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ヌーヴェルヴァーグへの雑感

眠れなさすぎて『女は女である』を観ました。アート映画が好きすぎるので数えきれないほど見返しているのですが、毎回素敵すぎてため息が出る。来世はフランスに生まれたい。

何気ない日常を切り取ったようなある意味でのドキュメンタリー的魅力は、ヌーヴェルヴァーグがいわゆるストーリーテリングの枠組みから逸脱して、既にある完成されたフィクションとしてのキャラクター、設定、その延長として映し出されるモノローグとダイアローグのリアリティにあるのだなと思うなどします。

思えば"こちら側"としての「現実」も、「過去」という完成されたフィクションからの自然な延長として「現在」というリアルがあるわけで、ヌーヴェルヴァーグの持つリアリティは自然なものというよりもむしろロジカルで理論的なものに感じます。

緻密で完成されたフィクションの延長線上にあるリアリティをカメラに映す。そしてそこに編集や演出、シネマトグラフィーでもって絶対的に存在する『映画』と『舞台裏』、『虚構』と『現実』の境界線が引かれることで一つの「映画」として立ち顕れる。ヌーヴェルヴァーグ作品からはフェリーニの『8 1/2』よろしく「映画(制作)についての映画」の要素を感じ取れるのです。これほどまでに映画理論と映画作品の距離感が近い映画ジャンルは他にはないと思います。

とはいえ全てのヌーヴェルヴァーグの作品がこの通りというわけではないので、あくまでも「こういうリアリティのセオリーがある」というだけの雑感ですが。

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