私は髭が人より少し濃い。10段階評価で6か6.5くらい。だから日常生活にそれほど支障はない。ましてやコロナ禍でマスク必須で、さらに言えば仕事が家業の為家族以外と会うことが少ないからほぼ剃らない。稀に出掛けるときに整える程度だ。
 しかし厄介なことに私の髭の生え方は少し面倒だ。伸ばしっぱなしで揃うほどの毛量も毛の強さもない。もみあげから顎にかけては綺麗に生えず弱々しい毛が伸びるだけ。そして顔の輪郭の辺りから喉仏の下くらいまで生えてる。割合的には髭よりも首毛と言ったほうが正しい。この首毛を剃るのが私は苦手だ。皮膚が柔らかくてカミソリで持っていかれそうで怖いから電気シェーバーで剃っているが、それでもヒリヒリする。髭の濃い人はこんな辛い思いを毎日しているのかと思うと同情を禁じ得ない。
 そこで私は提案したい。髭手当てなるものを。
 社会人に求められる最低限の身嗜みの中には髭を剃る事も含まれている。髭は髪とは違い、1度切れば暫くは切らずに済む訳ではない。濃い人は毎朝、剃らざるを得ない。これは自分のオシャレの為ではなく仕事の為だ。毎朝10分かけてるとしたら×5で週5出勤だとして50分。月3時間ちょい髭を薄い人より働いている。年40時間。濃い人はもっと時間をかけているかもしれない。この分の残業代をあげてやってもいいのではないだろうか。もしくは髭の脱毛に国から医療保険を適用してやってくれないか、と。

 しかしこんな事を言ってると、こんな意見が出てくるだろう。女性の化粧はどうなんだ!と。こうなるとややこしい。化粧の内情については一切の知識がない為、憶測で話さざるを得ない。なので化粧についての発言は控えよう。ただ私は言いたい、すっぴんは手を抜いてる、楽してるというマイナスイメージを抱く輩に。人間はすっぴんが本来のフラットな状態なのだからそこに化粧というワンアクションを起こして来たことを称えるもしくは感謝するべきだということを。化粧をするのが当たり前でその状態がプラマイゼロですっぴんだとマイナス査定するのは間違っていると思う。
 私は常々考える。この世の中に鏡がなければ容姿を気にせずに済むのではないかと。自分の顔が分かってしまうからこそ人と自分の容姿を比べてコンプレックスを抱えたり、逆に容姿が優っているからと驕り高ぶり人を見下すような事が起きると思う。生まれてから死ぬまでずっと容姿のインディアンポーカーをしていれば皆が皆、容姿に対して慎重になり平和になっていくのではないだろうか。とは言いつつも結局他人からは顔見られるわけだから他己評価でなんとなく自分がどの程度のものなのかは理解しちゃうか。世知辛えな。

 文章がまとまらない時は世知辛いで済ませる。便利な言葉、「世知辛い」
 
 以上。お目汚し失礼致しました。

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