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映画「ひとりぼっちじゃない」感想②

最初の感想では映画の全体を観て書いたのだけど、今回は内容に焦点を当てて考えてみました。

昨夜眠りにつく前…布団に入って、うつらうつらしながらこんな事を書き留めていた。
ススメの日記のように赤裸々に書いた。

3/16(木)

そうそう、ススメってさあ…、好きだから迫ってる訳じゃなくて、嫌いでもセックス出来るって、結構考えたらイヤな奴だけど。
(そんなものなんでしょうか?)

蓉子はそんなススメの気持ちを察しながらも体は受け入れられるんだねぇ、それか、蓉子もほのかにススメの事が好きだったんだろうか…。
終了後の賢者タイムで好きでもないのに「好きだよ」なんて言えるなんて、会社の人間関係からは想像が付かないススメ先生。
蓉子に「宮子さんに言うんでしょ?!」って、これって「押すなよ?押すなよ?(押してください)」っていうダチョウ倶楽部のかの有名なアレみたいなやつじゃん笑。
「宮子に言って欲しい、そして宮子の心を動かして欲しい」ってことなんだよね?(わかんない。憶測だけど)
んで、宮子に恐る恐る確認したら全く「??」って感じだったし、蓉子の言ってたヤツ確認したらやっぱりあるし、ホントにホントにガッカリしちゃって、「なんでだよ…別れるわ!!もう!…でも、好き!!好きなんだよ、チュッ」みたいな。
これもまぁ、コミュニケーションが得意とは言えないな…。

原作ではもっと凄まじかった。(映画にはないシーン)これはヤバい。趣向がヤバい。
何をしでかすか分からない自分が怖くなって物理的にも宮子から距離を取って日本の一番端っこに逃げるように引っ越すのもわかる。(え)

映画でも、オカルト的な幻覚や関わった人が亡くなるというような負の感覚をススメ自身も味わって、しかも蓉ちゃんにそういう事をやってしまったり、どんどんおかしくなる自分を感じて、これ以上宮子に関わったら自分はどうなってしまうんだろうと、怖くなったのかもね。

宮子は「まるで女神」。
突然いろんな人が家に押しかけて来て、お腹が空いてる様子まで察知して「直ぐに作るね」なんて、私には考えられない優し過ぎる。お母さんか?いや、私お母さんだけど、出来ない。出来れば「買ってきたから、一緒に食べよう」なんて言ってくれたらマジで嬉しい。
美しく、優しく、得体の知れない浮世離れした女性で、私の傍にはこんな人いた事ない。
だけど、普通に考えたらサービス業についてて、頭皮マッサージを無料でやってくれるような方なので、もともと人に奉仕するのが好きな人なのかもねぇ。普通に怒るしね。

蓉ちゃんはね〜、「スーパーららら」で紫陽花みたいな人っていう印象からはイメージつかんぞ。そして宮子大好き過ぎる。気持ちはわかる。絵まで描いちゃう熱烈なファン。だけど、飾ってくれないから持って帰って来ちゃったって。
ススメにしろ蓉子にしろ、木像彫ったり描いたりするあたり、女神信仰。

宮子を道に寝かせてるシーンは、宮子が自ら進んでやったのか蓉子の指示かわかんないけど、優しすぎる宮子に苛立ちも感じてたのかもな。
あの時ススメが去った後に直ぐにスックと立ち上がって二人で手を繋いで歩いたとこ訳わかんないけど。そういうゲームをしてたのかな?
二人にしかわからないルールのゲーム。

「得体の知れないもの」は怖い。

お化け屋敷とかもそうだと思うし、暗闇もそうだと思うけど、電気を付けたら大体は「ああ、こうなってたんだ」とかホッとするんだよね。
「恐怖心」は物に対しても人に対してもそうだけど、だいたいは「自分の想像」で出来上がっちゃってると。
「みやちゃんの事、知りたくないんですか?」
「知りたくない」と、答えたススメ。
ライバルの蓉子に意地張って言った部分もあると思うけど、「知る」のは怖いとこもあるし、「すべてを知らなくてもいい」こともあるんじゃないかな。

「ひとりぼっち」

ところで「ひとりぼっちじゃない」とは結局どういう意味だったのだろう。

「(やっぱり)ひとりぼっちじゃない」
だろうか。

「(大丈夫)ひとりぼっちじゃない」
だろうか。

余談ですが、わたしは「ひとり」は割と好きだけど「ひとりぼっち」でいるのは好きじゃありません。
「ひとり」は好んで「ひとり」でいるような気がして、「ひとりぼっち」は「ぼっち」が付くことで取り残されたような気になるからです。
誰の中にも入れないような。

ススメは、どっちかな。

ひとり、遠い長崎の地に行って、リュックサックを背負って汗をかきながら坂道を登るススメ先生が目に浮かぶ。
高台に登り辺りを見渡したら、燦々と輝く太陽のもと水面がキラキラ輝いてる。
架空のススメ先生だけど、どうか幸せになって欲しいと願わずにいられない。


長文、ここまで読んで下さってありがとうございました!!

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