仕事に求めることは、“求めないこと”である。

地域(地方)で活躍している大人と、その地域の大学に通う大学生との交流会に行ってきた。
感想の大部分を占めるのは「疲れた」と「仕事に求めない」ということだ。



まずひとつめの「疲れた」は、交流会のスケジュールが一泊二日だったこともあるが、何より真剣に話している人の話を聞くのはとても疲れる。真剣なのでこっちも真剣な態度で話を聞き、質問を考える。疑問を感じなくても質問を考える。この頭の使い方は、頭も体も疲れることを知った。


そして、初対面の人との挨拶。これもまた神経が疲れる。当たり障りのないことを話すのが大人同士の始まりなんだろうけど、私はどうもこの話が嫌いだ。人間には質問されたくないことがあるらしい(最近まで何でもかんでも質問してた)ので、この塩梅が難しく、たくさん考えなければならない。


ふたつめの「仕事に求めない」というのは、仕事をすることによって得られる“ワクワク”や“たのしい”の感情が不要だと感じたことだ。私は、多分だけど、どちらかというと、人よりも感情が豊かで好奇心旺盛な部分がある。この“好奇心旺盛”というのは、結構どの分野にも反応するらしく、私もいまだに自分の感性が反応する範囲をわかっていない。

なので、どんな仕事をしても、割と達成感とか幸福感とかを得られるタイプの人間なのである。人間の感性が単純なのであるから、わざわざ企業して、複雑な仕事をしなくていいと感じたし、誰がやっても代わりがきく仕事に就きたいと考えた。

以上2点を、私が将来仕事を決めるときの指標にしたい。

こんなこと考えてるやつが採用試験に来たら、人事の人嫌がるだろうな・・・。

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