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おそろいの、青色

空色の思い出

 生物・本周りに執着と記憶力の大半を注ぎ込んでいた子供時代だったこともあって、鮮やかな色彩を伴って覚えている風景はあまり多くない。その貴重な一つが総合の時間に屋上に出て住んでいる町を眺めた時のものだ。郷土愛、みたいな授業だったと思う。田舎ゆえに四方を囲む山の前に何の遮蔽物もなく、だだっ広い平野に田んぼの緑とポツリポツリと民家が点在していた。

変わり映えのない風景やな〜、と速攻で興味をなくし景色を眺めるのをやめた私だったが、クラスメイトの「あ、あれ美雨ちゃんちのおばあちゃん!」の一言で慌てて柵にへばりつく。

 それは紛れもなく私の父方の祖母だった。トトロたちの世界から一歩時代が進んだ程度の町。その田んぼの緑の中に、目が覚めるような空色のカラージーンズと鮮やかで大ぶりの南国風の花々が咲き乱れるカットソーを身につけた女性が自転車で元気に疾走していた。

 都会ではありえないことだが、田舎特有の閉鎖社会では子供達も先生もお互いの家族構成と母親と祖父母の性格くらいはお互いに知っている(遊び場がそれぞれの家くらいしかないからだ)。それでも、屋上から見えたサイズの人間で氏名が特定できたのは私の祖母だけだった。それくらい、今は亡き祖母の美的センスは故郷で目立っていた。

 栗色のヘアカラーでパーマをかけてふんわりとさせたボブ。明るいフューシャピンクの紅をさして、KENZOのトップスを愛用していた。ボトムはTPOに合わせて色々なパンツを使い分ける。派手だけれど、派手さに嫌気がさすような、目がチカチカするようなことはなくて、全てがうまい具合にはまって溶け合っていて、いつも唯一無二のおばあちゃんを作っていた。

祖母、人となり、思い出

 芸術と読書を愛する人だった。毎週日曜日は趣味と実益を兼ねて、隣町の大きな美術館の監視員のボランティアをしていた。好きなだけ美術館の空間に浸れて監視の合間に本まで読めるなんて最高でしょう?とのことだった。ピカソやマティス、クリムトが好きだといつぞやか教えてくれた。芸術にさほど興味がなかった私は鮮やかな色彩が好きなんだな、と思った。お嬢様育ちなこともあり、いつも穏やかで声を荒げたのを聞いたことがなかった。母に内緒で炭酸飲料をこっそりくれたりしていた。

怒られないのをいい事に、なんでも正直な質問をぶつけていた。小学校高学年のある時、人間は地球に必要なのか(結構本気で)疑問に思っていた時期があった。チェルノブイリの原発事故の後、人間が消えて却って動植物の楽園になったというニュース、宗教過激派によるテロ、広島原爆資料館での校外学習、地球温暖化、環境破壊による絶滅危惧種の増加、レイチェルカーソンの沈黙の春、両親がくれたネイティブアメリカンの女性の手記(冒頭はアメリカによる虐殺の描写から始まる、今だにどういう意図を持ってこれを娘に読ませようと思ったのか分からない)、もののけ姫。

これらにたまたま同じタイミングで触れた。人間ってそんなに大層なもんかね、地球の厄介者やんか、としか思えなかった。繊細というか、臆病というか、潔癖というか、人間の悪意とか本能とか、そう言ったどうしようもないものに嫌悪を覚え始めていた。おそらく、思春期のはじまりだったのだと思う。
 親にこんな質問をぶつけても嫌がられるし先生なんてもっての外なので、祖母に「戦争するし、自然破壊するし、人間が地球から消えても(人間以外は)誰も困らへんのとちゃう?」と聞いた。ちょっと八つ当たりじみた感情だった。何故こんな厄介な種族に生まれてしもたんやろ。

当然だが困った顔をされた。でも誤魔化さず、その時祖母が必死で考えた答えをくれた。
 画集を見せてくれた。美術展の図録だったかもしれない。色々な作品の中から自分はこの作品が好きなのだ、人間は醜いことも過ちもたくさん犯すけれど、美しいものも生み出せるのだといったふうな事を噛みしめるように話してくれた。このとき初めてピカソのゲルニカを見た(本の中でだけれど)。激しい怒りと嘆きが詰まっていた。芸術はただ美しいだけじゃない、それが若い自分には少し衝撃だった。

 どの時代も人は理不尽の渦の中に生きていて、怒りや喜びを爆発させながら、正しいと思うことを主張し、それでも自分が思うように、美しいものを、世界の善き面を見つけながら生きていくしかない、それが祖母の思うヒトの在り方のようだった。

 母方の祖母と違って戦争の話は全くしなかった。母方の祖母は軍の駐屯地の近くに家があり空襲で何度も怖い思いをしたからかもしれないが(その内容がもう本当にメチャクチャで。何で日本が勝てると思ったん?指示が全部馬鹿なんやけど、と小学生の私すら呆れたため記憶に残っている)。

 昔は家事全てをお手伝いさんがやっていたそうで、お料理はあまり得意じゃないと言っていた。けれど、ふわふわたまごの醤油だけのシンプルなチャーハンと本物のカニ缶を使ったポテトサラダが絶品で大好きだった。子供時代、私がおかずに入ったフルーツを許容するのはおばあちゃんのポテトサラダの中の林檎だけだった。お洒落な、ちょっと大人な味がする気がした。

