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試着に行って募金したおはなし

考えるより先に行動

 私の弱点に、「行動に移さない」がある。考えて考えてそのまま放置したことが幾つあることか。買って使わない、とか書籍読んでもその内容を行動に移さない、とかザラである(誇るな)。けれど今年の私はちょっと違うぞ、と百貨店内のブティックを覗いてみることにした。通勤経路にあるし。予約必須かな?とビクついたものの、サラッと通していただけた。
 別のブランドさんで過去ものすごい対応を目の当たりにしてトラウマ持ちだったけれど、気持ちよくご対応頂けた。なーんだ、意外と簡単、などと思いつつやはり買わないのにお手を煩わせるのも…とこの辺はまだ葛藤がある。
 どういう用途(TPO、職場の様子など)で普段どういったファッションが好きで多いのかを聞かれたときに自分の軸がしっかりしていた方が店員さんから有用なアドバイスが貰えるのでは?という気がした(多分普通にみんながしていること)ので次は自問自答ファッション教室の後の方が良いと思った。良くも悪くも気が多い(軸が定まっていない)女なので。正式な自問自答の手順(?)を踏まずに行った分、ちょっと無駄足だったかもしれないけれど、自分の「コンセプト」の大切さを実感できたので行って良かったと思う。

「推し」からなりたい自分を考える

 推しを頭に思い浮かべてみると、私のカッコいいは外見のお話ではなさそうな感じがした。中身の話っぽい。いや、勿論外見だってカッコいいんだけれども。信念がしっかりあって、自分が正しいと思うことをやり遂げられる人が好き。そして陽か陰かでいうと割と陰。
 私の歴代の推し:珊璞(らんま1/2)、桔梗(犬夜叉)、うちはイタチ・奈良シカマル(NARUTO)、エンヴィー(鋼の錬金術師)、左文字三兄弟(刀剣乱舞)、ヴィル・シェーンハイト(twst)、世良真純、諸伏景光、シェリー(名探偵コナン)
…何というか、圧が強いし、ヴィランが多い。
それを自分にどう落とし込む?社会的な「キャラ」として彼ら彼女らのように振る舞い装うのは色んな意味で現実的ではない。
 通勤時間にちまちまと自問自答し、自分と彼らの一番の違いを考えた。自信だ。実績がないから仕方がないのかもしれないけれど、私には自信がないから貫く信念もない。価値観(軸)が多いのもその辺りが影響していそう。
高校生みたいな悩みで笑ってしまうけれど、見つかってよかった。コンプレックスがわからない(見てみぬふりしてたものと向き合わない)と先に進めないので。
 そんな時に思い出したのが下のエピソード。星野源さんは音楽もそうだけどエッセイが好きで本棚に(多分)全部ある。(超余談だけれど私は短期も長期も記憶力が怪しい分、キーワードを覚えておいて詳細はもう一度ググって確かめる(所謂グーグル脳)という性質が強く、脳内に浮かんだワードからの連想ゲームが非常に多い。話の飛躍も多い。)

自分に自信をつける方法

星野源さんのラジオで「自分に自信を持つ方法」をリスナーから聞かれ、こう答えられたそう。

 “自信をつけるには、まず自分の中身を良くしていくしかない。そのためには、
・自分がカッコイイと思う事をする。
・自分がカッコ悪いと思う事をしない
これだけで、顔のつくり自体は変わらないけど、いい顔になる、いい顔と周りに思ってもらえる。
すると、いい人が周りに増えてくる。そして自分に自信がつく。”

星野源のオールナイトニッポンから要約

 かっこいい行動は難しくても、カッコ悪いと思うことをしない。これなら自分でも少し頑張れるのではないか?
かっこいいことをするのは難しいし、毎回これはかっこいいか自問自答して行動すること自体がかっこわるい気がするけれど、「カッコ悪いことをしない」ならハードルは低い気がする。

そして、募金

 そんな折、トルコ・シリア地震のニュースが飛び込んできた。けっして心優しい人間ではないけれど、小さい頃から誰かが酷い目に遭うニュースが大嫌い。特に人間の醜さが現れている事象がとても嫌い、知りたくない、でも知らないのはもっと嫌だ。小学生の校外学習で原爆資料館に行った時、ウクライナ侵攻で罪科のない市民が証拠隠滅のために焼かれた画像、どれも夜フラッシュバックして涙が止まらなくなって枕を濡らすことになったのに忘れることは己が許さない。…という変な性質がある。(心の底からみなきゃいいのにと思う。何でみちゃうんだろうね)
 なので内戦状態のシリアの現状は薄目で見ていた。詳細を知ってしまったら怒りと悲しみでどうにもならなくなってしまうので。自分でどうにもならないことで自分の無力さを味わいたくない。なのに幼い姉がさらに幼い妹を瓦礫から守って、救急隊員に「何でもするから助けて(意訳)」などとお願いしたニュースを見てしまった。幼い少女が見返りなしに助けてもらえると思っていないなんて、とかその健気さとかもう色々なものが込み上げて涙が止まらなくなった。その夜の枕は涙でしみしみになった。

自問自答再び

 でも、ただ嘆いているだけではダメだ、私は自分のコンセプト(キーワード、(仮))の人間になりたいと決めてしまったのだ。ならば、せめて「カッコ悪い」は避けて通りたい。
 と、自問自答した結果が「募金」だった。環境活動家のグレタさんだって、悲しみや憂鬱に対する最善の薬はまず行動することだと言っていた。ほんの僅かな金額だけど無いよりはマシかもしれない。最初のウクライナ侵攻のときにユニセフに登録していたのでAmazonペイであっという間に募金は終わった。なんだ、簡単。そして。給料天引きで少額から色んな基金やNPO NGOに募金できることは知っていたけれど面倒だなと何年もみてみぬふりをしていた。やっと登録した。5クリックくらいだった。10年近く頭の隅に置きっぱなしにしてモヤモヤするくらいならもっと早くに手をつければよかった。1ヶ月あたり、自分がちょっと日常我慢すればいいくらいの金額。ちっちゃいけれど、やらないよりカッコ悪くないんじゃないか。推しとは全然ベクトル違うんだけど、自分が正しいと思うことを少しずつ積み上げて行動していけばいつか変わるんじゃないか。行動してみると意外と易しいものかもしれない。ちょっとだけ、わたしは元気になった。

目標は何十年後

 かのココ・シャネルだって20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔はあなたの功績と言っていた。
今は全然かっこいくない頼りない私だって、少しずつ行動を変えていけばいつか「コンセプト(仮)、かっこいいひと」に追いつくんじゃないか。

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