東京がダメなら名古屋があるさー
ずっと行き当たりばったりの人生で、ずっと何かを探して、帰る場所も分からないのにずっと帰りたい。

道のある限り人間がいる。
どんな山奥に入っても、荒れた未舗装の道の先の滝つぼですら人間が泳いでやがる。

家の近所に人間がいるのを見たくなくて、車の走ってるのも見たくなくて、遥か彼方の本州の端っこまで来て、それでも人いるから休みのたびに山の中に入って人間のいない場所を探すけど、まあどこまでもいる。

というか、最近は人間じゃなくても、虫もいるし、植物もいるし、動物もウロウロしてるのが気になる。
そんな地球という監獄の中で、有象無象の生命体と共に、この体の中に閉じ込められている。

目的もないし、意味不明だし、なんの責任もとりたくないし、苦しみたくないし、努力もしたくない。
ずっと存在を消して無になりたい。
意識を手放して、何も無い空間でふわふわしていたい。いや、ふわふわすらしたくない。存在したくない。

私が私を観測するから私が私として存在していて、私が私の外側の世界を認識するから、世界は世界として存在している。
私が観測も認識もしなければ、何も存在しないに等しい。

それならば、ずっと眠っていたい。
でも、眠って朝になれば覚醒してしまうし、起きているのに横になってじっとしていると、肉体に閉じ込められている実感に押しつぶされそうになってじっとしていられない。

どうにもならない。
ずっと将来は不安で、虚無で、なんの意味もない事を実感して苦しくなる。

帰る場所に生命体の存在はありえない。
誰もいない場所で、生命体の気配のない真っ暗闇の場所に消えていきたい。

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