人生で初めてケンタッキーフライドチキンを食べて思い出は溢れ出てきたけど思ってたのと違かった😇(長文)
ど田舎のオラが街にマクドナルド🍔が初めてできたのは私が中学2年生の頃。
かなり遠目の隣町だったが、マクドナルドをマックと呼ぶことさえ憚られ恥ずかしかった田舎の風潮はあった頃😔
学校ではどうやって数キロ先のマクドナルドに行くかと話題は持ち切りだった🚲。
私が休日にたまたまその近くの本屋📗から出てきたところを卓球部🏓のエース高田くんにみられて、翌日、
「マクドナルドいったでしょ?いやいや嘘つかなくていいから」
と否定するにも関わらず、マクドナルドにいったやつとして話のネタにされてしまった。
正直その高田くんのいじりは長く続いてかなりウザかった😒。
マクドナルドでそんな感じだったから、ケンタッキーフライドチキンはCMか道頓堀に投げ捨てられる🕶かくらいで
地元だとお父さんがアクティブで裕福な人の家の子しか食えない印象だったね。
「え〜、たかしくんちはクリスマスはケンタッキーだったの〜いいな〜😀」
みたいな憧れの食べ物。
※今更ですがこの記事に盛り上がりとかありませんm(_ _)m
話はさらに遡り、小学校低学年の頃。
夜中に目が覚めてしまい茶の間で親がかけていたテレビドラマ📺。
禅寺に修行に来ていた若いお坊さんたちが寺を脱走してみんなでケンタッキーをしゃぶりつくのを見てそんなに美味しいんだ〜って子供心に思った。
小学校5年生のとき、木村先生が、
「昔フライドチキンのバスケットをアパートで一人で食べたら、気持ち悪くなっちゃったことあるんだよね〜。ずっと吐いてた。」
って話をきいて、食べてみたいな〜と思った。
「先生は若い頃はだらしなくてな〜、炊飯ジャーを何ヶ月も放置しちゃったんだよ〜。恐る恐る開けてみたら変な色しててさ〜、お酒の匂いがしたよ〜」
というその時していた別談もついでに思い出した。
それくらい幼少の私にはケンタッキーは偉大な食べ物だった。
本当をいえばケンタッキーを食べるチャンスは2回ほどあった。
高校の帰り道、たまたまあった小学校の同級生に
「寄り道してケンタッキーにいかない?」
と誘われたんだけど、それやると帰りの電車は2時間遅くなるし、貧乏だったし、再絶頂にメンタルこじらせてたから断っちゃったんだよね🤔。
大学のときも友達がケンタッキーでバイトしてて、
「今度、余ったやつもらってきてあげるよ」
というので期待してたら、
「なんか、オレクビになってた笑」
というので、結局そのあとケンタッキーとは縁がなかった。
そうやって私はケンタッキーフライドチキンというものを食べずに来たわけだが、
ケンタッキー値上げの報道を見て、
「食うなら今しかね〜」
と思いケンタッキーを買いにいった。
家に帰って箱からハンバーガー🍔とポテト🍟を取り出しあとなにこれ?ベーグル?を避けると、
ケンタッキーのフライドチキンが姿を現す。
パッと見て、
「ああ、足の部分じゃないのか〜🤔」
と思いながらも勢いよくかぶりつく😬。
ゴリッ、
んっ?
ゴリッ、
んっ?んっ?
骨?
口元にあったチキンを遠目に離して確認。
骨多いな🦴。
っていうかかぶりつけない😰
えっ、みんなかぶりついてなかった?
何これ?吸って食べんの?
意味わかんない?
骨多くて食べづらいんだけど?
蟹食ってるみたい?
フライドチキンは蟹なの?
と困惑しながら食べたのであまり美味しく感じなかった😇。
長い年月をかけてたどり着いた憧れの食べ物は、
思いがけず、蟹のように煩わしかった。
ポテトはおいしかったけど。
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