骨川スネ夫と仏教

 骨川スネ夫という一見不思議な名前は色々と分析されてはいるが、未だその真意は解明されていない。

だがここで少しその不思議な名前の音と文字を眺めてみれば、まず「骨川」という名字からは骨と皮という二つの言葉が容易に思い当たる。


 かつて迦耶城近くの菩提樹で釈迦如来が悟りを開く前に、如来は苦行に励んでおり、その姿はまさに骨と皮のみであった。仏典においては八千頌般若経において常啼菩薩が真の教えを求めて東へ向かったとき、彼の心を試そうと帝釈天が少年に化け、菩薩に父の供養のためと称して血と心臓と骨髄を求めた。そして菩薩はその求めに応じ自ら皮をはぎ骨を砕いたのである。

(ちなみに苦行の釈尊を救った者も、身を砕いた常啼を救った者もいずれも心優しき可憐なる少女達であった)

このように考えれば、骨と皮とは一切の衆生を救う真の教えを求めて我が身命を惜しまない菩薩bodhisattvaの精神の象徴であると言えるだろう。そして「骨川」という名字にも、そうした菩薩の精神が現れていると考えられる。


 一方「スネ夫」というこれまた不思議な名前に目を向けてみると、「拗ねる」という言葉が容易に思い付く。「拗ねる」という心情は一見単なる日常的な心象にすぎないと思われるが、実はこれにも意味がある。法華経の13章にて釈迦如来の高弟の女性たちが次のように述べる。

「世尊は他の御弟子さんには成仏のお約束をなさったのに私たちには未だお約束をなさってくれていませんわ」と。

つまり私たち女性には少し冷たいのではないですか、と拗ねているのである。釈迦如来は笑顔でこれに応え、次々に女性たちに将来の成仏の約束を与えるのである。このように「拗ねる」という行為を通じて、最高の人生の実現を男女の隔てなく約束する仏の深々の慈悲の心が現れたのである。ならば「拗ねる」を連想させる「スネ夫」という名前にも、そのような仏の慈悲の心が反映されていると言うこともできるのではないか。


 以上を踏まえると、「骨川スネ夫」という名には、我が身命を惜しまず真の教えを探求し、その成果を分け隔てなく人々に与える仏の慈悲の姿が隠されていた、という結論が導かれるのである。

そしてそのような意味の名前が、狡猾で利己的で臆病な一人の少年に与えられていたということは、このような小人悪人でさえ仏のような最高の状態を潜在的に持しているという仏教の最高の思想を具現しているのである。



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