自由になりたい

ずっと自由になりたかった。

私は神奈川の川崎で生まれ育った。
東京だの横浜だのに出るのには便利だが、空気が汚くて、治安が悪くて、人で溢れかえっていた。

実家はひきこもっていても、外からはゴミ捨て場でホームレスが空き缶を漁る音がして、子供の騒ぐ音がして、廃品回収に選挙カーに竿竹屋、夜中は酔っ払いの騒ぎ声に叫び声、猫の発情した鳴き声。非常に気が狂う。

私は昔から人間が嫌いだった。
先生と二人で話す事が多かった。
何かと問題を抱えた子供だったのだろう。

ちゃんとした人にはなれなくて、成績もずっと悪いままで、何かと忘れっぽい。
ちゃんとした人からは怒られて、何も言えなくなるから苦手だ。

だからといって未成年で酒やタバコをやったり、ドラッグに溺れるような人間と関わるのも苦手だった。
他力本願で、何かしらに依存して安心してるような人間は嫌いだ。

1人になるにも逃げ場のない関東平野のど真ん中で、空気の悪い工業地帯か、お小遣いの殆どを注ぎ込んで、青梅線の奥地へ出かけていた。
それでもどこまで行っても人間はいる。
なんなら、人がいない分話しかけてくる。

なんとなく人脈を伝って音楽大学に入り、将来住む場所を探して旅をした。
色んな人と話して、居場所を必死に探した。
4年生になって、卒業が迫って、都会で暮らしたくないけど遠くに引越すお金もない。

とにかく山奥の会社に入って、引越しの費用も出してくれる場所はないかと食らいついた。
とにかく山奥で人間が少なければ何でも良かった。
でも、人間はどこまでもいた。
山道の続く限り、人間はいるし、山の木々はいるし、動物も虫も植物も、みんな私を認識して、みんなで地球に閉じ込められている。

案の定、仕事は何も出来ないし、覚えられない。
今までの人生から得た私の学習性無気力を前に、優しかった人間もどんどんパワハラ気質になる。

休みを取る前に仕事を覚えろと怒られるが、仕事をするために生きている訳でもないし、仕事前提の休みという概念に違和感しかなかった。

私は私の人生の時間に、なぜか強要されるから仕方なく、特別に仕事をねじ込ませてあげてるのだ。むしろ感謝して欲しい。

そもそも、飯食って、寝て、トイレ行って、たまに現実逃避するために遠くへ出かける事に、なんでそれがご褒美かのように認識させされて、それの代償に労働させられているのか納得できない。
価値観があまりにも違いすぎて、肯定的に生きている人間と会話しようにも何も噛み合わない。

私を恵まれた環境だと人は言うが、本能的欲求を満たしてしまうせいで、飢えずに生きてしまったせいで、余計にそれが苦しみになってしまっている。

本当に単純明快な解決策など分かりきっている。
ただ、何かしらをきっかけにして命を絶てば全ては解決するし、こんなに考えなくても済むし、自分の意識という牢獄からは脱出して、簡単に無の世界に行く事だってできるだろう。

生きている限り救いなんてないし、この地球、宇宙に閉じ込められて、ありとあらゆる生命体を相互に監視し合って、苦しめあって、踏み潰しながら暮らす牢獄からは逃れられない。

分かりきってるのに、ほんのひとさじの気力が出なくて、巨大で未知な無という恐怖に打ち勝てないせいで今日も生きてしまう。

少しお金貯めて違う事でもしようと思ったりはしている。

本当はこういう社不は、デザインとか、音楽とか、何かしら大衆に迎合される技術でもあればお金が稼げるのだろうが、私にはやり方も分からない。
そもそも、自分の何かしらを削り取って他人に消費させる事を強要してくる世界が気持ち悪い。

漠然と自由になりたい。
空を飛びたい。風になりたい。

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