん…)と思いながらも(多分、拘置所が初めてなので説明が違うのかな)と一人であれこれ考えていると、先に出された二人がどこかに連れて行かれたのか静寂が訪れた。それからまた暫く待たされるので(もしかして忘れられていないよな?)と、咳払いをしてみたりするが無反応だった。(はよしてくれへんかな)と待っていると扉がいきなり開き、ドキッ!とさせられイラッ!としながら(確かにこれはビックリするわ…)と納得した。
刑務官が険しい顔で直立不動したまま暫く私の顔を眺めるので(なにか鑑別所とは違った不思議なルールなんやろうな)と思いながら突っ立っていた。
第一声は未だに耳に焼きついている。刑務官は厳かに「君はいま死にたいか?」と蛇沼に尋ねた。
あまりにも突拍子の無さにきょとんとしながら「え?死にたい…?ですか?」と問い返した。
刑務官は厳かに頷くのみで、蛇沼は「いや」と一笑に付すと「別に全然。何でまたそんな事を?」と続けた。
刑務官はクスリとも笑わず「君は留置場で死にたいと思った事があるか?」と再び問う。蛇沼は「まったく」と即答する。
「死にたいと口にしたことはないか?君が本心で無くともや」と刑務官が口にしたとき、(ああ…なるほどな。対面監視になるために言った)と蛇沼は気づいた。
蛇沼は「いやあ…?そんなこと言うたことないです」と白々しく言うと、ここで刑務官の口から蛇沼の移監を渋っていたことを知らされる。
「君は中々移監命令が下りなかったやろう?うちとしても引受けを躊躇ったんや」と言うので、蛇沼は(躊躇ったて…自分らそれ仕事やろ…)と思った。
今になってみれば確かに、死ぬ恐れがある被告人なんて極力引き取りたくないだろうと理解は示せる。
刑務官は続けて「そこで一つこちらの条件を飲んでほしい」と言う。
「条件…?」
「まず、これから君が入る房は他の者と少し構造が違う部屋に入って貰うから」
蛇沼は瞬時に嫌な予感がした。(また留置場の対面監視みたいに物品制限されるんちゃうんか…とりあえずそっちの条件を飲む代わりに、こっちの条件も飲んでもらわないと)
そんな事を考えながら蛇沼は「部屋の構造が違うとはどう違うのか説明して下さい」と尋ねて出方を窺う。
「まず、君の部屋は窓に鉄板が入っているから少々換気が悪いかも知れないこと」
「次に天井にカメラがあるから気になって居心地は悪いかも知れんなあ」
「でもそれは君を守るためにそうしていると理解してくれるか?」
刑務官は理路整然と述べていく。それに対し蛇沼は「こちらからも条件があります」と前置きすると、対峙する刑務官は少し身構えるように眉を顰める。
間髪を入れず「部屋は了解します。その代わり筆記用具や便箋など他の者が入っている物は全部入れてください」と提示した。
正直これぐらいは余裕だろうと高を括っていると、刑務官がより一層眉を顰め出した。蛇沼は語気を強めて「これだけは譲れませんよ?」と申し向けると「死ぬ気はこれっぽっちもないですと言うても信じられないでしょうから、天井のカメラで思う存分監視してくれていいです。それはこちらも呑まないと」と寄り添う姿勢を付け加える。
それでもなお刑務官は腕組みをしたまま難しそうに悩む素振りを見せるので「物品を入れて貰ってから少しでも危ないと感じたら一切合切引き上げて貰っていいです。それも呑みます」と蛇沼は言う。
こればかりは呑んでもらわないと、公判まで日記を付けることが出来ないし、接見禁止が解除されているのに信書を自由に書けなくなるのは非常に困る。
刑務官は一呼吸を置いてため息をつきながら「本当に引き上げるぞ?万が一があったら」と蛇沼をジッと見据えて押し黙った。
「勿論それは」と蛇沼は応じる。
刑務官は分かったという感じに頷くと「こちらが大丈夫だと判断したらすぐに一般房へ移してやるから」と言う。暗に「頼むから面倒な問題だけは起こさないでくれよ」という一心だと感じつつ「はい」と了解した。
応対していた刑務官は部下らしき刑務官に蛇沼を委ねると、そのまま4階へと連れていく。
当時の堺拘置支所は2階と3階が未決フロアらしく、4階は階段を上って左エリアに移送待ちの既決囚、その対面の横一列に六名ほどの未決囚、その端に第2種独居房(自殺防止房)が1部屋、第2種独居の左斜め真向かいに三人入ると一杯になる広さの浴室があった。
右エリアに当所執行のうち炊場雑居、壁にしきられた先におそらく女区があり、女性の声が頻繁に聞こえていた。
蛇沼は階段を上り終えるとすぐ左の部屋の前に促された。食器口の上辺りに「64番」とあり、少年院や鑑別所では経験しなかった「称呼番号」だった。高校の受験番号が66番なのでゾロ目か、ラッキーナンバーの13が良かった。アンラッキーナンバーは7である。
(これが噂に聞く「名前で呼ばれずに番号で呼ばれる」ってやつか。ほんまに人間扱いされていない感覚に陥るな…)と感じていた。
しかし蛇沼は拘置支所にいる間、番号で呼ばれる事も名前で呼ばれる事も殆ど無かった。
刑務官が用事でやって来ると「おーい」や「君」で、後に紹介する「点検」にて番号を言うぐらいだった。
扉を開けられると、少年院や鑑別所ではお馴染みの「内側にドアノブがない扉」で懐かしくなり、(やっぱり留置場なんかより全然マシだな)と感じていた。
