ウェルビーイングという考え方

ウェルビーイング(英: Well-being、英: wellbeing、英: wellness、ウェルネス)とは、個人またはグループの状態(コンディション)を指す概念である。つまり、あるウェルビーイングが高レベルの時、その状態(コンディション)は良好であることを意味するようになる。あえてここで変な英語を変な日本語に訳すとウェルビーイングは「良好性」や「良好性状態」(ただし良好であるとは限らず)となる。

ウィキペディアでは、このように説明されているウェルビーイングという単語。
先日のデザイン概論で初めて出会った言葉だが、この言葉が持つ感覚というものを、ずっと傍において生きていきたいなーと感じた。

というのも、最近授業の課題が多くて、寝る間を惜しんでとは言わないものの、食事を作る時間を削らなければ生活ができないほど、課題に追われている生活を送っている。外食をすることに抵抗がある(食べに行くのは大好きだけど、手抜きして食事をする自分が嫌になる)ので、今の生活にどこか嫌悪感を抱いている。そして、このように忙しい生活を送っていると、自分の好奇心がどんどん無くなっていくのを感じる。好奇心が減ると、食べて寝て食べて寝てを繰り返すだけの生活を送ってしまう。忙しくなくなりその忙しい時のことを思い返すと、本当に生産性のない生活を送っていたのだなーとまた嫌悪感に包まれる。


この生産性がないというのは、主にインプット作業ができないことを指す。授業でアウトプット作業をするためには、授業外でインプット作業をしなければならないが、そのインプット作業に時間を割けないため(もしくはインプットする気力が起きないため)、授業中のアウトプット作業が滞り、結果的に生産性が上がらない。結果として何も成長していない1ヶ月を送ってしまった気がして、本当に悲しくなる。
つまり私は、基本的な生活がきつきつだと、余力がなくなるため興味関心の気持ちが薄まり、何かを得る力を失っていくようだと気づいた。(この感覚は、結構多くの人に当てはまるのでは?と思っている。)そしてこの興味関心がなくなるというのは、私のアイデンティティを失うことに近いと感じている。私と社会を繋ぐものは、私の中から溢れで出る好奇心だと思っているから。(長くなるので省略。)

ウェルビーイング、この状態を私は、感性の良好状態だと考える。この感性が良好という状態は、基本的な生活に多少の余裕がないと得られるものではないと感じた。ウェルビーイングでないと、読書や美術や建築や音楽に対しての興味がわかないと思う。これらの文化に興味がなくなってしまったら、本当につまらない人生になってしまうだろうなとも思う。


ウェルビーイングでいるために、自分はどのように生きていくのが良いか、今のうちからじっくり考えたいと思った。

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