ネットとリアル考察

時々ネットで関わった人と会うのやめなーって心配される。

まあ、世間一般では至極当然であるし、その通りという感想しか出てこない。
しかし、ネット以外での人間関係の作り方が全く分からない。

実は私の人間関係は、親族以外は殆どがネットからの繋がりで構成されている。
リアルから知り合った友人で、いまだに深い付き合いがあるのは1人しかいない。

確かに、リアルから知り合う人間は真っ当な人が多いし、ちゃんとしている。
ネットから知り合う人間は、クセの強い人が多く、世間一般から見れば不審者か危険人物のような人が多い。

しかし、価値観の違いからか、前者は私と会話のできない人間が多すぎる気がする。
表面上は合わせて会話ができるのだが、どこかで常識の期待が生じ、その瞬間に会話が噛み合わなくなって破綻しはじめる。

孤独を感じた時に誰もいない場所で1人になりたいし、楽しい気分の時は不安になるし、根本的な問題として主観で生きていけない。
唯一の感情を向ける先は自分であり、他人に主観的に感情を向けるほどの余裕もない。

他者がそうして生きている事に羨ましいとも思わないし、なんなら全てを見下している。

リアルは、価値観が合わない確率がネットよりも高く、さらに外見の偏見が積み重なる。

旧社会的な共同体感覚に居心地の良さを見出す人間にとっては、リアルから繋がる人間の輪はとても心地が良いのだろうが、私はそうでもない。

会った瞬間から、瞬時に容姿から年齢性別名前で何となくのイメージが決定され、家族構成や血液型、学歴などの情報でこういう人間であると特定されていく。
その流れの中に私の思想は一切介入する余地はなく、人間社会の共同体の部品として取り込まれて、その情報の人間として扱われる。

ツイッターは社会不適合者に溢れている。
そもそも、出会いの順番が逆だ。
文字から得る思想から親しくなり、直接会うに至り、そこから外見的特徴や詳細情報を得る。
社会からのはみ出し者には居心地が良すぎる。

リアルを中心に生きる人間からすると、その思想の強いコミュニティーで煮詰まっていった人間達に、得体の知れない文明を見た時の気持ち悪さを感じるのだろう。

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