説明通り天井には24時間作動しているのか、特別少年院でもよく見かけた監視カメラがあり、左の隅には塩ビパイプの先が1センチほど出ている蛇口、扉が開かない窓(一般独居も開かなかったが第2種は一部が鉄板入り)、食器口の上部窓にも鉄板が嵌まっていた。
おそらく無いだろうと予想していた便所隠し用の木製衝立は置かれていて、これはいいのか?と不思議だった。木製机もあるし、トイレは剥き出しでは無かった記憶もあるがここは曖昧である。施設のトイレは極力見ないようにしていた。変なことに気づくと気持ち悪くなるからだ。
ちなみに第2種独居は別称を自殺防止房と呼ぶが、蛇沼たちは「自殺房」と呼んでいた。単に自殺しそうな者が入るからだった。
Tour Ⅲ 自殺房
こうして蛇沼の拘置支所生活は、第2種独居拘禁でスタートした。
昼食の時間になるまで、拘置支所へ移監された事を信書で伝えるため、高野少年と可児に宛ててそれぞれ手紙を書いていた。
暫くすると、廊下側から刑務作業の服を着た二十代半ばの当所執行がやって来て目が合うと、蛇沼は軽く会釈をした。当所執行は自分の口元に人差し指を置き「シッ」と言ったあと、廊下を一瞥してから続けて「死んだらあかんねんで」と言いながら台車に乗せたカゴをゴソゴソしていた。カゴにはノリ、刷毛?、型紙のようなものが沢山入っていて、それらは各種願箋だったと思う。如何にも作業している素振りでひたすら話しかけてくれた。
蛇沼は突然の気遣う言葉に少し戸惑いを覚えながら嬉しくなるも、上のカメラで見られているので「はい」としか言えなかった。
当所執行はカゴ作業を続けながら「上見てみ。カメラあるやろう?全部見られてるんやで」と視線をカゴに落としたまま話す。
「はい」
「静かに大人しくしとったらそのうち部屋は換えてくれると思うわ。生きてたら良いこと絶対にあるから。頑張りや」と言って、自弁購入の記入用紙を入れて去っていった。
この当所執行には心から感謝している。公判の事など色々と疲弊する中で、久々に人の温かみに触れて励まされた。
後に知ったが堺拘置支所は食事が美味しい方らしく、思い返すと白身魚の揚げ物がとても香ばしくて美味しかった。
食事に関する話だと一度手違いでA食が来た。
A食B食C食といってご飯の分量がそれぞれ違う。未決囚が食べるC食はご飯の量が少ない。
移送待ちの既決囚が食べていたB食はご飯の量がC食より少し多く、肉体労働の当所執行が食べていたA食は更にご飯の量が多かった。
堺拘置支所へ来てから間もない頃、4階未決囚のC食が一食分足りないミスがあった。
一番端の自殺房の前で当所執行が刑務官に「どうします…?」と尋ねると、刑務官は「ああ、数間違えとるな。もうそれ入れといてくれたらいいわ」と言う。蓋に消えかかったマジックで「A」と記された飯碗を入れられた。蓋を開けてみると、いつものC食より格段に飯量が多いので(いつもこんな量を食べている人がこのフロアにいるんだな)と驚いていた。同フロアには当所執行の炊場雑居があり、先に回してくれたのだと思う。
さて、拘置支所に移った当日が自弁購入の日でラッキーだなと思いながら、刑務官に購入物品が記されたリストを見せてもらい、買える物を便箋に書き写していた。
蛇沼は堺拘置支所にいる間、刑務官のことを常に「先生」と呼び、所作も少年院に倣い、指先をビシッと身体の側面につけ、一礼後「お願いします!」と頭を下げていた。蛇沼的に少年院を思い出せて落ち着くからだったが、初めて接する刑務官は少し戸惑うように映るのが可笑しかった。
「汐三色」と「スリーパック」について「どんなやつですか?」と刑務官に聞くと、汐三色は最中と言っていたので[一口最中 三種詰め合わせ]で検索すると出てくる商品だと思われる。スリーパックは刑務官いわく「ピーナッツ、あられ、海苔巻き」だったか小分け袋に入った物だと言っていた。
拘置記念に「拘置所の名物」を食べておきたいと考えており、留置場にいる頃に詳しい被疑者がちらほらいるので聞いていた。
例えば大阪拘置所が「唐辛子するめ」なら東京拘置所は「メロンの缶詰」というように、各拘置所には名物らしき物があると知る。
しかし蛇沼が送られた堺拘置支所には、名物らしき物が特に無かった。
結局、購入した物のうちマヨネーズは一本あれば便利だと思い、味変したい時用に調味料を一つ購入しておこうと決めていた。ついでにごま塩も購入。
次に少年施設経験者としては缶詰が非常に新鮮で、捕まりながら中で缶詰を食べるという感覚がどんなものか是非味わっておきたいと思った。
「焼肉缶詰」が気になったが、四つの缶詰からどれに的を絞ろうかと考えていると、この中で恐らく地雷は「焼肉缶詰」だと思えてきた。何故なら全て金額は一緒なので、150円のマグロフレークを思い浮かべると焼肉は質が悪そうに思えて、刑務官にも「どんな肉ですか?」、「先生から見てコスパいいですか?」、「拘置所内で一番売れている缶詰はどれですか?」と聞き倒してから焼肉缶詰は選択肢から外した。今振り返ると買ってみてほしかった。タレの味などとても気になる。
