がむしゃら1500キロ

浮谷東次郎という人を何かのきっかけで知った。
調べてみると浮谷東次郎は23歳の若さで事故に遭い死んでしまったのだが、それまでに生きた浮谷東次郎という人の生き様に感銘を受けた。
今日その人の本を読んでまた感銘を受けたので、その文を少しでも多くの人に共有したい。


ぼく達の未来

親は、とかく、子供を成功させようとやっきになり、ずるい手を用いて子供を有名な学校に入れ、そして卒業させて、大きな会社に入れようとするものである。つまり大会社に入れるためにするのである。そんな事をして会社にはいって、はたしてそれで成功するものだろうか。

小学生の時のぼくの友達の親にこんなのがいた。
「平凡な会社員になってくれればいいよ。」
その子どもはいつも未来の事をみんなで話し合う時には
「ぼくは平凡な会社員になるのサ。」
と言っていた。
親がまたこのように子どもの責任というか将来の荷をあまりかるくするのも考えものである。なぜかと言えば、こんなことを言っていたのでは成功しうるような人であっても、平凡な会社員で終わってしまうかもしれない。

また、これとも正反対に
「お前は、将来、成功者になれ、なれ。」
と言う親もいる。
たしかに子どもには大きなはげましになるにはなる。しかしこれもまた、こまる事がある。子どもも中学に進み、世の中で生活していくむずかしさを知った時
「なにくそ」
という元気さで進めばよいが、
「はたして成功するものだろうか。」
と不安になった時の気持ちは・・・・・・と考えていくと自信を失った子どもの未来はどんなになるであろうか。また、
"なにくそ元気"
で進んだ子が、大会社どころか小会社にも入社できなかったとしたら、はじめから自信を失った子より落胆するにちがいない。しかし、
「平凡な会社員でいい」
といわれている子どもも、思いきった事ができて大成功するかもしれないし、
「成功、成功、成功。」
と言われていた子もその信念を通して大成功するのも多いだろう。

ぼくの思うところでは、親はまずこのような子どもの心をよく理解し、子どもが将来どんな方面に進みたいかをよく聞き、そして助言をあたえ、その方面がぜんぜん向いていない時には、破壊的でなく、子どもの自信、信念、理念をこわさぬように、また、感情的にならないで導くべきだと思う。また、学校よりも子どもの精神的方面に力をそそいでくれるよう、せつにおねがいするしだいです。
(中二のときの作文)

浮谷東次郎 
がむしゃら1500キロ(全) わが青春の門出
ちくま文庫 1972年 40、41ページ


まずは読みにくいと感じのでないだろうか?
そしてそのあとに中学2年生の作文と気づき納得をしたと思う。
ただこの作文の内容を中学2年生で書いたのだからすごいと思う。
浮谷東次郎が気になる人がいたら是非調べてみてほしい。