4/9 人生リフレイン

特に何もしていません。強いて言えばキングオージャーを見てあまりにも良すぎて発狂した挙句そのままひとしきりツイートし散らかした後に気絶するように二度寝したくらいしかこの世界に爪痕を残せていない。非生産的な生活態度も板についてきました。

最近また『波よ聞いてくれ』を見てます。ドラマ化するというのもありますが、単純にこのタイミングで見返す必要がありました。儀式、とでもいうのでしょうか、まぁ願掛けのようなもので、3年周期で人生のリフレインをしないと過去を精算できない、そんな気がしています。

ちょうど3年前というと2020年の4月。流行病が流行病として危惧され出したタイミングで軽井沢の山奥から東京へ疎開という名の逃避行を果たし、自宅で人生初のオンライン授業を受けていたタイミングでした。学校を辞めるか続けるか、内心90%以上前者に傾いていたのに、どうにも決断できない、決断する体力もない、色々と限界な時期でした。

そんなこんなでちょうど今、人生のリフレインを行なっているのですが、とどのつまりちょうど3年前に摂取していたカルチャーを再摂取することで当時の感覚を呼び覚まして、自分の中で落とし前をつける儀式です。なんとなく、作品に当時ハマっていた別作品のオマージュを捧げるような監督らの作家性はこういう所以でもあるのかなとか思ったりします。

よく、匂いや音が記憶と密接に結びついている、みたいな話を見聞きしますが、音楽なんかはまさに好例で、当時聴いていた音楽を聴くと必然的にメンタル状態も当時にタイムスリップしたかのような状態になります。ただおセンチになっているだけですが。

何度も何度も何度も何度も自殺未遂する羽目になるくらいには苦しかった当時ですが、今になってやっぱりちょっと懐かしいんですよね。あの頃はあの頃で良かった、というのとはちょっと違くて、あの当時の空気感を私は確かに憶えていて、その時にも必死に生きていたし、嬉しかったり悲しかったり不安だったり辛かったり、その時々で人間らしい情緒に満ちていたんだなと思えるだけの時間の厚みがあって、「人生があったんだな」と思える事実がどこか暖かいというか、全然言葉にできてないですね。でも言葉にするとどこかに消えて飛んでいってしまって、それくらいにはふわふわしたものが自分の中にあります。何でもかんでも言葉にすれば良いもんでもないんです。

「好きって忘れるくらい好き」っていう感情があると思うんです。まぁ何がとは言いませんけど。多分それにちょっと近いのかな。朝がんばって早く起きたり、人混みにシャンとして踏み込んでいくとき、エスカレーターに上手に乗るとき、そういう日々のふと「ちゃんとしないといけない瞬間」に自分の襟を正してくれるような感情なんです、たぶん。

私が今やってる儀式じみた願掛けでつけようとしてる落とし前もきっとちょいと前のトラウマをそういう暖かい感情として迎え入れることなのかなとも思うし、だとすれば当時を懐かしめているのも良い兆候なのかなとか思ってます。

人間的には全然成長してないどころか、あいも変わらず頭の中は自己と内省で一杯一杯で世の中のことなんてこれっぽっちも勘定に入れられてない。人並みには親切になれたかもしれないけど、なにもそればっかりじゃなくて、どちらかといえば心は狭いままだと思う。でもたぶん人間性なんてそんなもんですよ。たかだか3年で何かが変わるくらいなら人が死ぬことなんてないし。そういうもんです。



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