結局四つのうち一つはマグロ缶詰を即決だった。少年鑑別所、中等短期、特少でもマグロフレークは出てきたので非常に懐かしくなる。すると赤貝とさんまの二択となり、魚系の缶詰は大体が予想もつきやすく、一番ギャンブルできるのは赤貝だと思えて決めた。
次に飴はコスパが良いので絶対に買う。
扇雀あめとカンロ飴についても聞いた筈だが、なんと言っていたかは覚えていない。
黒飴は篠山の留置場で食べていたので、思い出が被ると記憶が混同するおそれがある。氷砂糖も好きだが少なそうだと警戒した。
結局、安定の黄金糖となった。
カップヌードルが買えると知ったときはテンションが上がった。拘束中のカップ麺は少年院の大晦日ぐらいしか経験が無かった。
自弁購入の度に追加購入していこうと思った。興味深いのは「お湯」はどうするのかという事で、後ほど分かる。
レーズンサンドとかりんとうは大鑑で買えるお菓子四種のうち二種で、鑑別所を思い出せると思って買った。大体、ドアノブのない扉に鉄格子、上には監視カメラで少年施設の気分に浸れそうだという期待もあった。
コーラはこれまでに買える留置場と買えない留置場があったので、買えるなら久しぶりに飲もうと購入。
次に一番楽しみにしていた書籍購入。拘置所は読書に最適すぎる場所で、この頃はまだ最高裁まで争うつもりで、書籍を大量に購入する予定だった。
そこで書籍類は何が購入出来るのかと気になり、報知板を下ろして刑務官に聞くことにした。拘置支所という場所柄、鑑別所みたく制限が厳しいのだろうと予想していると、刑務官がやって来た。
「どうした?」
蛇沼は「拘置支所が初めてなんですが、本って買えるんですか?」と尋ねる。
すると当時の堺拘置支所では「読みたい本のタイトルと著者や出版社が分かれば願箋に書いてくれたらいいわ」と言われた。
「どんなジャンルでも可能でしょうか?」と問えば、刑務官は「うーん、まあこちらで禁止されている本は入らんのもあるなあ。例えばあまりにも過激な内容が含まれているとか、猥褻で破廉恥な内容とか。どんな本が読みたい?文庫本か?雑誌とかか?文庫本なら殆ど入るんと違うか」と言う。
「そうですか、拘置支所って図書交換あるんですか?あるならここで借りられない本を買いたいんですけど」
記憶に曖昧な部分で、図書交換が出来ると言っていたように思うが、それなら借りた本を一冊ぐらいは覚えている筈だが思い出せない。一度、本棚の近くを通った際に図書係と見られる当所執行が差し入れ本のチェックをしている姿を見た。
結局、蛇沼が購入したのは週刊新潮1冊とRAINBOW二舎六房の七人という漫画1巻2巻だった。RAINBOWは泉北の留置場で尊敬していた3房大浜くんが薦めてくれた。
少年院で知り合った者同士で事件を起こしているのを知り、「RAINBOWを一度読んでみ」と薦めてくれた。社会に戻ってから残りをまとめ買いし、可児に貸したままとなっている。
自弁で購入した物品は後日届く。少年鑑別所や少年院もそうだった。
自弁購入が終わった頃だろうか、先程の親切な当所執行が自殺房の前を何度もウロウロしながら、目で中を窺っていた。
何度目かに通り過ぎた時、蛇沼のいる自殺房の食器口に目掛けて巧妙に何かを投げ入れた。
蛇沼は(ん?)と思い、部屋の中を見渡すと、二センチ四方の白い物が落ちていた。
(なんだろう?)と思い拾ってみると、きっちきちに折り畳んだ便箋の紙片で、広げてみると小さな文字で「元気にしていたか?今は耐える時。頑張らなあかんぞ」という感じで激励文が記されており、最後の方に留置場で一緒だった3房大浜くんの名前があった。
蛇沼は正直、驚きの方が先だった。拘置支所という場所はこんなに情報が回るのが早いのかと。要は仲介者を通じての連絡で、俗に言う「鳩を飛ばす」という不正連絡である。
留置場や社会でもよく聞いていた話で、(これが噂に聞くやつか)と納得した。
また、鳩を飛ばしてくれたお礼に未決で買える飴を、当所執行が回ってきた時にそれとなく口の中に放り込んでやれと留置場で教えられていた。
蛇沼は自弁購入した黄金糖が来たら隙を見てしようと考えたが、あいにく上には監視カメラが付いている。うまく身体で遮蔽するか、手の中に隠して食器口の端に落とそうと考えた。
翌日、運動があった。
4階の未決数名を刑務官が廊下に出すと、その中に一人よく見慣れた顔がいた。一列縦隊でそのまま1階まで降ろされると、何やら奇妙に映る白フェンスに囲まれた中にまとめて入れられる。
遠くの方には刑務作業の服に身を固めた一群が見え(ああ、移送待ちの既決囚か)と分かった。
蛇沼たちが入った白フェンスはとても狭い長方形であり、同じ空間が五つほど並んでいて、一番端だけ輪投げが置いてあった。
久しぶりに輪投げがしたくなり、そこに入れて欲しいと感じるほど懐かしかった。
この日の未決は五名ほどだろうか。その中に大浜くんがいた。運動場の扉を閉められた瞬間、一斉に皆が喋りだす。
「元気やったか」と大浜くんが笑いながら話しかけてきた。蛇沼は「はい」と笑顔で返すと「大浜くんありがとうございました手紙」と謝意を示す。
「おお、そのうち出れるわ」
「はい。ただやっぱり最高裁までいこうと思ってるんです」
