10代の終焉

ある朝、何か気がかりな夢から目を覚ますと、10代が終焉し、自分が寝床の中で一匹、いや一人の20歳に変わっているのを発見した。人に成ると書いて「成人」と言えど、いくつになっても左右の靴をあべこべに履いてしまったり、自転車に乗ることができなかったり、言うべきことと言わざるべきことを取り違えたり、私はそういう特別誰かが傷つくわけじゃない些細なボタンの掛け違いのある人間のままで、未だに「人成らざる者」の卒業見込みを勝ち得ることはできていなかった。

思えば自分の観測範囲には20代を謳歌することを自分に許可するような人がいないばかりか、そもそも30代を過ぎて人生に一抹の終わりを匂わせる人種ばかりで、10代の終焉とはとどのつまり人生に対する期待値を下げだすタイミングなのかもしれないと思うと、「年を取る」ことの冷たい感触が伝わるようで居心地がすこぶる悪くなる。

年を取ること自体はそれほど怖くはなかった。年を取ること自体は私に責任の所在は無い。この事実は間違いなく誰にとっても平等で、それは仕方のないことだから。私が怖かったのは、ある時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わる、自分だけ夏休みの宿題を一つ取りこぼしたようなあの感覚であって、それは決して仕方のないことではない。無為に「年を取る」ことを万人が出来ても、「年を重ねる」ことはその限りではないのだ。

此処を契機に、感覚的に何かを変えないと今後一生しんどくなりそうという焦燥感と、そのために有限の「若さ」を消費することへの後ろめたさに向き合うことがひとまずの宿題であるように思われた。とどのつまりそれが踏むべき人生の布石である。


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