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自分の顔

まれに自分の顔の造形をすごく気に入ってくれる人がいて、10代のころは顔を褒められるたびに複雑な気持ちになっていた。顔の出来は自分でどうにかしたものではなく、勝手についてきたものだからだ。老若男女にモテる美形というわけでは決してないので、おそらくその人の好みの造形だったのだろう。
しかし成人して身なりを整えるのにそれなりに手間がかかるようになった頃、気持ちに変化があった。髪もファッションも面倒で適当にしているときは褒められない。なんとかやりきって整えるとたまに褒められることがある。顔は元々持っていたものだが、素材を生かす努力が認められたと感じるようになった。例えると、手入れされていないナマクラの刀をうまく研いで切れ味を出し、その刀が評価された時の研ぎ師のような。もちろん刀を作ったのは研ぎ師ではないが、研ぎ師がいなければ評価されなかったと考えると、報われた気持ちになる。
身なりを整えるのは本当に面倒くさい。本当の美形なら手入れをしなくても評価されるだろう。何もしなくても髪はサラサラ、肌はピカピカ。ケアの作業そのものに楽しさを見いだせないタイプなので、美形が羨ましいことこの上ない。
最近は、承認欲求が強まったときだけ面倒くさいながらもたまにがんばって整えている。寝ている間に勝手に全部やってくれる機械があれば、100万までなら出せるのに。

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