大浜くんは「いやいや自殺房やぞ」と笑うので、蛇沼も「ああ」と可笑しくなりながら「そっちですか」と二人して笑い合った。
「まあどこまでやるかはお前が納得いくまでしたらいい。後悔だけはせんようにしなあかんぞ?」
「はい」
大浜くんは少し気掛かりな表情になると「ところで泉北留置、俺が移監されたあと大変やったらしいな」と口にした。
蛇沼は「あ、大浜くん知ってはったんですか。もう大変ってものやなかったですよ…」と前置きすると続けた。「あの後に自分は対面監視になってて管轄署の署員が来てたんですよ。みんな呆れてましたね。あんなの有り得へんらしいですよ…」と管轄署員も呆れていた様子をありのまま伝えた。
「らしいな」と大浜くんは知っている様子だったので尋ねると、3房の榎本さんや4房の11ヶ月氏と手紙をやり取りしているらしく、移監後の泉北留置場の様子について事細かに把握していた。
大浜くんと蛇沼が話していると、五十代頃の男性が突然、大浜くんに話しかけてきた。暫く大浜くんとその男性の会話を聞いていた。
男性は賽銭泥棒で逮捕されていたのだが、捕まってからガサ入れの時に「浜崎あゆみのポスター」を折られた事を思い出して憤慨していた。蛇沼は聞きながら(そら怒るわ)とこの男性に共感していた。
大浜くんが男性に「留置場一緒やった子ですねん」と蛇沼を紹介すると、男性は「ああ、よろしく」と挨拶を交わす。
蛇沼が「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げると案の定、聞かれた。
「どう?兄ちゃん出れそうなんか?」
「はい。一応悪くても執行猶予ですね」
「おお、それなら良かったやん」
ここでも感想を知りたくて敢えて言う。
「そう…なんですけど、最高裁まで争います」
男性は目を丸くしながら「またなんでえ?」と尋ねる。
「無罪か有罪かなんですよ。今回ばかりは執行猶予もろても嬉しくないんです」
すると男性は即答で「いやあ〜兄ちゃんやめとけ。無罪なんて滅多に出んぞ?いくら優秀な弁護士雇ったとしても、検察が起訴する言うたら…」と、お決まりでした。
やっぱりそう思うものなんだなと感じながら、自分のために熱弁してくれて有難いけど、俺は俺でやりたいようにやると聞き流した。
堺拘置支所に移監されてすぐの頃、医務診察があった。刑務官がやって来て「診察があるから」と廊下に出されると、そのまま医務室まで数名の被告人と向かう。ちなみに移動の際に行進は無く、拘置支所は少年院のキビキビした軍隊ばりの行進に比べて、刑務所のようなダサい行進をさせられるのではないかと身構えていたので意外だった。
医務室の前には長椅子があり、そこで思わぬ人物と再会する。留置場で一緒だった「榊原検事」だった。元極道の榊原検事はスキンヘッドで瞳孔が鋭く、老齢でも独特なオーラがあった。
この時も再会した瞬間、目の奥が光るように見開き「ああ、蛇沼くん」と言うので、「あ、榊原さん」と微笑む。
榊原さんは既決の囚人服を着ているので「あれ?榊原さんてもう判決出たんですか?」と問うと、確か「懲役4月」だったか、とにかくそんな短い懲役を言い渡される事なんてあるんだなと驚いた。
榊原さんが犯した「特殊開錠用具所持禁止法違反(特殊解錠用具の所持の禁止等に関する法律違反)」という罪だが、榊原さんはたった1本のマイナスドライバーを所持しているだけだった。
逮捕当日、立ち小便をしているところを職務質問され、ポケットからマイナスドライバーが出てきた事で詰問されると「日雇いで使うから持っとる」と正当な理由を述べた。決して嘘ではなかったものの、榊原さんの気質から言葉が荒くなった挙げ句に「それなら本署に連れて行け」と激昂したため、本署に任意同行された。その後、取調室で更に激情に駆られ大暴れしてしまい勾留に至ったのである。
榊原さんの適用法令を読んでみると、同法第2条3項に「指定侵入工具」のドライバーに当たるようで、加えて「政令で定めているもの」とあった。
次に同法第4条に[携帯の禁止]とあるが、榊原さんの主張した理由なら余裕で免れただろう。留置管理課の松田係長も「榊原は本当なら帰れてたんや」と言っていた。榊原さん本人としては「小便刑ぐらい何時でも行ったるわい」のタイプだったので、「四の五の言わずに好きにせい!」と事態は悪く働いてしまったようだ。
同法第16条の罰則規程に則り1年以下の懲役で、判決は懲役4月が確定。
世の中には榊原さんのように、マイナスドライバー1本の所持で逮捕された人は他にもいるようだ。
健康診断は特に問題なく脈をとったりして終了し、蛇沼は榊原さんと別れた。
堺拘置支所には「点検」というものがあった。これがまた特別少年院の起床就寝の点呼を思い出して懐かしくもあり、少し面白く感じてしまうものだった。
部屋で静かに便箋に手紙を書いていると、房外から刑務官の厳かな声で「点検よぉーーーーーい…」と聞こえてきた。
(なんか言うてたよな?)と若干外を気にしながら手紙をせっせと書いていると、刑務官が部屋の前を通り過ぎ、踵を返して蛇沼に「おい点検や」と言い残し、いそいそと去っていく。
(点検?ああ留置場の検室みたく部屋の中を調べる時間かな)と思い、とりあえずボーッと待っていると、外からこう聞こえてくる。
