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【今日の教皇様】#12「神様を愛し、隣人を愛する」いちにさん@投稿14日目20本目

神を愛し、隣人を愛する
神への愛と隣人愛は切り離せません。これは同じコインの両面であり、ひいては隣人との共生こそが信じる者の真の強さにもつながります。
(出典 <ひめくり>まいにち、教皇フランシスコ ) 

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■「汝の隣人を愛せよ」

私はキリスト教信者ではありません。そんな私でも、この言葉は何度も聞いたことがあるほどこの言葉は有名です。

この言葉の意味を考えたことはありますか?

私は、この言葉は、人間愛、人類愛を表していて、
「同じ人間なんだから、人間同士で争わないで、一緒に神様の愛に応えるために祈りましょう!」
という意味かと思っていました。

あらためて調べてみたところ、キリスト教の本質を表す言葉でした。

■参考資料

人類の最大にして永遠の課題~隣人を愛する(テンミニッツTV)

引用1
 「汝の隣人を愛せよ」。キリスト教信者でなくとも、このイエスの言葉を耳にしたことはあるでしょう。上智大学神学部教授でカトリック司祭の竹内修一氏は、この言葉こそがイエスの愛の本質を表していると言います。

 神の人間に対する愛は「アガペー」という言葉をもって示されます。愛することで相手からの見返りや利益を一切求めない、無償の愛、究極の愛です。この究極の愛に応えるには、人も全身全霊をもって愛することが必要なのですが、イエスはこの「神を愛すること」と「隣人を自分と同じように愛すること」は、本質的には一つのものだ、と説いているのです。


『神を愛し隣人を愛し』(日本同盟基督教団 守谷聖書教会 牧師 鈴木洋宣)


引用2
パリサイ人は、主イエスがサドカイ人を黙らせたと聞き、集まり、彼らの内のひとりの律法の専門家がイエスをためそうとして尋ねました。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。(v36)」主イエスの時代、律法の教師たちは、モーセの律法を細分化し、積極的律法248、禁止律法365、計613としました。

主イエスは、即座にお答えになられました。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。(v37、v38)」これは、申命記6章4節5節です。

イスラエルの民をエジプトから救い出して下さった神を、自らの全存在において愛することです。この律法は、当時のユダヤ人が、会堂での礼拝のたびごとに告白していました。また、日に二度、この律法を口に唱えていました。ですから、最も大切な律法でこれを挙げるのは、当然だったとも言えるでしょう。

しかし、人々が驚いたのは、続く主イエスの言葉でした。「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒め、それと同じようにたいせつです。(v39)」これは、レビ記19章18節です。隣人を愛することです。

主イエスは、神を愛することは隣人を愛することと仰せられたのです。

パリサイ人は、神への熱心は強いものでした。でも、そうしていく中で、彼らは、自分たちだけが正しい者として、一般大衆を蔑んでいたのです。

そのような彼らに、主イエスは、神を愛することと隣人を愛するは切り離せないものであり、その戒めに律法全体と預言者が基づいていると仰せられたのです。


■「神への愛」「隣人の愛」は、同じコインの両面

上記の引用にあるように、

「神への愛」「隣人の愛」は、同じコインの両面=1セット

であることは理解できました。
なるほど、イエスの言葉には、このような本質、背景、思いがあったのですね。


■「隣人との共生」こそが信じる者の「真の強さ」に

共生には、
「共に生きること」という意味があり、
「複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する現象」という意味もあります。

いろいろな人たちが、共に生きていくには、個人の考えや個性、生活様式、文化などがことなることもあります。
そうなると、コミュニケーションや生活の差異などにより、トラブルが起こる可能性があります。

「みんなちがってそれでいい」という感じに、多様性を許容できれば良いのですが。
共生を潤滑に行うには、相手を理解して、信頼・信用できるかが大事なことだと思います。

信頼・信用を得るための第一歩が「隣人を信じること」ではないでしょうか。
相手を信じなければ、疑心暗鬼になって、いつまでも関係は深まらず「共に生きる」ことはままならないでしょう。

まず隣人=他人を「信じる」ことからはじめて、少しずつ信頼・信用を強化する。
「信じる」ことで、他人との信頼関係ができ「信じる」ことができた自分自身にも自信がつく

これが、「隣人との共生」こそが信じる者の「真の強さ」になる、ということではないでしょうか?

■最後に

今日の教皇様の言葉は、キリスト教の本質に関わるだけに、解釈するのが難しかったです。あくまで私見なので、あっているかどうかわかりません。

それでも、今日から、
「まず自分を愛するように他人を愛して(信じて)いこう!」
少しずつでも良いので。


#教皇フランシスコ #フランシスコ教皇 #今日の教皇様 #神様を愛し 、隣人を愛する #まず信じよう

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