【記録】或阿呆の日常
□2024.07.05 カーニバル
□2024.07.06 黒とビビに氷水を差し入れに
水がほとんど無くなっていたので持っていった。毎日、地域の人が朝方に入れてくれているらしく、それまでは保つだろう。
ゴキ公が数匹うろつく季節になった。
□2024.07.06 夢日記
なぜか自分が女装をしていて、ネットビジネスで有名なヒロトにそっくりな30代頃の男にナンパされ、金目の物を盗まれかけたので警察に通報。夕方の6時を回っていた。
三島由紀夫ビル?とかいう名の高層ビル一階に高級レストランがあり、そのビルの前にある広場にいた。
警察が到着するまで時間を稼ぐが、中々警察官は来ない。
そうこうしているうちに男と揉み合いになり、再度、警察に電話を繋げたまま男に柔道の寝技のようにしてしがみつく。
「早く来てください!犯人暴れてる!逃げられる!今おるから!」
この期に及んではできる限り叫んで周囲の人にも状況を把握させ、男には「安心してええよ。警察来たら助けたるから。一応形だけ呼ぶから」などと嘘八百並べていた。
暫くすると眼鏡をかけた50代頃の警察官が駆けつけた。なんと1回目の通報から2時間以上も経過していた。
「さっき呼んだのに何で来えへんねん!?もし逃げられてたらどうする!?○○県警(はっきりと覚えていないが大阪府警ではなかった)はいつもこんな調子なん!?」などとあまりの呑気さに悪態をつくと、警察官は「いやあ、ごめんごめん、ごめんなさい。そこまで来てたんだけど中まで覗いていたら良かった…」と口にした。
次々に警察官が集まり始め、男は5、6人に囲まれる。
私は男について警察官に「俺のこと女やと勘違いしてるけど男や。かなり悪質な手口で盗もうとしていたから被害届出すわ」などと先程の「助ける」とは裏腹に容赦しなかった。
警察が本署へ連絡をしている間、暫く男を周囲に連れ回していると目が覚めた。
夢の中でも人間性などは色濃く反映されるものなんだなと感心させられる。
□2024.07.06 菜園観察
□2024.07.06 ドン・キホーテ
□2024.07.06 カーニバル
□2024.07.07 菜園観察
三銃士(上下巻) デュマ 岩波文庫
ジーキルとハイド スティーヴンソン 岩波文庫
3冊購入。
ジーキルとハイドは新潮文庫の田中西二郎訳を持っているので訳者違い。
三銃士もドン・キホーテと同様に幼少期に人形劇で見たことがある。
□2024.07.07 カーニバル
今日は酒鬼薔薇の誕生日やな。
□2024.07.08 菜園観察
韓国冷麺ぽくて美味しい。不思議なのは普通に食べるよりピリピリする。
十分良かったけど次回は水を250ccに変更予定。
OTYKENのBELIEFを聴きながら筋トレしていると覚醒する。暴れる黒をお風呂に入れて4回ぐらい洗ったあとのような達成感に包まれて、世の不条理すべてを皆殺しにしてやれる。ざまあみやがれ雑魚野郎。
□2024.07.08 カーニバル
今日はエグすぎる。
出る前に揚げてきた天麩羅を食べる気も失せ、卵かけご飯をかっ喰らったのみ。
食後は黒に水を持っていく予定だったが寝る。とにかく死ぬように眠りたい。
起きてから持っていく。おやすみ。
□2024.07.09 菜園観察
昨晩は帰宅後に輪切りレモンを1枚口に含むとかなり生き返った。
結局、朝まで眠ってたから、いつも黒に水をあげてくれている方が持っていってる筈。
□2024.07.09 カーニバル
今日は70代頃の女性に「向こうに行きましたよ」と声をかけられた。
瞬時に黒の事だろうと察し、「ああ、黒ですか?」と笑うと「そうそう」と言われてやっぱりなと。
よく黒と私が連れ立って歩いているのを奇妙な様子で見られるため、この界隈では私が黒の仲間だと認識されているのだなと改めて可笑しかった。