刑務官らしき声で「番号」
「○○番!」
タッタッタと足音がしてまた、
「番号」
「○○○番!」
これが続くので(おいおい来るぞ!)と急いで(ここらへんに座っていたらいいよな?)と自分に言い聞かせながら、特少の就寝点呼の要領でやろうとしていた。
すると二人の刑務官が共にやって来て、一人はファイルに目を通しながら中を窺う。一人は扉の前で厳かに立つので笑ってしまいそうになるのを我慢していると「番号」と言われる。
「ろくじゅうよんばぁあん!!」と他より少しだけ大きめに差し障りの無い程度に発した。刑務官はそのまま去っていったので、便箋の手紙を再開すると、すぐさま刑務官が戻ってきて「おいまだや。点検終わり、なおれの号令がかかるまで座っとけ」と叱られる。
久々に大声を出せて気持ちよくなったのもあり、暫くは病みつきになって楽しんでいた。
点検は便箋に丸写した[未決被収容者所内生活の手引]によると、毎日朝夕の二回あった。
他にも「給湯」という号令がかかる事があった。大体、昼に一度かかっていた記憶がある。
「きゅぅうううとぉーーーーー」と刑務官が言うと、部屋に置いてあるヤカンを食器口から差し出して「湯」を入れてもらう。
このお湯を使って自弁購入したカップヌードルを食べる事が出来ていた。
また手引には新聞が購入できるとあり、手引には次のように記載されていた。
すぐさま刑務官を呼んで「読売新聞を買いたいんですけど買えるのでしょうか?」と尋ねる。
刑務官は「あー、買えん事はないけど、契約買いになるぞ?」と言うので、「一部で購入は無理なんですか?」と問い返した。
刑務官は「うーん、それはやってないな」と言ったため、新聞購入は断念した。
当時、拘置所は今後の人生で二度と入る事があってはならないと感じていたので、今回で最初で最後だと思っていた。
そのため、せっかく来たからには色々と気になる事はしておこうと「手引」を読むことが非常に楽しかった。
その中で、とても興味深い記載を見つける。
続けて、説明が記載されていた。
次にこうある。
蛇沼は非常に興味深く感じていた。禁錮刑の受刑者が結局、中で労働を願い出るという話は聞いたことがあったが、拘置所内で未決が労働を願い出るという話は当時聞いたことが無かった。それに一度でも自己作業を契約すると勝手にやめることができないという事から、判決確定までの短期間に行える作業とは如何なるものか気になったのだ。
わざわざ「未決被収容者所内生活の手引」に掲載されているという事は、未決でも申し出る者が一部にいるのかも知れず、早速、刑務官を呼ぶと「手引に自己契約作業が出来るとあったのですが、契約できますでしょうか」と尋ねてみた。
刑務官は「ああ…」と何やら問題がある様子を見せたあと、静かにこう言った。
「一応聞いてはみるけど、おそらく無理かも分からんぞ」
蛇沼は気になり「そうなんですか?どうしてでしょうか」と問うと、刑務官は言う。
「うん、仕事がないんや。外部事業者が減ってきて刑務所ですら仕事を取るのに大変な時期やから、未決にまで回す仕事が中々ないんや。昔はちらほらあったんやけどな」
一通り説明を終えると、刑務官は「まあ一応聞いて見るから、あまり期待せんと待っといて」と言い残し去っていった。
翌日にはやって来て、開口一番「やっぱり無かったわ」と伝えられる。
刑務官曰く、仕事に余裕があった頃だと、外部事業者から託されたダンボール箱に作業道具と材料が入っており、内容は大体、百貨店の紙袋作りであったり、処方薬を入れる紙袋の袋貼りなど、刑務所でしている事と大差が無い様子だった。
興味深いのは蛇沼が堺拘置支所に拘置されていたのは「監獄法(刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律)」が廃止されて間もない頃だった点だろう。
日弁連は監獄法の廃止に伴い、意見書を提出している。抜粋したのはその一部。
「未決囚の労働の機会」について「自己契約作業等の運用による発展の余地を残しており、今後の課題として注視したい」と言及されていた。おそらく日弁連は施設側への聞き取り調査や視察見学、過去に拘置所へ入った者にアンケート調査などを実施したのだろうと思われる。
あくまで一例ではあるが、監獄法廃止間もない拘置所では「未決の自己契約作業」の整備が未だ不十分であったのが実情に思う。
ただ未決の労働に関してはその必要性をさほど感じておらず、未決拘禁中に労働を必要とする者がどれほどいるのかと考えると、領置金が無い且つ差入れを頼る宛がない未決囚に限定されるのではないだろうか。未決中は時間に余裕こそあるが、公判までの心情整理に専念したり、裁判に関する書類や外部への信書を作成していると一日はあっという間に過ぎてしまう。拘置所内の仕事よりも社会に出てから暫くの生活を安定させるための仕事こそ重要に思えるので、保護会と協力雇用主の確保を優先した方が良いのではないだろうか。
蛇沼は拘置支所に来てから「未決被収容者所内生活の手引」を目にした時、一つ気になった事があった。
「死刑囚」の確定房にもこの類いとなる手引は置かれているのかという興味で、もしあるならば何と書かれているのだろうと想像していた。
