戦後日本社会と皇室

今回の眞子内親王の騒動は、内親王が望ましくない人物と婚姻し国民の反発を招いたという点が大問題とされている。
この騒動は決して一過性のスキャンダルではなく戦後日本社会と皇室の関係性という歴史的・構造的な背景を含んだ中々深刻な問題だ

戦後日本社会は高度成長にともない大衆消費社会を実現し、庶民は豊かな暮らしと豊富な娯楽を自由に享受した。
こうした社会において、伝統と権威を担う皇室ひいては天皇という存在はどうあるべきか。これは中々難しい問題であったが、現上皇陛下である明仁天皇は見事な回答を具現した

それは、富に興ずる庶民を暖かく見守り、危機の時には救いの手と言葉を差し伸べるという姿であった。
元旦など節目の日には、祝う民々の前ににこやかな姿を見せ、天変地異が相次げば苦しむ民のもとに赴き耳を傾ける。その姿を通し、国民の多くは人間としての天皇の姿に神のような神聖さを感じ崇敬した

ただし明仁天皇の子供の世代は、自由に娯楽を享受する庶民への憧れを隠せなかった。
今上天皇の皇太子時代における柏原芳恵への憧れはそれを示すし、子供を学習院へ学ばせなかった秋篠宮家の教育方針も、皇室から脱却したいという殿下の深層の願望が現れたものかもしれない

その教育方針の結果、眞子内親王はK氏と出会うが、K氏の親族関係における下衆な疑惑から、この婚姻は国民の猛反発に直面した。
このような婚姻がそもそもなぜ成立してしまったのか。それは眞子内親王がICUに行ったからであり、それを可能にした秋篠宮家の教育方針ひいてはそれを生んだ一種の「庶民への憧れ」である

従って、今回の騒動は皇室における秋篠宮のいわば「人間宣言」の敗北である。庶民のようになりたいという願望はそもそも皇室とは相容れないのだ。国民は皇室に自分達と同じ下衆な人間を求めていない。あくまでかつて明仁天皇が示したような神聖さを期待しているのである

皇室が下衆な人間と過度に近くで関われば、下衆な人間から下衆な罵詈雑言を浴びるのは必至であろう
今後皇室が国民の信頼を取り戻すには、明仁天皇が示された路線を今上天皇がしっかり引き継ぐことだ。そして秋篠宮家の悠仁親王は学習院へ進学し、然るべき環境で然るべき人との関わりを持つべきだろう


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