人が死んだら嫌なんです

人が死んだら嫌です。
活動辞めて行方知れずなクリエイターに対しても、同じくらい悲しい気持ちになります。
みんないつか死んじゃうし、いつか活動辞めると思います。

基本的に私がボカロを好きなのは、意志を持たない、人間っぽさがない事もありますが、この人たちは絶対に死なないし、活動やめないし、大好きでいても失われる事のない絶対的な存在である事も大きいです。

大好きな人が何人か死んで、死ぬ死ぬ詐欺するメンヘラは脅すばっかりで全然死なないけど、ボカロは何もしてこない、何も失わない。

私は人間の肉体が嫌いです。
気持ち悪い見た目と共に、その人間が考えてきた価値観や思想に時間制限を付けて崩壊と消滅に導きます。
ホルモンバランスとか体の調子とかで、別人みたいに人格を破壊してきます。

私は人間の考える下らない思考回路や哲学が大好きです。
人間から出力される、イラストとか絵とか文章が特に大好きです。

でも、人間は滅亡するべきだと思います。
新しく産み出される毎に、崩壊して消滅する価値観や思想が増えて、感じる痛みや苦しみの総量がねずみ算式に増加します。

全ての人間は死に、その人間が見えていた世界は滅亡してしまいます。
その中に私がいるならば、その人の中の私という概念も一緒に死んでしまいます。
私を認識している人間がまた一人死んで、私という概念がどんどん薄くなって、私が死んだ後に残るのは、私の作り出した作品と、他者が認識する私という妄想です。

私は死者を喋らせる人間が嫌いでした。
しかし、それはその死者本人ではなく、残された人間が見た死者という別の概念だと気付き、とてもどうでもよくなったのです。

私と私の中の世界もいつか滅亡します。
今も現在進行形で滅亡に向かっているのかもしれません。
私の持つ価値観や、私が私と認識する概念と、他者が私に抱く私という概念は、必ず解釈違いが起こり、一致することはないです。

時代の移り変わりによって忘れ去られていく大勢の人間と共に、完全に忘れ去られて他者の中の私という概念が消え去った時に、私がこの世界に残した影響力は消え、二回目の本当の死が訪れるのかもしれません。

もしくは全てが私の妄想と幻聴により作り出された世界です。
私が消えたら全てが消え去って、何の影響も残さないと考えた方が気楽です。
この世界観を採用します。

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