冊子の題は「死刑確定者所内生活の手引」だろうか。予想する内容として、
1 教誨師やキリスト教、仏教に関連した事柄が書かれている。
2 情緒を安定させる意味から、内容文の言葉選びについても慎重。
3 再審請求等の制度についての記載がある。
4 外部支援団体(アムネスティなど)の説明と連絡先が記載されている。
死刑判決が確定し、その執行を待つ死刑囚を管理する上で、判決の確定まで備える未決囚に近くなるためか、基本的に死刑囚の所内生活は「未決囚に近い」と言われている。
但し、死刑囚の場合は「制限」の面で未決と結構な差が生じると感じられ、例えば「接見交通権」が挙げられる。
未決なら共犯関係や友人、それこそ全く面識のない人とでも通信は原則認められていたが、死刑囚となると誰でも可能という訳にはいかなくなる。可能なのは親族、教誨師、弁護人と拘置所側が特に認めた者(例えば外部支援団体の者など)ぐらいではないだろうか。また「心情面の安定」という大義名分の下に制限が罷り通るように思う。
他にも死刑囚は個別処遇の面で特殊性が垣間見える。房内で小鳥を飼育していた者、帝銀事件の平沢貞通は画材道具一式を別の空独居に保管が許されていたようであるし、宮崎勤に関してはヘッドホンかイヤホンとDVDだかビデオが入っていたと聞く。
ここも拘置所側の判断に委ねられる要素が強いのであれば「心情面の安定」という理由は使い勝手が良さそうである。
死刑囚の生活態様は書籍や取材記事、人権団体の会誌などから時折世に出るが、最低限の信憑性として「未決の動作時限に準じた処遇に倣いながら、心情面の安定を考慮した拘置所側の判断で、各々が個別処遇に近い生活をしている」と想像する。
さて、蛇沼が拘置支所に移監されてから自殺房生活が一週間も過ぎた頃、(いつになったら一般房に移して貰えるのか)と気掛かりとなっていた。
入所時の説明では、自殺房の生活の様子を見て大丈夫そうなら一般房に移すとの事だった。移監当日からごく普通に安定した生活を続けていた。
そこで蛇沼はよく好んで話しかけていた刑務官を見かけると、その日も呼んで尋ねてみることにした。事務的な刑務官が多いと感じる中、その刑務官はどこか法務教官らしさを感じさせ、話していると安心感を覚える懐かしい雰囲気を感じさせた。
その刑務官がやって来ると蛇沼は経緯を説明し「一般房への転房はまだかかりそうでしょうか?」と尋ねる。
刑務官は「そういえばずっとここだなあ。ここへ来てから何日ぐらい経つ?」と問い返す。
「かれこれ一週間が経ちます。先生から見て一般房に移す事に抵抗ありますか?」
刑務官は蛇沼を見つめながら「うーん特になあ。別に叫ぶとか、自傷するとかもないしなあ?」と首を傾げる。そして「なんで移らんのやろ。ちょっと聞いておくわ」と言って去って行った。
元はといえば蛇沼が泉北留置場で対面監視になる為、署長巡視や運動時、取調べの際に「死を連想させる言動」を取った事でこうなっていた。蛇沼はもう暫く我慢して待ちながら、転房の気配が無ければまた考えれば良いと思った。
後日、またその刑務官がフロアに付いた時に尋ねてみると、「一応聞いてみたけどな。うん、まあ、そのうちやと思うんやけどな」とどこかしら含みのある言い方をしたあと「こればかりは何とも言えんわ。もう少し様子を見てくれるか?」と言う。蛇沼は「分かりました」と言ったものの、既に考えがあった。
何日までに転房が無ければズルズルと逃げられると判断し、外部に申し立てた方が手っ取り早いと考えていたのだ。
その後も一般房に換わる気配は一向に訪れない。(ああ、これは拘置支所側が万が一の事故を恐れてのらりくらりいくつもりだな)と感じられてくると、それなら話が早いと刑務官を呼んだ。
「お、どうした」
「法務大臣に苦情を申し立てたいので用紙を下さい」
一瞬、刑務官の顔つきが変わり「法務大臣…に?」と口にした後、どしたどした?という感じで「えっと、何の苦情を申し立てたいのか聞いていいか?」と言う。
「拘置支所側が一般房への転房を不当に長引かせていることについてです」
「はあはあはあ…ふーん」刑務官はなるほどという感じに頷くと「あの、一応聞いておきたいんやが、苦情の申し立ては他にも色々とある事を知っているか?」と蛇沼に問いかけた。
「はい。手引に書いてありましたので知っています。その上でです」
「うん。別にして貰ってもええんや。権利やからな?」と刑務官は応じると「だけど法務大臣にせんでも段階を踏んでもええんじゃないか?」と言いながら、すぐさま「いや、するなと言うんやないぞ?」と付け加えた。
黙って聞いていた蛇沼は「ええ、あの、こういう場合には経験上一番上に言った方が一番早いですよ」と申し向けた。実際にこれはそうだった。長引くだけで結局上と掛け合うなら、最初から決定権を持つ者に判断を仰いだ方が合理的である。
こういうときに下で止めにかかる事が多かったのも事実で、いくら説得をされても応じる気がない理由を淡々と述べていく。相手が聞くことに疲れてしまえば諦めるし、最後まで根気強く聞いてしまえば、言っても無駄だとある程度は納得する。
