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ZORNになりたい

感情がぐるぐるうごめく。忘れてしまったもの、思い出せないもの、新しく芽生えたもの。常に自分と隣り合わせにあるものだから、切り離したくても切り離せない。向き合わないといけない。

思い出したい感情がたくさんある。まだ何もしらなかったあの頃の話。もう二度と抱くことはないだろう想い。純粋にワクワクしてたあの時間。手に取ろうとももう届かない。まだ過去にすがりたくなる、取り戻せない美しい思い出に浸っていたい。

「ヤマアラシのジレンマ」という言葉に近いものなのだろう。近づきすぎるとお互いとげが刺さって傷つけてしまう。それでも近くにいないと暖をとれなくて、寒さに耐えられなくなる。

大事な何かを捨てていくことが大人になることなのだと思う。大人になるために大事な何か、思い出とか人とか感情とか、、取捨選択をしていかないと生きづらくなる。捨てても思い出すために歌手が歌にしてくれたり、過去の私がnoteを書いていたりしてくれる。日記を書くこととか。

死にたいと思う人生のほうが深みがあっていいのかなって誰かが言っていた。悩みが尽きないときは人生を物語と考えて、私は今起承転結の転の部分を生きてるんだって思うようにする。悩みは物語を面白くしてくれるスパイスみたいなものって思えたらなー

いろんな人と関わることで自分にはない価値観を得られる。でもそれに染まりすぎて元々自分のなかにもってる正しい価値観を捨ててしまいそうになる。要は人に流されやすい。私自身を作り上げてるものって過去の私と周りの人たちなのだけれど、作り上げている自分の要素をすべて他人に任せたら、本当に意思もなくなって顔色ばかり伺ってつまらなくなる。私をアップデートし続けることによって、自身を作り上げてくれる「過去の私」に自信を持つことができる。自分の価値を他人にゆだねすぎないこと。

空が青く見えること、海が透き通って見えること、ご飯をおいしいと思えること。すべてに感謝して生きていく。感情が湧き出てることは人間らしく生きてるということ。憎しみとか悲しみとか、たとえマイナスでも、その感情は私が存在するうえで大事な感情。

卑屈な人間にはなりたくない。すべての物事に対して自分から手を伸ばす癖をつける。

嫌いになる理由を見つけなくちゃいけないのか。今は痛みに浸りたい。

街のギャルやらヲタクや根暗 どれを取ったって平等に狂ってるのさ

Go Crazyの唾奇のリリック、みんな普通のふりして普通じゃないしみんながばかにしがちなギャルとか陰キャとか、そんな人たちがいなくなったってこの世界は変なんだ。みんな誰が普通とか誰が変とか、そんなことを決めつけてる時点でみんなおかしい。

なんか最近は会うやつのほとんどが嫌な奴ばっか まああいつも昔はポケモンのデコキャラのシールが貼られた水筒をママに持たされてた

Tohjiのoh boyのリリック、嫌なことをしてくるあいつも傷つけてきたあの子も何考えてるかわかんないあの人も、もちろん自分も純粋な子供時代があって、成長するにつれていろんな人に揉まれて、いろんな環境に流されて、、、大人になるんだ。

世の中知らないほうがいいようなことばかりだ。あの価値観もあの気持ちもあの瞬間も、事実も事柄も全部知らないほうが幸せな時間が多かったのかもしれない。それでも全部感じて、他人に寄り添えることができたり、新しい感情を知ることもできる。

人の嫌な部分を見つけて自分を正当化するのではなく、自分がどうしたいかを考えて、自分から変わろうとする人間になりたい。












まあまとめるとさ、とりあえずZORNになりたいよね
変なノートだこと。

今日はここまで。おやすみ


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