見出し画像

明日のキミは、きっと幸せ

我が家には獣人の子供がいる。

名前は「シンタ」

約一ヶ月前に家族になった私の可愛い愛息子の一人だ。


「売れ残りの奴隷」というヘビーな過去を持って生まれた彼は、イベントで落札された帰りの車の中でもなんだか不思議そうな…そして、とても不安そうな顔をしながら我が家にやって来た。

私がはしゃぎ疲れて眠った翌日。
目に入ったのは、こちらを注意深く観察するような。
警戒心たっぷりなオレンジ色の二つの瞳だ。

「自分は愛される為にここに来た」

それを微塵も疑っていない、という顔をしてやって来る大抵の子たちとはまるで違う、子供というには疑り深く、大人というには酷く臆病で。
張り詰めた糸を一本、切ってやれば今にも泣き出しそうな視線の温度にどうしたものかなと少し考え込んだのを覚えている。

我が家には「ワケアリ」が多い。
それは物理的な問題であったり。
その子の抱える物語の重さだったり。
理由は様々だが、一癖二癖ある子に惹かれてしまう私の性質故だ。

今までならば「その”ワケ”ごとあなたを愛してる!」なんて、全力で愛を唄うところだけれど。
いろんなワケアリの中でも、とびきりの地獄の中からやって来たこの子とどう接するのが一番正しいのだろうかと考えた末。
出した結論は「本人にとって一番普通な距離を保つこと」だった。

ドール者的に言うとウェットな私は、
Twitterのサークル機能では日々スマホで気張らず最も自然体な私と彼らを撮り、うちの子たちのちょっとした会話や小話を展開していて。
オーナーによってうちの子との関係性は様々だろうが
我が家では私はあくまで「育ての親」であり、
そしてうちの子たちは「私の子供」で、
うちの子同士は皆「兄弟姉妹」であり「友人」でもある。
そういう疑似家族を作り、接している。

だけどこの子だけは違った。
あえて変えることにした。

彼の居心地が悪くならないように。
極力環境が急激に変わってしまわないように。
あくまで私は「ご主人様」で、この子は「買われた奴隷」
形だけの主従ごっこ。

いつもだったら可哀想に感じてすぐ外してしまったかもしれない、
首に巻かれた作家様こだわりのチョークチェーン。
引っ張れば首が絞まるそれを、あえてそのまま付け続けた。
チャリチャリと冷たい鎖の音がする度、
その音に心地よさは感じつつも。
いつか彼が私の家族になってくれた時に外してやりたいな。
それはいつがいいかな、と考えていた。

少しずつ少しずつ。
生い立ちに暗い部分のある他の子や
個性的な身体的特徴のある子に会わせていき。

普段ほとんど声に出して話しかける事はないけれど。
珍しく声に出して名前を呼んで、話しかけて。

zzz…
ハッ!

いろんなモノを与えてみて。

字を書くシンタ
飴ちゃんがおいしかったシンタ
おっかなびっくり
アイスがぱちぱちしてびっくりしたシンタ
私のアイス勝手に食べてるシンタ
つんつん
ゲーム買って貰ったシンタ
ティアキンもやりたいね頑張ろうね
ちゃんと出来るかちょっと不安
冒険に想いを馳せてる良いお顔
めちゃくちゃガチで一緒にやってる
実況見るのと違うワクワクを味わうシンタ
この世界を自由に走り回れるよ
数時間彷徨い疲労困憊の新米勇者
でも頑張って戦ったね
ちゃんとお片付けをする偉いシンタ
突然のボスっぽい奴に動揺するシンタ
イワロック倒して興奮の遠吠え
ボス戦緊張したね
新しいベッド
クッション揉み職人
にこにこ
昔作った私の自作ブレス
喜んで見せに来るシンタ


おっかなびっくりこちらを見つめる視線が
柔らかくなるのを感じる度に追い打ちをかけてどろどろに甘やかして。

私はただ、日々進み行く彼の時計の針を見つめながら完全に日付が変わる瞬間を待っていた。

5月30日。

彼が家にやって来てちょうど一ヶ月が経ったその日。
すっかり子供らしさを取り戻した瞳の彼に
私は一つのプレゼントを用意していた。
赤ん坊用のベッドだ。

きっとこれは人によってはドン引きなんだろうと思いつつ。
あと一歩踏み込めずにいる彼への私なりのラブレターである。

これからは主人と奴隷ではなく親子として
私の子として一緒に生きてくれないだろうか。
そういう気持ち。

ズッズッ…
スポッ

その日、確かに私たちの間の日付は変わったんだと思う。
私は彼の首に巻かれた鎖を取った。

これは正式に主従の契約を破棄する儀式のようなもので。
鎖で縛らなくてももう消えない繋がりへの自信だ。

それを「絆」というのか「愛」というのか、
もしくは「呪い」というのか。
それは、これからの私たち次第ではあるけれど。

鎖から解き放たれた彼の体は驚くほど軽い。
体感半分くらいになってしまったのでは?と感じるほどに。
この失った重みが彼が抱えてきた物なのか、と。
そう思うとなんだかゾッとする。

もっと早く、もっと簡単に自由にしてやればよかったか?
でも私は自分が間違っているとは思っていない。
きっとこれでよかった。
自分の一人分の重さの暗い物語を引きずって我が家にやって来た彼をその物語ごと最大限愛し、我が子として受け入れる為の儀式として
必要な過程だったのだと思っている。
無理矢理で唐突なハッピーエンドは、彼の物語への侮辱だと感じるから。


なあシンタ

かわいいシンタ

佳夕のような瞳を持つ
地獄で生まれまだ幸福の何たるかを知らぬ、無垢で美しい赤子

産声を上げた刹那より始まった
キミの地獄はここで終幕
これより先、どんな困難や悲しみが訪れようとも
キミの最期は悲劇に非ず
道に迷ったその時は
私が手を引き前を行くと約束しよう

私にとって親とは子を愛し守る者である
子であるキミは今は安心してゆりかごの中で眠れ

そうして笑って笑って笑い抜いて
これからの時を共に生き
そうしていつかの日が来れば
まどろむような平穏の中で静かに呼吸を止めよう

必ずや 必ずや
これは親子の契り
これからの、私たちの物語

甘いものはいかが?
一口くださいな!

愛してるよ。
生まれてきてくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?