そのため蛇沼は丁寧に説明し始めた。
「現に一般房へ転房はまだですか?と何度も尋ねてこの状態ですので、まず相談制度のうち、主任矯正処遇官、統括矯正処遇官、課長は選択肢から外れますよね」
「次に刑事施設の長に対する苦情ですが、移監当日から自殺房の使用を許可している辺り、拘置支所側の方針ですから、ここで拘置支所の長に申し立てたところでまた話し合うだけで無駄です」
「すると最低限、拘置支所の外部に申し立てる事が前提となります。じゃあ次が監査官で、その次が法務大臣です。それなら回りくどく監査官ではなく、法務大臣にそのまま申し立るということなんですよ」
蛇沼は一つ一つ順を追って説明すると、刑務官は黙って耳を傾けながら、法務大臣に申し立てる意図については納得してくれた。
刑務官は「よし分かった。ちょっと待っててくれな。いま聞いてくるから」と言うと、そのまま報告しに向かった。
五分程経過して、所謂「金線」と呼ばれる幹部刑務官が部下の刑務官二,三人を伴って自殺房までやって来た。正直この時(人数で来たか。これ特少で保護房から出てくれの時に似ているな。威圧作戦は通用しない)と感じていた。
金線はとても厳かな口振りで開口一番に「君か?」であり、蛇沼が「はい」と答える。
「とりあえずちょっと出てきてくれるか。話を聞くから」と言って自殺房の扉を解錠すると、そのまま1階に連行だった。
蛇沼は階段を下りながら(こんな大袈裟な事と違うやろ…)と苦笑いだった。(すると決めたらするんやから紙をくれたら良いだけやのに)と思いながら、黙って着いて行く。
1階まで下りると右に曲がってすぐ左手にある部屋に入れられた。その部屋の用途は不明だったが割かし広い方で、所狭しとダンボールなどで溢れかえり物置きのようだった。
蛇沼の正面には先ほどの金線が立ち、その両隣に蛇沼を囲む形で部下の刑務官がそれぞれ立つ。途中で何人か入っては出てを繰り返していた。当時は単純に威圧が目的と感じていた。泉北留置場で一緒だった当所執行の経験者からも囲まれて試されたと聞いていたし、特少でも保護房籠城の際に数で来る事は経験していた。もちろん保安上の意味もあったのではないかと思う。暴れても制止しやすいように配置する事は、管理する側の立場で考えれば違和感が無くなるからだ。
金線が蛇沼に語りかける。「君の事は聞いている。苦情を申し立てたいという君の理由も理解した。こちらとしてはして貰って構わない」と捲し立てた後、「但しだ」と一呼吸置いて「何も法務大臣に苦情を申し立てなくても良いのではないか?と、こちらとしては思う訳だ」と再び説得が始まった。
「はい。それも説明しました」と、それ以上何も言うことはないと口を噤む。
金線は「うむ」と威厳のある頷き方をし、「そこであくまで提案だが、法務大臣へ苦情の申し立ては最終手段として、先ずはそれ以外の方法で苦情を申し立ててみてはどうか。これは提案だ」と続けた。
蛇沼は迷いがないという様子で「ええ。せっかくですが結構です。法務大臣にします」と突っぱねると、金線は少し押し黙ったあと「どうしてもすると言うのかね?」と蛇沼に再度問いかける。
あまりにも執拗に説得を重ねるので「はい。何か困るから説得されているんです?」と、言葉に含みを持たせて投げかけてみた。
金線は余裕を装うかのように「いいや?そんな事はない。して貰っても構わない」と言ったあと「ただ、私も長らくこの仕事をしてきて、苦情の申し立てを山程見てきた事は分かるな?」と投げかけ、蛇沼は頷く。「いきなり法務大臣に苦情を申し立てるというのは少ない。だから君にこちらが提案している」と繰り返した。
蛇沼は何度言っても無駄だと言わんばかりに即答で「はい。もう十分にそこは理解しました。その上で法務大臣に苦情を申し立てます。いくら説得されても無駄です」と突っぱねるだけだった。
金線は暫く腕組みをしながら蛇沼を見つめると、部下に「よし、良い、戻して。気の済むまでしてもらおう」と述べて出ていった。
そのまま4階の自殺房へと戻り、暫く待っていると用紙を持ってきてくれた。課題用紙に似た「罫線」の入った紙だったように思う。
蛇沼は未成年の頃に作成した抗告趣意書や再抗告趣意書のように、今回も同じ要領で作成した。
苦情申し立て書の文面を書き終えると、最後に「法務大臣の名」を書くことになった。
現法務大臣の名前がすぐに出てくる人もきっと多いが、残念ながら当時の蛇沼はそうでは無かった。どうでも良い事だったし、ましてや拘置支所で苦情を申し立てる羽目になるとは思ってもいなかった。
刑務官を呼ぶと「書き終えたのですが、法務大臣っていま誰でしたっけ」と尋ねた。
すると刑務官の口から出た法務大臣の名を聞いて気鬱となる。
「鳩山邦夫や」
「え?鳩山…邦夫ですか…マジかぁ…」
刑務官は不思議な表情で「なんかあるんか?」と尋ねる。
「鳩山邦夫は大嫌いなんですよ…」
刑務官は肩を揺らせて軽く噴き出すようにして笑うと「はっはっ、鳩山邦夫嫌いなんか」と表情を崩したままだった。
「はい、書面でもあいつに頭下げなあかんのか…」
刑務官は相変わらず笑ったまま尋ねる。「なんでまた鳩山邦夫がそこまで嫌いなんや?」