今日の女性曰く、黒猫は三兄弟だと言う。
やはり幻のもう一匹がいるらしい。
では何故、黒猫が三匹でいる場面に遭遇しないのか謎で仕方がない。
「目潰しする人がおるらしいから気を付けて警戒してます」と告げると、「ええ?そんなの虐待やん!」と驚いていた。
この女性は目撃していない様子だった。
□2024.07.10 菜園観察
[追記]
漬けてから数時間後の試食ではきゅうりを食べている感じ。
同じウリ科であるし、甘みが本格的に出る前のスイカなら自然であるかもしれない。
食感も似ている頃合いだったので尚更だろうか。
□2024.07.10 カーニバル
ある首斬り役人の日記 / フランツ・シュミット(白水社)を購入。
□2024.07.11 菜園観察
昨日深夜、いや11日0時半頃に西成のホルモン屋が燃えていた。
放火との声も相次いでいる。
最近、西成で放火殺人も起きたし、友達の店もヤクザに嫌がらせで車を突っ込まれた。
西成は10代の頃に住んでいた当時から何かしら起きる一帯なので驚きもないけど、今も当時もまだ落ち着いている方だった。
西成暴動が起きた頃は治外法権のような雰囲気が漂っていたらしいから。
□2024.07.11 カーニバル
□2024.07.12 菜園観察
□2024.07.12 カーニバル
黒とビビ不在
□2024.07.13 菜園観察
□2024.07.13 カーニバル
□2024.07.14 夢日記
どこかの商店街にあるスーパーの前で総菜を販売している女性がいた。年齢は20代から40代と若くも見えるがそれなりにも見えた。
いつも通行人をジーッと眺めていて惣菜を買い求める客が現れると、そばにいる別の店員が対応していた。
私が通りかかったときも目が合い、妙な存在感があった。
なんと言えばいいのか、生きている実感がなく、その人だけモノクロで色がない。何故か化粧もしていないのに綺麗でどことなく幸が薄そうに映った。
夢の中で何度もその女性の前を通りかかり、(今日もいる)と彼女の存在を認めるようになっていたある日、商店街のスーパー前に幽霊がよく出るという噂が立ち、聞けばその女性だった。
(あの女性は幽霊だったのか…?)と気持ちがざわつきながらその日もスーパーの前を通ると、いつものように彼女がいた。
ふと、mixiに彼女とそっくりな人で「※※あつこ」という女性がいると思い当たった。
その日から彼女は「あつこ」になった。
ある日、スーパーの惣菜屋で働いていたという70代頃の男性と知り合い、それとなく「あつこ」について話を聞いてみた。
男性いわく「なぜかいないんだよ。一緒に働いている筈なのに」と言う。
話を聞いた帰路、頭の中にラジオが流れてきて「近所で自分の糞に足を滑らせて頭を強く打って死んだ女子大生がいる」と彼女について語っていた。
目が覚め、また変な夢だったと振り返りながら、その「あつこ」がmixiに実在している事も覚えていた。
マイミクではなかったが、十年以上前にマイミクだった者のマイミクで、当時はその人物が「殺人」を肯定していた事で議論になった事がある。
発端は私がmixiの日記に犯罪に関する考察を綴っていた折、マイミク経由で聞きつけた人物が私の日記を読み、会話する機会が訪れた。
当時の私は彼女のことを「殺人はおろか犯罪の一つもした経験がないのに殺人を肯定して触れ回るなんて、所詮、口だけの無責任な輩ではないか」と訝しみ、単なるメンヘラだと信じていた。それでも私はメンヘラが好きだから、言い換えればメンヘラこそまともな気がしているから、抵抗感こそ全くなかったのだが、話し込むと「殺人」について哲学的に語る彼女と、現実的に語る私とでは噛み合わなくなり、それっきりとなっていた。
