テレビや新聞が伝えない情報 2020年10月号⑥

今回は推理です。日航123便墜落とプラザ合意の謎。日航123便が墜落したのは1985年8月12日、プラザ合意は1985年9月22日でした。どちらも総理大臣は中曽根康弘。日航123便には歌手の坂本九さんが搭乗していたほかに、コンピューターの基本ソフトTRONの研究者17名が乗っていました。この事故がなければ、ビルゲイツのMICROSOFT・WINDOWSは世界にシェアを広げることはなかっただろうといわれています。TRONの方が消費電力も少なく、高性能だったからです。プラザ合意は大蔵大臣の竹下登が合意させられた結果、1ドル240円前後だった為替レートが直後に20円も円高に振れただけではなく、1年後には1ドル150円にまで円高になりました。円高になったら日本の企業はやっていけません。日本製品は高くて売れなくなるからです。逆にアメリカの企業は大喜び。日本企業は国内では工場を操業できないので、海外に工場を移転させました。なぜこんな合意をさせられたのですか。日航123便で脅された中曽根康弘が、アメリカからの圧力に屈したからとしか考えられません。日航123便については検索するといくらでもでてきますが、こんな背景があるかもしれないと思って検索結果を読んでください。

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