「いつだったか鳩山が死刑について、ベルトコンベアー云々と言っていたのを知っていますか?」※平成19年9月25日の発言のようだ。
「おお、言ってたな」
あの発言を聞いて、色々と思うことがあったと暫く語った。
「それでどうする?辞めるなら辞めてもいいし、するならしてくれていいし」
「整理したいので少しだけ時間頂いてもよろしいですか?」
「おう分かった。また呼んでくれ」と言いながら、思い出し笑いなのかニコニコしながら去っていった。
当時はあれほど鳩山邦夫が好きではなかったが、その後はむしろ法務大臣としての鳩山邦夫に肯定的だった。執行した死刑囚の氏名公表には大いに賛成で、執行についても死刑存置の現状下に法務大臣としての職を全うしていた。ましてや鳩山の場合、執行命令書に判を押す上で、死刑囚の記録をしっかりと読んで向き合っている節があった。
拘置支所にいた当時は、罪を犯したつもりがなくともこれから判断される瀬戸際で、ベルトコンベアー式といった流れ作業のような発言には、抵抗感を示して自然だったと振り返る。
刑務官が去ってから暫し気持ちを整理していたが、苦情を断念するという選択肢は1%もなかった。嫌悪する鳩山邦夫に、文面でも頭を下げる踏ん切りを付けるだけだった。
そんな折、ふと思った。(待てよ…?鳩山なら寧ろこの苦情を真剣に読もうとするのではないか)
蛇沼は苦情を申し立てる上で一つ危惧していた事がある。(本当に法務大臣が読んでいるのか?)という点だった。実際のところ分からない訳である。
勿論そんな事を考え出せばきりがないが、純粋にそういった事が当時は気になった。危惧、懸念、憂慮、それらの類いなのか、興味だったかも知れない。
法務大臣の職務は他にも色々とあるだろうし、この手の苦情を一々真剣に読んでいられないという場合に、秘書のような代理人に「適当に読んで処理しておいて」なり「大体の書いてある事を要約して、棄却すべきか否かだけ伝えてくれればいい」程度のやり取りをしていないだろうか等とあれこれ考えていた。厳密に性質は異なるが、裁判所でも過去に「三行判決」と呼ばれる判決が乱発した事がある。すると処理数と処理する人員や時間を比せば事務的に陥る可能性が絶対に無いとは言い切れない。当時、そう疑わせる背景には未成年の頃に友人知人が行った「抗告」の棄却決定書に「抗告理由に当たらない」という文言を何件も目にしたことで、不信感を募らせていたのかも知れない。
そんな経緯から(苦情を出したところで、まともに読んでいるかも怪しい)と懸念したことは今振り返っても多少は分かる。
そんな中、(もしかして鳩山ならしっかりと読むのではないか)と思えてきた理由として、死刑執行についてあそこまで峻烈な言い方で切り捨てられる人物であるため、却って興味を持つのではないかと感じられてきた。
拘置支所から一人の被告人が苦情を申し立てている。鳩山からして「罪を犯して起訴までされて拘置されている奴が、今更なにを苦情する事があるんだ。どれ、一つ読んでみるか」と興味深く読むのではないかという期待が湧いてきてしまった。そう思えてくると一抹の杞憂からは一転し、(よし。ここは一つ鳩山邦夫に送りつけてやれ)と闘志のような感情が沸々と湧き上がってきた。抗告棄却決定書のように処理通知の返書が届けばなお良しだと楽しみになりながら「苦情申立て書」の法務大臣の名を鳩山邦夫と記名した。
蛇沼は刑務官を呼ぶと先程とは一転して意気込みを窺わせながら、思い至った予想をあれこれと話した。刑務官は面白げに微笑を交えながら聞き終わると「するんだな?分かった」と言って苦情申立て書を受け取り去っていく。
その送付から二日後あたりに刑務官が蛇沼の自殺房までやって来て「部屋を移動するから荷物を纏めておきなさい」と伝えられた。しかし、鳩山邦夫法務大臣からの返書として受け取りたかった「処理結果の通知」のような書類は残念ながら無かった。蛇沼が転房となった理由についても刑務官に「鳩山が換えろと指示したんですか?それとも面倒くさいからもう換えてしまえと拘置支所側の判断です?」と尋ねても分からずじまいであり、応対した刑務官は「そこは俺も正直分からん。でも一般房に移れて良かったな」としか言わなかった。
今振り返っても全く分からない。のちに社会に戻ってから気になり、拘置支所側に電話を入れ「あの時にどういった経緯で転房となったのか」と説明が欲しい旨を述べたところ、拘置支所側は「教えられない」の一点張りで粘ったが駄目だった。戦後の復興期、訴訟魔として面倒がられた人物に孫斗八という死刑囚がいた。何でもかんでもすぐに訴訟を起こすため拘置所側は嫌がっていたらしい。蛇沼も拘置支所側は面倒くさかったと思う。それでも当時の蛇沼は留置場や拘置所について、今後の人生で二度と臨んではならない場所と捉えており、今さら管理側にどう思われようと出てしまえば関係はそれまでと全く気にしていなかった。そんな中で刑務官には良い人も多かったし、特に一番応対してもらった法務教官ぽさを感じさせる刑務官には非常にお世話になった。謝意を述べておきたい。
Tour Ⅳ 第一回公判
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