彼女はまだmixiにいるのかなと気になり、先程、mixiにログインして探してみるとまだいた。ログインが2時間前になっていた。
□2024.07.14 菜園観察
ラディゲ ドルジェル伯の舞踏会(岩波文庫)
ラディゲ 肉体の悪魔(岩波文庫)
2冊購入。
□2024.07.14 カーニバル
そろそろ家を出ようと思い支度した。
□2024.07.15 雑記
以前、岡庭に本を差し入れようと思うと言っていたが、何の本が良いのか迷っていた。
差し入れする本にドストエフスキーの罪と罰(工藤精一郎訳、新潮文庫版)はどうかと考えている。
ところで先ほど読んでいた川端康成の死面(新潮文庫「掌の小説」に収録)であるが、内容からして読むタイミングが良すぎるので妙な気持ちとなった。
瘴気に魅入られ憑かれた君が逝く。
目が覚めると一人足りなくなっていた。
嗚呼、眠い。
□2024.07.15 菜園観察
□2024.07.15 カーニバル
□2024.07.16 誰かが待っているような気配に心を掻き乱されて
車で双方の自宅までの距離を測ってみた。
時間にすると信号につかまらず最短で21分。
二人(以下「♂」と「♀」)が落ち合ってよく出没していた富田林は双方の自宅と♂君が通っていた大学のトライアングル上に位置し、私が長く付き合っていた元カノ(以下「М」)の地元でもある。
私が特別少年院を出てから10ヶ月ぐらい経過した頃、Мに二人について尋ねると富田林の駅付近で何度か見たと証言している。
なんでも奇抜な格好なので田舎だと目立つため記憶に残っていたらしい。
後に『彼らの地獄我らの砂漠 事件巡礼(朝倉喬司、中村うさぎ共著)』という本の中に、二人は事件前に富田林のミスドで頻繁に会っていたと書かれていた事から整合性が合うと感じたものである。
また、特別少年院で仲の良かった「一発特少くん(以下「N君」)」とは、互いに特少を出てから平成19年1月以降に電話で何度か連絡を取り合っていた。
その際、N君が唐突に「♂君ってどこの子か分かる?」と尋ねてきて、私は「知らん」と答えたあとに気になって「なんで?」と問い返した事がある。
するとN君が「♂君…どっかで見たことあんねんな…」と呟くと、「どこで見たんやろ…あかん、思い出されへん」と口にした。
この頃の私は♂君の正体について全く知らず、河内長野市の暴走族「冷酷」に友達が多かったN君のような不良タイプと、真面目そうな♂君とは関係性が全く繋がらず、多分思い違いか他人の空似だろうと正直感じていた。
後に♂君が河内長野市で起きた大事件の少年だったと判明したとき、N君の証言は私の元カノのようにどこかで偶然見かけていて、そのあまりの奇抜さに印象に残っていたに違いないと確信に至った。
(※改めて、先程連絡を取りました)
無さん、切実に連絡を下さい。
ちなみに明日(17日)は警察に行く用事がある。
□2024.07.16 菜園観察
□2024.07.16 カーニバル
ドストエフスキー 罪と罰の米川正夫訳(角川文庫)を購入。
私が読んだ「罪と罰」は新潮文庫の工藤精一郎訳だが、酒鬼薔薇が関東医療少年院で読んだ罪と罰はどうやら米川正夫訳だったため訳者違いで読んでみようと考えていた。
ところで酒鬼薔薇が米川正夫訳を読んでいたという根拠について、どこで知ったのか思い出せない。
絶歌の251-252頁には「罪と罰」の記述のみで、HP「存在の耐えられない透明さ」のレビューには記載が見当たらない。
たしかどこかで引用していた本文が米川正夫訳だったか…?また見つかれば追記しておく。
[追記]
□2024.07.17 母胎回帰
ここは「保護房生活」でも書いたので共感できる。
私が特別少年院の保護房に入れられて使用更新を繰り返して6日間いた頃、二重扉で音一つない隔絶された保護房の静けさと人肌ほどの床暖房の心地よさに「母胎のようで落ち着く」と感じた事に似ている。
