厚木論語 〜ある先生の言行録

痔事通信 令和444年16月26日

昨日25日、中国山東省曲阜市から紀元前5世紀前半頃の古文書が発見された。専門家によると、文書は当時の魯の国で作成され、春秋時代の思想家である孔子とその弟子の言行録と推定されるが、これまで知られたものとは全く異なる内容とのこと。文書を調査した北京莫迦田大学文学部の雲黒崔教授は「体裁は論語と同じであるが、登場する人物や展開された思想内容がこれまで知られていないもので、中国思想史を根底から揺さぶるものである。ビックリしたアルヨ」と述べている。以下数回にわたり、発見された文書の日本語訳を掲載する。

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先生は言われた。「昨日さ、家に帰ったんだけど、間違って山奥のロッジに帰っちゃったんだよ。ご飯が出てこないから気づいたんだけど」


先生は言われた。「K原さんさ、俺の社員番号何番だっけ」K原は答えた。「11243です。」
先生は言われた。「ああそうか。ありがとう」
しばらくして先生は言われた。「でさ、K原さんさ、俺の社員番号何番だっけ」

先生は言われた。「く?%?%さんさ」
「はい!」K原とK藤とS木が同時に振り向いた


山梨からはるばる教えを求めて先生を訪ねたものがいた。先生はS木に言われた。「山梨から人が研修に来るんだけど、俺何していいのか分からないからこのビデオ見せといて」


K原が校舎内に掲示する告知文を作成した。
S井(名はY)が言った。「K原さん、色が違う〜」
それを聞いた先生が言われた。「Yさん、K原さんのパンツの色が違うってどうして分かるんだ」


先生は宴の席で言われた。「俺心臓が悪いから医者に酒飲むなって言われてるんだよ。」そして先生は生ビールを2本注文した。


K原とS木は上の階で授業の撮影を行っていた。
撮影は長時間に及んでいた。
おもむろに先生が様子を見にやって来た。
そして彼らに向かい窓越しになんちゃってポーズをされた。


宴の帰り道、酔いの回った先生は浮かない表情で夜道を千鳥足気味であった。側にはK原とS木がついていた。そして何か声を上げたかと思うと、先生は道際の看板を蹴り飛ばした。女子社員の悲鳴がした。


先生は言われた。「これコピーするわ」
そしてその書類をシュレッダーにかけられた。


先生とK原が並んで用を足していた。
「K原さんさ、」先生が話しかけようとして顔を向けると、どういうわけか身体ごと向いてしまい、K原に尿がかかった。


K原が初めて校舎を訪れた。出迎えた先生は業務などについて説明をしていたが、その視線はK原にではなく、横に居た経理のM川の鳩胸にずっと注がれていた。


名古屋からN藤が来た。声量はあるが能力は無く、もみ上げは長いが気は短く、総じて人の上に立つ男ではなかった。しかしN藤は関東の長として君臨し、先生の厚木を「三年で変える」と豪語した。先生の苦難が始まった。


先生はふとこう言われた。「愛人が欲しい」
そばに居たK原とUは笑ったが先生はなお言われた。「いや、本当だよ」


あるとき先生はS木を呼び出し、上の会議室で話をされた。近況について互いに言葉を交わしたが、その多くは先生の苦労多い心境の吐露であった。最後に先生はS木に「聞いてくれてありがとう」と言われた。


翌年、先生はN藤によって山梨に左遷された。しかも役職は全て解かれた。他の先生の弟子たちも左遷され、あるいは職を辞した。先生の厚木は失われた

あるときK原は先生からの手紙を受け取った。そこにはこのように書かれてあった。
「元気ですか。私はまったく元気がありません」


心配したK原は返事を送った。先生から更に返信が来た。
「返事ありがとう。優しい言葉痛み入ります。私は鬱がぶり返し、かなり重症です。もう会うこともないかもしれません。去年はありがとう」


先生は職を辞し故郷の町に隠棲された。数年後、K原とS木は先生を慕う他の弟子たちと共に先生の町を訪ね久しぶりの再会を果たした。
食事と共に談笑は弾んだが、しばらく経たないうちに先生は言われた。

「じゃあそろそろ終わりにしようか」

ひとり家路につく先生の後ろ姿が遠ざかっていった

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