ユーゴについて色々メモ

本筋としては、冷戦下の西側諸国(資本主義陣営)の旧ユーゴ内戦への人道介入について。

旧ユーゴといえばブランコミラノヴィッチの出身でもあるわけですが、ではそもそも「旧ユーゴ内戦」とはいったいなんなんでしょうか。

(この記事は個人的なメモとして去年に残していたものです)

そもそもユーゴ内戦って何?

ユーゴスラビア:ヨーロッパとアジアの境目であるバルカン半島に位置する国で、色々な民族や宗教が混在している地域です。

バルカン半島といえば「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、第一次世界大戦の原因にもなりました。その所以は、バルカン半島における多数の民族と宗教の混在した状況だったわけです。

ユーゴスラビアの正式名称=『ユーゴスラビア社会主義連邦共和国』

多民族国家であり、
1. マケドニア
2. スロベニア
3. クロアチア
4. ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
5. モンテネグロ
6. セルビア
の6共和国で構成される連邦制です。

しかし、1991〜1992年にモンテネグロとセルビア以外の4共和国が独立宣言をしたことで分裂し、解散することに。

残されたモンテネグロとセルビアは『ユーゴスラビア連邦共和国』となり、「新ユーゴ」と呼びます。
そのため、6共和国が統合されていた『ユーゴスラビア社会主義連邦共和国』は「旧ユーゴ」と呼びます。

旧ユーゴスラビアの特徴:

「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉が、ユーゴスラビアの特徴。

ユーゴスラビアは当初はセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の連合王国としてWW1後に成立しました。

WW2中にはナチスドイツの占領下に入り消滅したが、戦後に復活し、この時に台頭した「チトー」が1980年まで長期間ユーゴスラビアの指導者となりました。

いわばチトーというカリスマがいたからこその国だったのです。

旧ユーゴ分裂の背景:

ではなぜ旧ユーゴスラビアは徐々に分裂していってしまったのでしょうか。
その原因は主に2つあるとされています。

分裂原因①:経済格差

旧ユーゴ共和国の中でも「スロベニア」と「クロアチア」は工業化が進んでおり、経済的に豊かだった一方で、人口の多い「セルビア」は経済発展が遅れていました。

そのため、共和国内での経済格差から、豊かな地域はそれを独占するために連邦からの離脱を望む一方で、貧しい地域は豊かな地域からの援助を求めたために対立が生じていきました。

分裂原因②:民族意識

それぞれただの南スラヴ人でしかなかった彼らがそれぞれの民族名を持ち共和国を形成したために、自分は何人なのかという「ルーツ」への関心が高まりました。

加えて、カリスマのティトー亡き後に大統領制が共和国ごとのローテーションでの交代制になったことも助けて、民族集団のルーツへの関心が高まっていきました。

ユーゴ内戦の特徴

特徴①:段階的な分裂

旧ユーゴスラビアはある日突然分裂したわけではなく段階を経ています。

1991年に、工業化により経済的に豊かだったスロべニアとクロアチアが分離独立を宣言。
それに続く形でボスニアやマケドニアが、そしてモンテネグロが段階的に分離を表明していきました。

この分離独立の段階によって内戦の戦場も変わっていきました。

特徴②:凄惨さ

敵対する民族集団に対する強制移住や大量虐殺にレイプなどが横行。

このような「民族浄化」によって敵対民族を地球上から消し去ろうとしたのです。

この惨さゆえに、当時のセルビア大統領であるミロシェヴィッチをはじめとする多数の指導者が特別の国際法廷で裁かれることになりました。

冷戦終了後、世界各地では民族紛争や宗教紛争が多発することになりましたが、「ユーゴスラビア内戦」はいわばその先駆けだったのです。

旧ユーゴへの人道介入って何を指すの?

1999年にNATOによって行われたユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)への『ユーゴ空爆』を指すようです。

この空爆は、セルビア人武装勢力によるアルバニア系住民の虐殺を止めるという名目で、国連安保理の事前の決議なしに行われました。

ミラノヴィッチがユーゴについて語っている件:

ブランコ・ミラノヴィッチの最初の邦訳本である『不平等について____経済学と統計が語る26の話』という本で、旧ユーゴ、つまりは社会主義連邦の出身(セルビア系アメリカ人)として、「社会主義国間での不平等」について語っているようです。

内容は以下の通り:

WW2後の西側諸国(資本主義諸国)のジニ係数*は30後半、東側諸国(社会主義諸国)のジニ係数は20後半〜30前半と、ジニ係数だけを見れば社会主義国は資本主義国よりも"平等"だった。
※ジニ係数 [所得や資産の分布の不平等を表す指標]

この平等実現の要因は、

  • 生産手段と土地の国有化

  • 義務教育の拡大

  • 熟練労働者と非熟練労働者間の賃金格差を抑制する大規模な政策

また、共産党幹部と一般労働者の賃金格差もそれほど大きくなかった

では党幹部と一般労働者を分けたものは何かというと、党幹部には"職務上の特権"が与えられていたこと。例えば、党幹部には低賃料の大きいアパート、ホテルの無料宿泊、政府所有の田舎の別荘などが与えられた。

こうした特権がなければ、党幹部と一般労働者の賃金待遇は同じになってしまうため、特権剥奪をちらつかせることで共産党への忠誠を維持させることができた。

そのうえでミラノヴィッチは、ソ連と旧ユーゴスラヴィア両方の構成国間での所得の不平等こそが、連邦制の崩壊を招いた要因の一つと見ている。
(これに関してはユーゴ内戦の原因の一つとしても間違いないと言っていいでしょう。)

ソ連では、最も豊かな「ロシア共和国」と最も貧しい「タジキスタン共和国」とのGDP比は一人当たり「6:1」だった。

旧ユーゴスラビアはソ連よりも構成国間の経済格差が激しく、最も豊かな「スロベニア」と最も貧しい「コソボ共和国(元セルビアの自治州)」とのGDP比は一人当たり「8:1」だった。

1952年時点でのスロベニアとコソボの一人当たりのGDP比はすでに「4:1」であり、戦後を通じて所得格差は拡大していったということがわかる。

日本でもしばしば人気の高いチトーはこの格差是正には失敗しており、チトー政権から1991年のソビエト連邦崩壊への道は必然だったと言える。


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