私が大学に通うため実家をでてから、週1回お気に入りの絵葉書で必ず便りをくれた。とりとめもない実家まわり、ぐるりのことが綴られていた。筆まめな人だった。返事、出せばよかったな。青春と研究に夢中でそれがどんなにありがたいことか、若い自分はいまいち分かっていなかった。

 子供時代母は私たちにファミリアを買い与えていた。3人姉妹ゆえお下がりにできるよう、流行の影響を受けない、地味だけどしっかりしたお洋服たちばかりだった。まあ似合っているのは確かだし、歳の近い方の妹と二人で「おばあちゃんのセンスは残念ながら誰も受け継がんかったんやね〜。いや、あんな綺麗な空色のカラーデニムが似合うん、うちのおばあちゃんしかおらへんで!」などと話していた。

私たち姉妹が人生でいちばん初めに出会ったオシャレさんは祖母なのだった。いつもそのセンスに度肝を抜かれながらも憧れた。

 今、祖母はもういない。病が発覚してからあっという間だった。院試に集中できるように、両親は私に祖母の病状は伝えず、祖母のことを知らされたのは試験の翌日のことだった。慌てて飛んで帰って病室の祖母を見舞った時、祖母はまだ頭もしゃっきりして「心配かけたくなかったのよ。少し体が悪いだけ」と笑っていた。会話もできた。また見舞う約束もした。面会の後、実はもう末期状態で、開腹手術をしたものの病巣をもう取りきれない、手の施しようがないということで何もせずに腹を閉じたのだ、と父から知らされた。翌日、祖母の意識は無くなり、1週間ほどで亡くなった。お盆直前の暑い日だった。
 人生で初めて納棺の場に立ちった。死化粧の際、口下手な祖父が口紅を少しでも祖母が好きだった色にできないか頑張って交渉していた。日本人形みたいな赤い紅じゃおばあちゃん、他の人の前に出たくないって言うわよね、もっとモダンな色じゃなくちゃ、お洒落なひとだから、母は言った。
私たち子供はというと、少しでも悲しい気持ちをどうにかしたくて死装束の色に文句をつけていた。こんなに死装束が似合わないおばあちゃんも世の中にいない、もっと派手な色も選べるようにすべき、今時真っ白なんて、ともう何だか分からないことに腹を立てていた。3人の孫の避難先はいつだって優しい祖母のところだった。あの無条件に暖かい居場所に帰れると思っているから辛いことだって何だって挑戦できたのだ(父母に言うと大体こっちが悪いだの甘いだの、お小言が飛んでくる)。父は父で、お盆に亡くなるなんておばあちゃんはタイミングを読んでこっちの手間を減らしてくれたんや、流石や、と訳のわからないことに感心していた。派手好きで優しい自慢の祖母(と母)を亡くした私たちはそれぞれのやり方で悲しみを発散させ、故人を惜しんでいた。側から見ればさぞ滑稽だったろうと思う。
 葬儀の場では、いろんな親戚から「美雨ちゃんに会いたくておばあちゃん待ってたんだねえ」と口々に言われた。だって初孫ですから。しっかりたっぷり愛していただきました。葉書や本、お菓子だけでなく見えないものもたくさんもらったのだと思う。今自覚できていないものも含めて、きっと、たくさん。


親友で、妹

 昔は私の子分扱いだった妹も、大人になってみれば2歳差なんてもう誤差で、お互いを一番よく知る気のおけない親友みたいなものになった。お買い物にも一緒によく行く。彼女は父方の祖母の実家のほうの血をよく引いていて、私とは違うまんまるの顔にまんまるの目をしている。ファッションセンスが良くて、岡山に住む母方の叔母から「会うたびにどんどん洗練されていきよるじゃろ?行く末は都会のマダムじゃわ」と評されている。私はといえば、「美雨ちゃんはいつまでも美雨ちゃんで安心するんじゃわ。好奇心に忠実でいつも楽しそう!」と言われている。この、差。

 話を戻すと、お互い気になったお店にふらっと入ってアレが似合う、コレはどうだというウィンドウショッピングを楽しんでいると、大体どちらともなく「これはおばあちゃんやね」というセリフが出てくる。カラフルで派手な、ハイセンスなファッションアイテムを見つけた際の癖みたいなもので、おばあちゃんの孫やったらうちらもいつかは似合うはずなんやけどな〜と笑ってそっとラックに戻すまでが一連の流れとなっている。

おそろい、ゲット

 ある日のお買い物のこと、いつものように「おばあちゃんアイテム」を二人で見つけた。それはハッとするような青に大きな花々が描かれているスカートだった。美しかった。夏に着ておでかけしたいと思った。妹はファッションが大好き、且つ詳しいのでそのブランドの成り立ちなどを色々と教えてくれた。その最後に、「私やったらこっちの白色で、お姉ちゃんはこの青色が似合うと思う。」と宣った。

「私にこれ似合うかな?派手とちゃう?」

「トップスちゃうからいけると思う。シンプルなカットソーにコレ合わせたら絶対素敵。主役はコレ1つにしてね。」

「おばあちゃんの真似してええかな?」

「あの空色のパンツだけは絶対あのおばあちゃんしか似合わんからホンマやめとき。それ以外やったら、まあ、私ら孫やし。年取ると派手にしたくなる気持ちは分かってきた、シワ飛ばしたいねんな。」

「ほんまに買うてまうで」

「買うてき」

大好きなおばあちゃんとおそろいの、派手な青の派手な花柄のスカートが私のワードローブに加わった。

今年のお墓参りはこの子と一緒に行くと決めている。


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