出る際に先生に言うと笑っていて、日記にも「まるで母の胎内にいるようでした」と書いた。
□2024.07.17 菜園観察
今日は用事でバタついてます。
□2024.07.18 カーニバル
現在時刻は19日午前0時2分。
さきほど筋トレから帰宅して湯船に浸かりながら、L'ArcのC’est La Vieを流して綴っている。
今日は警察の参考人聴取に応じた。
発端は大したことがないので割愛するが、所轄から本部へ引き継がれて約4時間ほど。
改めて感じたのは大阪府警は大阪府警の色があるということで、これまでに接した兵庫県警、広島県警、京都府警とはまた違った雰囲気が顕著だなと再確認できた。
私は警察だからといって毛嫌いしないタイプで、ヤクザだろうが警察だろうが利害が一致すれば誰とでも手を組む。
だから今回も警察には友好的に対応していた。
前科について任意で尋ねられたので、私にとって前科は最後の事件の一犯のみであり、他の少年事件は全て「前科」ではなく「前歴」なので伏せていた。
罪状は?と尋ねられて私が「恐喝未遂」と答えると、「そんなことするように見えへんのにね」と言うので、「そらもう長い事悪さしていないからそういうオーラが消えてるんでしょう」と笑うと、「やっぱ目つき変わった?」と尋ねられて、さすがよく分かってるなと感心しながら「そうそう、目つきが変わったと言われました。やっぱり悪いことしていた頃は目つきが鋭くなるんでしょうね」と言いながら互いに納得しあった。
「恐喝未遂って内容的にどんなことしたの?」と問われ、「いじめられてた友達が虐めてた加害者を殺してしまったんです。それで自分は他に虐めてた加害者に仕返しする形になってしまって」と言うと暫くその事件について話が続く。
👮♀「ええ?虐められてた側が殺したの?へえ珍しいね。それじゃあその友達は?」
🤡「少年だったんですけど逆送されて成人と同じ裁判になりました。5年以上10年以下の不定期が確定して服役し、つい数年前に出てきたところです」
👮♀「ああ、そう。で?お兄さんの恐喝未遂はなに?」
🤡「殺されたイジメ加害者(被害者でもある)の遺族から民事裁判起こされる可能性があるでしょう?そうなった場合にお前らがイジメた結果にこうなったのだから殺した少年一人に背負わせるなと言った事が恐喝未遂に問われたんです」
👮♀「そんなの正義の味方やん!」
このときの刑事はうまいことおだててこちらの気分を良くさせて色々と聞き出そうという魂胆がよく感じ取れた(笑)
🤡「いやあ…それでも裁判官から思い上がりの正義感だと言われてますから、やり過ぎたのだと思います」
👮♀「それは裁判官もそう言うたやろうけど、違う思うなあ」
🤡「自分も色々と引っかかる思いはあったんですよ。だけど今になっては仕方がないと思ってます」
まず感じたのは「正義の味方」という言い方には正直違和感があり、私は「正義」というものが欺瞞に思えて抵抗感がある。
戦争にしてもそれぞれの正義がぶつかって起きるものだし、「正義感」を振りかざす者は自分が正しいという前提があるだけに驕りやすくたちが悪い。だから正義感の強い人が私は苦手でもある。
ただ、この状況における刑事は私をおだてて半ば担ぐような魂胆が見え隠れし、そのまま私が担がれていた方がその後も良い雰囲気が保たれたまま進行し、何か不慮の事態に至れば融通が利く可能性もあると思い黙っていた。
そして会話の流れから「行為障害」の話に及び警察から尋ねられ、「反社会性人格障害って知ってます?」と口にすると、「ああ、うん分かるよ」と言うので(本当に知っているのか?)と疑問に感じながらも「行為障害は反社会性人格障害の前段階なんですよ」と述べた。本当に知っているならこの説明である程度の理解も得られて話が早いと感じたのであるが、刑事はすぐさま「具体的にどうなるの?」と尋ねてきた。
