心の自己プロフィール

昨日布団に入ってから仕事をしていた時の嫌な記憶が次々と思い返されてきた。

棚をつけるところの下地が入っているかどうかと下地チェッカーで調べたところ、下地チェッカーが反応しなかったから、下地が入ってないので入れにきてくださいと、その仕事をお願いしていた職人さんを呼び戻した。

しかし、実際には、下地チェッカーでは識別できないその奥に下地はしっかりと入っていて、職人さんに無駄足を踏ませてしまい電話で怒られた。

界壁は2重ボードになっていてボード一枚が12.5だから2枚で25。

だからそれよりも奥に下地がある。

そのことをわかっていながら下地チェッカーがギリギリ届くだろうという結論になり調べたのだが、実際には届いていなかった。

なぜ下地チェッカーが届いていなかったのか、その理由を当時は理解したが今はもう忘れてしまった。

そこが重要なところなのに。

他にも、軒天がシャッターカバーとシャッターカバーに挟まれ、施工できないという相談を外部大工さんにされたときに、そのことをそのまんま設計に相談した。

外部大工さんが設計に言いなと言ってきたからだ。

その相談を設計にした時、設計は設計ルール通りに設計しているから設計的に問題はないという風に説明をしてくれた。

とても的確な受け答えだった。

だが、それでは軒天が施工できないということの解決にはならない。

だから、困った。

結局、外部大工さんが知恵を振り絞り施工をしてくれたから乗り越えることができた。

この話の中で思うのは、設計に現場の状況を共有することは正しいことであったが、現場の解決策を見つけて欲しいという気持ちを設計に向けるのは間違っていたのだということが、今になってわかる。

ハウスメーカーの設計は、設計ルールに則り設計をしているだけであって細かい納まりを一つ一つ確認なんてしていない。

細かい納まりで不具合が出ないように設計ルールが決まっているわけであり、納まりで施工不可能な現場があれば、それは設計ルールミスということになる。

そこまで考えることができなかった自分は、当時職人さんが設計に確認するように強く主張したから、設計がそこの納まりをミスったのではないかと無意識に思ってしまっていた。

職人さんのいうことを鵜呑みにして、すぐに行動を起こせたことはとてもいいことですあったし、設計ルールなんてものまで頭が回らなかったことなんて当たり前だから、設計に嫌悪感を持ちながら質問をしてしまったことは最善の行動であった。

しかし、結局設計のせいではなく、設計ルールのせいであり、設計ルールのせいだと知らずに質問をしてしまい、設計をプチ不幸にしてしまったと思ってしまう。

後は、上司に今の仕事が辛いと言うことを相談したときに言われた言葉がずっと残っている。

職人さんとコミュニケーションをとることが辛いということを伝えた時、どこの会社でもどこの部署にいどうしたとしてもコミュニケーションは絶対にあるものだから、どうしたらいいものかねという返事と、

どこかのタイミングで言われた、それは甘えでしかないと言う言葉が頭に残ってしまっている。

特に二つ目のそれは甘えでしかないと言う言葉は、その前後の話の内容が思い出せずに、その部分だけが切り取られて頭に残ってしまっているから、思い出すたびに自己肯定感が爆下がりだ。

あまりよく覚えてないが、確か自分からこれは甘えだと思いますと言ってから、それは甘えだねと言われたような気がしている。

甘えだとわかっていても、自分の原動力が足りなくて、ある問題に対処できないときには、解決できず結果甘えたということになってしまうのであるが、じゃあ甘えないことはできたのかというとそれはできなかったのではないかと思う。

だから、この先どんな仕事をしても何かしらの業務で自分の心からブレーキをかけろという指令がでれば、その業務を遂行することができなくなる。

その特性を持っている状態を抜け出せなければ、自己肯定感は一生上がらない。

どうにかして、甘えを乗り越えられるように、心のブレーキがかかってもさらに心を燃やしてブーストできるようにならなければ、自分はいざという時甘える人間ですという言葉が自己プロフィールの中から消えることはない。

これは、心理士の方に相談だな。

決算の業務をするときに覚えておかないといけないことでも自分は一度忘れるだけではなくて、4度も5度も忘れる。

覚えられないことは徹底的に覚えられないのだ。

この特性も自己プロフィールの中からなくなることがなくてこまっている。

心理士に相談だな。

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