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嫌いなタイプってなんで嫌い?

画像を拝借しました。Akinglish様感謝いたします。

拝借しました画像は好きなタイプです。

たまたま受けた相談がそんなお話だったもので、今回のケースのみの話ですが少し書き留めたいなと思いました。

相談の内容というのが「あの人が嫌いなタイプで、どうしても接するときにセルフコントロールが効かなくなるんです」というものでした。個人的に自分は好き嫌いははっきりしている「タイプ」と思っていますが、嫌いなモノや嫌いなコトよりちょっとだけファジーな「タイプ」ってところに興味が湧きました。

セルフコントロールが効かないということ自体はどちらかというと個人のキャラの問題かと思い、そこをどうしていくか?ということは論点から外しました。なので「深呼吸しよう!」とか「子猫を思い出そう!」みたいな話はしませんでした。それよりはセルフコントロールが効かなくなるスイッチの「嫌いなタイプ」を見つめてみようと。

なぜ「嫌いなタイプ」がそこまでDrive Me Crazyにするのか?と。

確かに自分も嫌いな野菜を無理やり口に入れられたらDrive Me Crazyですし、嫌いな色の下着を買わされたらDrive Me Crazyなので嫌いなモノやコトに触れるということを考えれば何となく共感できます。が、嫌いなタイプの方と接することでDrive Me Crazyにまではいかないな、と。

ここまできて2つのポイントがあると自分は感じました。それは「嫌いなタイプの定義は何か?」「なぜそれが嫌いか?(理由)」というものです。これは一般的な理由(例えば暴力的である、とか、デリカシーがない、とか)ではなく個別のものを考えています。

そして当然ながら好悪って実体験からくる「感覚」から始まっているので、感覚的に「嫌いなタイプ」を判別している。この感覚的ってのがポイントだなぁと感じました。そのため感覚を文脈化してみようと「嫌いなタイプってどんなことろ?」と聞いてみると、う~んと悩みながら「嫌いなタイプの定義」が色々出てきました。

次に「なぜそれが嫌い?」と聞いていくと、どうも「自分の嫌いな部分」と重なる、ということが分かってきました。なるほど!と合点がいくもので、だからこそ『感覚的に察知できる』のだな、と。食べたことがないものを好きか嫌いか聞かれても答えられないように、知らない人をサラッと見ただけで嫌いになれるかも不思議な点でしたから。

どうも今回のケースにおいては「嫌いなタイプ」とは「自分の嫌い(弱さ)な部分」であり、それが通常は自分の内側にしかないのに「外側でウロウロしている」ことが感覚的に「見える」のでDrive Me Crazyだと。

そう分かれば、セルフコントロールが効かなくなるってところも対処が見えてきて「きっと自分の内側の弱さを認める」ことが出来ればいいのでは?と。弱さって悪ではなくて、個人が思う「ありたい姿と真逆のところ」と思っています。それを見て見ぬふりをしてふるまうよりも、認めて気づきやすくして弱さが出そうになったら「ありたい姿」を思い浮かべて、ありたい姿をふるまってみる。

そう続けているうちに、もしかしたら同じ弱さを持っている人から「理想の姿」の人、として相談を受けたり。「なぜそんな風に生きられるのですか?」って。その時、きっと、広い優しさをもって「実はね・・・」なんて嫌いなタイプの人と意気投合するかも。

今日も宇宙が楽しくなりますように。

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