センス

※一人称は基本的に私ですが気持ちが乗ってる時は俺になります

 文章を書くとき、書き出しが分からなくて制作時間の8割近くを書き出しに費やしてきた。読書感想文、小論文、レポート全てにおいて。中身の意見なんて薄っぺらいありきたりな事を書くだけなのにそこに行くまでのルートを編み出せない。別にいい評価が欲しい訳でもないのに変にこだわってしまう。文章でもっとも個性を出すべき核の部分を掘り下げることもせず、起承転結の型だけは綺麗にしたがる俺は見栄っ張りなのかもしれない。それっぽいものを作り満足する。三匹の子豚なら私は間違いなく、オオカミに吹き飛ばされる張りぼての家を建てるだろう。

 ここまで書いておきながら変な話だが、このブログに関しては書き出しどころかテーマも何も思い付かない。芸能人や有名人なら日記代わりに書けば成り立つ、彼らの日常は私たちにとっての非日常だから。しかし凡以下の私が日記を書いても毎日コピー&ペーストで終わってしまう、それではブログを始めた意味がない。ならば「人を許せないのは自分の弱さ」とか聞き飽きた出涸らしの格言を並べ説教じみた事を書き、読んでくれた人の心を動かそう、その方が誰かの役に立てるかもしれない。たわけ!格言とは内容ではなく誰が言ったかで重みが変わってくる(と思っている)。何も成し遂げないやつが格言を言っても戯れ言でしかない、戯れ言の中でもタチの悪い部類だ。そんな事をしているとただでさえ価値のないこのブログがスペースデブリのように人の目に触れずサーバー上を彷徨うゴミになる事間違いなし。このブログが役に立つとしたら小学生の道徳の授業で反面教師の題材として扱っていただくくらいだろう。

 こんな感じで脳内で、意見の否定ばかりするダメな典型の生産性がないブレインストーミングを暫くしていると、とある意見が聞こえた(脳内で)
「辞書引いて出た単語について書けば?」
辞書か、まあ斬新さもあり、自分でテーマを選ばないことで今まで考えなかった事について書けるし、より脳みそを使えるし、辞書なら単語が尽きることはそうないな。あれ?もしかして辞書ってナイスアイデアでは?うん、ナイスアイデアだよ、君!声の方に目をやるとそこには私の中のキラリと光るセンスがいた。さすがの俺のセンス!俺は俺のこういうところが好きなのよ。私はこのセンスに幾度となく助けられてきた。このセンスというやつはなかなか働かない。いつも皆が頑張ってるときに教室の隅の席で寝ていて、起きたかと思えばひとりで屋上に行ったり自由きままでこちらは迷惑している。しかし優しいところもあって放っておけなくてピンチの時に現れて私を救ってくれる頼もしさもある、そんなやつだ。そう、私はこのセンスに恋焦がれている。
 ここまでの文字だらけで改行も鍵括弧もない読みにくいめちゃくちゃな文章を読んでいただければ分かるように、私と私の中に眠るセンスには女委員長とヤンキーの恋愛漫画の2巻くらいの距離感があるのだ。

 センスは磨くものだという者もいる。私はこの言葉を信じている、信じている方が自身の未来に可能性を見出せるからだ。そう、私は都合の良い人間だ。しかし信じれば磨けるほどセンスというものは簡単ではない。磨きたくても磨き方が分からない。今回が2度目の人生で前世でセンスの磨き方のコツを学んでいれば人生イージーモードだったろうが残念ながら1度目だ。齢24にして絶賛模索中だ、その一つの手段としてこのブログを書き、脳を活性化させようとしている。早くセンスとお近付きになりたいものだ。

 話がブレブレどころかまともな軸のない内容だったが、とりあえず辞書引いて出た単語についての考えやそれに関するエピソードやそこから派生した他愛もない話を書いていくブログにしていく。これから相棒となる辞書を見つけよう。私の心が折れるのが先か、辞書の単語が尽きるのが先か、はたまたnote閉鎖が先か。そういえばmixi閉鎖したらしいね、さらば俺の青春。

 お目汚し失礼致しました。また明日。

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