におい、この私なるもの。
水曜の午後。新宿駅東口の交差点。おびただしい人の行き交い。
隣でスマホをいじるOL、向こうから歩いてくる外国人。お互いの名前や年齢や出身・・・彼、彼女らに関するすべてのエトセトラなんてどうでもいい。他人、他人、他人。ただ他人としてふるまうことが当たり前の時空間。
「におい」がした。
新宿の交差点。その無人称な空間にあってもなお、いや、だからこそ際立つ、
一つの「におい」があった。
右斜め前方を歩く小太りの中年男性(50代前半だろうか)。彼が身にまとう香水が「におい」の出元なのは間違いなかった。
そのにおいは、ラベンダーの気配があるのだが、量が多いせいだろうか、そのうえ彼自身の体臭とからまることで、異様な趣を発散している。
男性が明らかに身の丈に合わないにおいをまとった原因は、隣を歩く派手目な女性(20代前半だろうか)にあると思われた。
二人の関係。推測するに難くない。パパ活だろう。
外見だけで判断できたわけではない。「パパ活の温床」。数日前に、東京をそう揶揄していた友人のざれごとを覚えていたのも原因の一つにある。
だが、決定的なのは彼らの不自然な会話だった。男性はぎこちなく、しかし楽し気に、街の様子についてや身の上話を展開する。一方、女性は「すごーい」「えッ、ほんとに?」なんて風に、飲み会で聞くような相槌と絶賛の無限リピート。言葉裏腹、感情はまるでこもっていない。
このテンションのギャップが、はたから見るとほんとうに悲惨だった。
女性は男性のことを、金のなる木、あるいは物欲を満たすための道具としてしか認識していないのかもしれない。
しかし、そうであろうとも男性は、日常で満たされない「心」を癒そうとパパ活に手を出した。
女性の前に出る手前、ケアしていかないわけにはいかず、適量もわからないまま、慣れない香水をつけた。
少しでも自分をよく見せようとした。
私は、一人の男性の努力が、むなしく空回りする瞬間の目撃者、いや臭撃者となった。
しかし同時に、男性の興奮と女性の能面な愛情との温度差を「におい」が象徴しているような気もして、言いようのない愛しさを感じた。
「におい」は人間の脳に、呼びかける。
「におい」が産み出す世界は、(”匂い”であれ”臭い”であれ)
音や光が産み出す世界よりも直接的で、衝撃的な印象を記憶に刻み付ける。
写真やビデオにも残らない分、一回的で個人的で、だからこそ「私」の存在と不可分なのだ。