私は一瞬警戒心が働き、『ある特徴』について正直に話してしまうとここでの供述がのちに万が一、裁判等に証拠採用された場合、その信憑性が損なわれる恐れがあると感じたため敢えて濁した。
本来言うべきところを『支配的に陥ると言いますか、言葉では説明が難しいです』と濁したため、刑事は「うん、言いにくかったらいいよ」と終わった。
その後「警察に逮捕されたのはその恐喝未遂事件だけやね?」と問われて、中3からの犯歴を全て打ち明けた時の刑事の表情も印象深かった。
私が「いえ、順番に言っていけばいいですか?」と前置くと、刑事が「ああ、うん。お願い」と言うので「ちょっと待ってくださいね」とスマホでnoteのプロフィールページを開き読み上げていった。
🤡「まず中3の時に占有離脱物横領、自転車です。審判不開始」
👮♀「ああ、占離の横領か。はい」
🤡「次も中3でバイクの窃盗。書類送検」
👮♀「はい、バイク窃盗」
🤡「同じく中3、銃刀法違反。書類送検」
👮♀「えっと銃刀法って何持ってたん?」
🤡「バタフライナイフです」
👮♀「ああナイフかあ」
🤡「次が17歳で逮捕罪、監禁罪、占有離脱物横領で保護観察」
👮♀「ん?逮捕罪って逮捕監禁でいいんやね」
🤡「いえ、これ明確に分けられてますよ。当時に調べた警察にも逮捕監禁かと聞いたら通せんぼした時点までが逮捕罪に当たると言われて、その後に監禁で分けて送ると言ってましたから」
👮♀「ああ、そう」
ここらあたりまでは刑事の表情も柔らかかったのだが、次から一気に表情が曇りだしたのを見逃さなかった。
🤡「18歳が強盗致傷、強盗、恐喝で中等少年院送致の一般短期処遇です」
👮♀「強盗致傷…」
この直後から刑事から冗談が消えた。
ちなみに話が込み入りそうだと感じたため重要参考人となった放火殺人、参考人の殺人と死体遺棄については触れもしなかった。
他にも恐喝未遂事件を最後に長く警察沙汰になっていない事を不思議がられた。行為障害も診断されていただけに尚更奇妙に映った様子だったが、ここらへんも説明が面倒で濁した。端的に言って自分が思うに「自己暗示が効くタイプ」だとか「犯罪をしない理由づくりが特殊」なのだと感じていて、これらをすべての「犯罪者」に当てはめて考えると瑕疵が生じて当然に思える。だから説明が面倒になるのだと思う。他の犯罪者が私と同じようにやれば犯罪をしなくなるというものではないと思うから。
放火殺人や殺人死体遺棄みたく今回も私は絶対に捕まらない立場で警察と応対している分には非常に気が楽だが、今日は拘束時間が長かったために疲れた。
気づけば昼食を食べ損なってしまったため、帰路にほっともっとで購入した唐揚げ弁当を帰宅後に食べて2時間ほど眠り、筋トレに出た。
明日も参考人聴取がある。
改めて自分がした犯罪は一生つきまとうのだと再確認できる一日となった。
□2024.07.18 不審者情報
警察は一度通報を受理すると明らかに「不審者」ではないと感じる通報であっても、通知する義務が発生するのだとか。
そういや去年だったか火災報知器が鳴り響いて近所中が飛び出してきた際、たまたま真横だった私が通報する事になった。
通報中に女性が駆けつけて「火災報知器ですよね?誤って消火器を倒して噴射させてしまった人がいて…」と言うので通話中の消防に伝えたところ、「一度通報を受けると途中で大丈夫だと分かっても駆けつけなきゃならない義務が発生しますので…」と言われたのを思い出した。
その場にいた近所の人らにその旨を告げると、全員が消防に対して申し訳無さそうにしていた。
数分後にサイレンと鐘を鳴らして消防車も来た。(noteにも記載した筈)
警察も消防もそういうルールがあるので大変だな。
