不快な女

 まったく不快な女だった。はつらつとして、誰に対しても打ち解けた(実際周囲の人間は彼女のことを信頼していたように思える)、自信に満ちた笑顔を浮かべることができるというのに。どうして、あんなに胡散臭さに溢れていたのだろう。
 それは母の友人の女であった。彼女は母の高校時代の学友で、彼女の娘は私の妹と同い年であったから、自然な成り行きで、我々二組の母娘は様々なレジャー施設へと共に足を運んだようであった。もっとも、私はその時のことをちっとも覚えてはいないのだが。
 女は名のある実業家の娘であったのでいつも、羽振りが良い様子であった。洗練された上品な装いをし、控えめなデザインの貴金属を身にまとっていた。手足の長い、長身の人であったから、赤い口紅がよく似合い、白い歯をのぞかせ手を口元に添え王女のように笑った。幼少期から変わらない呼び名で私のことを呼んだ。私は彼女の周りに漂う極彩色のオーラのようなものが苦手であった。虹のような自然から発生した彩りではなく、地面に溢したガソリンのように歪んで、ぎらついて、強烈な、極彩色。
 私の高校時代、私と母は互いに気違いになってしまっていた。私が気違いになってしまったから母が気違いになってしまったのか、母が狂ったから私が狂ったのか、順番は定かではない。そもそも、気違いによる気違いの記憶などいったい、どこの誰が信じられよう。
 私が学校に行かず自室に篭り自身の能力不足を呪い腐り、迫りくる未来に阿鼻叫喚していた最中、母は静かなる狂気を蓄えていた。母は原油色の気配を漂わせていた。
 宅配便が、毎日届くのである。複数の宅配業者から届くので、午前、午後と幾度となく鳴り響く我が家のインターホンの音に対し、私は次第に半狂乱になっていった。隣の部屋のインターホンが鳴ると呼吸が浅くなった、次はうちに来る。分かっていようが、いまいが自宅のインターホンが鳴ると、たちまち、体は硬直し、配達員によっては扉まで叩くものだから、たまったものじゃない。ポストに不在票が押し込まれ、配達員の足音が遠ざかっていくのを確認するまで息を殺すのであった。どの不在票にも一様に、同じ企業の名前が記載されているので、私はその企業を、宅配業者を、母を、女を、深く憎んだ。
 届いた荷物には茶色い小瓶があった。小瓶の中には植物由来のエッセンシャルオイルが内蔵されているそうで、嗅覚から得る癒しの効果だの、なんだのと言いながら女は母の掌に一滴、二滴とオイルを垂らし、擦りこむのである。ああ、気味が悪い。
 母は話すとき、目の合わない人だった。腹が立った。女は話すとき、大きな眼で相手の眼をまっすぐ見つめた。腹が立った。正の方向へのエネルギーに満ち、他人にその影響を与えることを正義とし、それに靡かない人は憐憫を向けるのだろう、そう思えるほどの顧みない自信、どんな反応をしても敗北感に襲われるのである。
 私は気違いであった。母は私を治そうと、もくもくと、癒しの香りを載せた香を昼夜問わず炊いた。私が気違いであることは女の耳にも入っていたことだろうから、これはきっと女の策に違いない。私は暴れた。少しでも私が快方に向かった様子を見せれば、何を差し置いても、この香と女の功労として祭り上げられるのは目に見えていた。私は気違いだが、人のことを物のように扱うほど気は違っていない。気違いにも人の心はある。暴れる私に、母は目を背けた。
 私は女に会うのが、不快で、実に、いやだった。週末になると女が家にやってきて、客間からは植物オイルの匂いが漏れ出てくる。私は呪った。女を憎んだ。しかし、私は知っていたのだ。不快なのは、もとより、女の性分のせいではないのだ、と。宅配業者のせいでもなければ、母のせいでもなかった。要するに、女が不快なわけではなかったのだ。私の性分が不快だった。私自身が不快だったのだ。