身丈

身丈-身の丈の古風な表現、衣服の襟の下から裾までの背筋の長さ

 身の丈に合ったという慣用句があるが元は衣服から来てることを学んだ私はまた一つ賢くなった。身の丈にあった服という表現の場合、文字通りサイズぴったりな服とその人に分相応な服と2つの意味があるという事になるのかだろうか。

 私は身の丈に合った服を着ている。なんならそのレベルに達していないかもしれない。私はおしゃれをしない。しようと思ったことがない。それはオシャレな格好は異性に見せ自らを魅力的だとアピールするためのものだと考えていたからだ。それに高校までは学校は制服だし休みの日は遊んでも男友達の家や公園だったのでテニスウェアやジャージだった。
 しかし学生時代一度だけ真冬に女の子と遊びに行くことになった。こういう時は人並みにおしゃれをしていくべきだと考え、大慌てで友達と服を買いに行った。しっかりコートや靴を買って準備万端と思ったが当日、真冬とは思えない気温とかんかん照りの日差しが待ち受けていた。絶対にこの格好では暑い、それは誰にでも分かった。しかし私には購入したテンプレートを崩して着こなす知恵も度胸もなく、暑さと向き合う事を選んだ。そして女の子と会った第一声が「暑くない?」だったところまでは覚えている。そこから夕方1人でラーメンを食べるところまではハッキリと覚えていない。

 大学に入ってからは私服生活のスタート。私のおしゃれは異性に見せるためという考えは変わらずパーカー、スウェットで登校していた。しかし少し経って考えた。もしそこそこな都会に行ったら私がスウェットでよくても一緒にいる友達があまりいい気しないのではと。こう思うきっかけはなにもなくシンプルにふと思った。そして私は最低限の格好の服装を数パターン購入した。
 それからは少ないパターンを着回しての登校が続いた。しかしある日、大学で騒いでたサークルのおしゃれをしている太っちょを見て思った。「おしゃれする前に痩せろや」と。(個人の見解+当時の未成年だった頃の私の意見です、おしゃれは自由です。着たいものを着てください)私はそれと同時に、「てか大事なのは服装じゃない、誰が着てるかだ。小栗旬はおしゃれしてなくてもかっこいいじゃん」と気付かされた。それから私はおしゃれを辞めた。これは私が小栗旬だからおしゃれをやめた訳でなく、私がおしゃれをしてもどうせ私のままなのだからおしゃれしなくていいやと考えたからだ。あと受験明けで太ってたからもしおしゃれしたいならまず痩せろよ自分という思いもあった。
 それからは部活のおかげで痩せたがおしゃれをする事はなかった。なんなら1年の秋から学校には裸足にクロックスで登校し続け、クロックスの底に穴が開くまで履き続けた。クロックスを履き潰した男はそういないだろう。

 社会人になった私は、休みの日に出かける時は最低限の格好をするようになった。相変わらずおしゃれな服は買っていない。私は勉強する程おしゃれに関心がないので中途半端なセンスで変に攻めた服を買い、逆に減点を喰らうのは嫌だからだ。私はTシャツやパーカーをよく着るが、私が購入するものには共通点がある。それは胸のところに可愛らしい絵や少しひょうきんな絵が描いてあることだ。なぜそういうものを選んでいるかというと、このおしゃれとは遠いものを着ることによって相手に第一印象でこの人はオシャレorダサいという枠に入れられる事から逃げるためだ。変に攻めるとダサいと思われる可能性があるのであえて可愛いらしいものとかにしている。これは言わば白旗を掲げているようなものだ。最初から白旗を掲げておくことによって私はおしゃれレースから降りることを可能にしたのだ(多分)。

 お目汚し失礼致しました。また次回。
 次回は5作品一気見したスパイダーマンの感想を薄く書こうかしら。

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