□2024.07.18 菜園観察
今日は1時頃には来てほしいと言われているので現在午前10時55分、行ってきます。
昨日は昼食を逃してしまったから先に食べられたら良いけども。
熱中症警戒アラートが出ている。
[追記]
12時56分到着
□2024.07.18 カーニバル
警察からの帰りに図書館に寄りたかったけど遅くなったので断念。
一応、今日で終わりらしい。
ここ数日、エンドレスリピートで絶えず耳に流れ続けるC’est La Vie
□2024.07.19 黒とビビに水を持って行く
建礼門院右京大夫集(岩波文庫)を購入。
右京大夫が恋人の平資盛を壇ノ浦で失った悲しみから、第二次世界大戦下の日本で夫を戦地に見送る女性らに愛読されたという本書。
□2024.07.19 菜園観察
□2024.07.19 罪と罰の冒頭を比較
米川正夫訳が到着したので冒頭を比較してみた。
ここだけなのでまだ分からないが、読みやすさでいうと米川正夫訳で、言い回しの好みだと工藤精一郎訳になりそうな予感。
□2024.07.19 ゴスロリくん
ゴスロリくんの家は敷地が大きい分にはいくらでもカモフラージュ出来たと思うが、新興住宅が立ち並ぶ少女宅のガサ入れは隣近所にバレバレでかなり奇異な目で見られた筈。
私の家にガサ入れが入ったときも隣近所に気付かれていたが、特別巡回に指定されてしまうほど毎日騒がしかったため、『また警察が来てんだな』程度にしか思われていなかった感がある。
少女宅は事件前に自殺未遂で深夜に救急車を呼ばれていた事があるので、近所は何事かと怪しんだ可能性はあるが、今度は警察関係者の捜査車両がやって来て段ボール箱を運んでいくのだからすぐに勘付かれたと思う。
□2024.07.19 カーニバル
□2024.07.20 菜園観察
□2024.07.20 新聞記事より
「大阪のカンベから誰か逃げよったで(笑)」と、この事件は当時も話題になっていた。
私が短期少年院を出たのが2003年4月3日なので13日後に起きた事件。
□2024.07.20 カーニバル
筋トレ前にいつも会話するおっちゃんと昨日の不審火について話していた。
🤡「なんか昨日、対岸で大騒ぎなってましたわ。不審火らしいけど」
🎅「ええ、ほんと?□□の方でも不審火あったみたいやな」
🤡「ああ、□□」
🎅「うん。ここらに放火魔がおるんやな…」
おっちゃんが去ってから思い出していたのは、別記有料記事の「放火殺人事件」
□□というのはまさにその放火殺人事件が起きた一帯となる。
🤡(もしかして、あいつが帰ってきてたりしてな…まさかな)
あいつとは上記事のTである。
「放火魔」と聞いて、25年前の放火殺人をいまだに思い出せるほど自分の脳裏に深くこびりついているのだから凄まじい。
□2024.07.20 道化師
懐かしい学童勤務時代の写真が出てきた。
学童保育の勤務中は色々と大変な事が多かった。
当時の私は「保護観察付きの執行猶予」なので毎月保護司のもとを来訪する。
保護司の面接日に限って学童の保護者会だとか、三学童の合同会議などが突然入る事もあり日程の調整に追われた。
スキー合宿では保護者と風呂に入る必要が出て、入れ墨がバレるために誤魔化しながら最後に入ったり、子供らとプールに行く際も同様、年がら年中長袖を着用。
極めつけが「写真撮影」の抵抗感だった。
とにかく証拠に残る「写真を撮られる」という行為が犯罪をしていた頃から大嫌い。
学童保育勤務時もその抵抗感が拭えず、写真を撮る際は人に被るように隠れていた。
すると写真を撮影する人に「蛇沼先生もうちょっとこっち寄って」と振られるということが頻繁だった。
運動会の写真は学童勤務2年目で漸く慣れだした頃でもある。
俳優の松山ケンイチがDEATH NOTEでLを演じていた頃、プライベートでコンビニに行くときもLになりきっていたというエピソードを聞いてから、自分も別の人間を演じているつもりで振る舞うようになった。
勤務している間は「犯罪者だった自分」を忘れる事ができた。
小学生の頃、家では虐待されていても学校では居場所を確保するために道化を演じる事に必死だった。
大人になっても自分は道化のままだった。
□2024.07.21 菜園観察
□2024.07.21 平成14(2002)年に交野女子学院にいた方
同じ時期に交野にいた女友達が話したがっているので、おられましたら下記にメール下さい。
□2024.07.21 懐かしい人
最近、短期少年院で一緒だった人とよく再会する。
当時、短期少年院に京都の花一輪という暴走族の少年が数名いて、私の世話役をしてくれた上級生のY君も花一輪だった。
私のnoteに「横浜港バラバラ事件共犯者の先輩」として何度か出ているS君とある日の不正交談にて、こんな会話があった。
S君「蛇沼君の世話役のY君、僕知ってますよ」
🤡「そうなんですか?」
S君「はい、社会にいるとき揉め事で見たことあります」
聞くと京都と滋賀の暴走族同士で小競り合いが起きていた際、Y君とS君は偶然にも敵同士で揉め事の現場に鉢合わせしていた。
少年院や鑑別所や留置場ではたまにこういう偶然が重なるので面白い。
私も初めての留置場に入ったとき、大阪府警南警察署留置場の少年房にて敵対地区のK君と鉢合わせしている。
先に入っていたK君から地元を尋ねられ、私が答えると急に顔が険しくなり、「俺○○」と地元を名乗られこちらも警戒した。
しかし、お互いにここではそういうしがらみを抜きにして過ごそうと了解しあい仲良く生活していた。
その後、K君は中等少年院送致の一般短期処遇が決定し和泉学園へ。私は保護観察処分となり社会に戻るも、その約3ヶ月後には再び逮捕され中等少年院送致の一般短期処遇となり同じく和泉学園へ送られた。
和泉学園では寮も同じになり最初の頃は仲が良かったものの、後半は仲良くも悪くもなく順調にK君は仮退院していった。
他にも特別少年院では社会で揉めたY君が先に特少生で入っていたし、世間は本当に狭いと感じた。特にDQN社会は捕まっても必ずどこかに知り合いがいて非常に狭いと実感する。
□2024.07.21 加害者のその後
平成の少年犯罪のうち事件後から現在にかけて加害者の自宅が全く変わっていないケースと転居したケースが半々ぐらいの感覚がある。
うち、殺害現場が自宅となった事件では退去後に解体されたケース①、退去後に買い手や借り手がつかないケース②、退去後に別の住人が住んでいるケース③、退去後に親族関係者が管理しているケース④の他、いまだに住んでいるケース⑤もある。
例えば、度々私と哲学問答を繰り返している"⑥君"に関しては殺害後に医療少年院送りとなり帰ってきてから現在もずっと同じ場所に居住していて、一つに実家が古くからの老舗店であるために転居しようにも難しい様だった。
そのため医療少年院から帰ってきて暫くは近所からの目がキツかったらしく、仕事以外は殆ど家から出ない生活を続けていると言っていた。
岡庭なんかも実家が大きいため転居しにくいのかも知れないが、近所の目を気にしていたのだろうか。
また加害者家庭にとって「電話」に神経を尖らせていて、私の母親も一定の期間は電話が怖くてたまらず固定電話は後ろの線を外していたし携帯電話は常にサイレントで全く出ない。インターホンが鳴るのも苦痛だったらしい。
驚いたのは少年院から出て実家に立ち寄ると何年も経過しているのに様子がそのままだった事で、掃除をする気力も無くなっていた。
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